第2章:悪党への道
第40話:放火と疫病
1564年8月1日:織田信忠視点・8歳
「若殿、城の縄張りでございます」
山内一豊が、加賀に築く新たな城の縄張りを描いた紙を持って来た。
宗旨替えしたとはいえ、完全には信用できない加賀一向衆を抑える為、将来上杉謙信と戦う可能性も高いし、織田家の北陸拠点となる巨城を築く事にした。
場所は加賀一向衆の拠点、尾山御坊があった場所だ。
史実で前田利家が金沢城を築いたのと同じ場所だ。
戦略的に重要になる場所は限られているので、どうしても同じ場所になる。
城を築く時に最も大切なのは水の手の確保だ。
飲み水だけでなく、煮炊きにも傷を洗うのにも清潔な水が必要不可欠だ。
それも平時ではなく、大軍が籠城する非常時を前提に確保しなければならない。
次の問題が燃料の確保だ、公衆衛生が広まっていないこの世界では、生水は安心して飲めないし、兵糧の米だけ備蓄しても煮炊きできないと食べられない。
だから従来の築城では考えもしなかったような、大量の燃料小屋を建てている。
次の問題は、糞尿の始末、戦死者を埋葬する場所の確保だ。
狭い場所に大量の人間が暮らす籠城戦では、疫病が流行りやすい。
欧州での戦いでは、遺体を城に放り込んで疫病を流行らせていたくらいだ。
某公営放送が、戊辰戦争で会津若松城が降伏落城したのは、糞尿の始末ができなくなったからだと放送して、凄まじい苦情を受けていた。
それが真実なのか嘘なのかは知らないが、可能性は皆無じゃない。
籠城時に糞尿や遺体を適切に処理できないと、疫病が流行るのは確かだ。
だから俺は、縄張りの時点で糞尿の処理と遺体の火葬埋葬を考えている。
俺が縄張りに加わった勝幡城、那古野城、飛島城などでは、広大な築山や馬場、火除地を儲けている。
広大な築山や馬場、火除地は籠城時に戦死者を埋葬するための場所なのだ。
もう一つの疫病の元、糞尿は便所で集めて堆肥に使う。
中世の欧州都市では、オマルにした大小便を道に放り捨てていた。
だが俺が支配管理する城では、絶対にそんな事はさせない。
疫病を予防するために、糞尿は毎日決まった場所に集められ城外に運ばれる。
城内は西欧の城塞都市とは比較にならない清潔さを保っている。
籠城時に糞尿を城外に運び出せなくなっても、総構えどころか三之丸からでも、濠から川、川から海に流せるようにしてある。
それと、何十もある帯曲輪と掘割は単なる防御の場所ではない。
人が密集し過ぎないように間隔をあけているのだ。
その掘割は、江戸時代のように内陸水運と繋がっている。
葛西船のような肥船だけでなく、あらゆる物を運ぶ船が行き交っている。
掘割が守っている帯曲輪の外側は、防壁兼用の足軽長屋になっている。
江戸時代の裏長屋とは比較ならない防御力の足軽長屋になっている。
その全てを突破しないと三之丸の城壁にも辿り着けないのだ。
掘割と帯曲輪を一枚奪われたとしても、内側から帯曲輪を撃てる。
足軽長屋は外側からの攻撃には強く、内側からの攻撃には弱く造ってある。
「若殿、石山からの報告でございます」
竹中半兵衛が、忍びが自ら運んできた報告を知らせにやってきた。
旗振り通信どころか、本丸の伝書鳩役にも任せられない重要な報告だ。
山内伊右衛門たちにも秘密にしなければならない極秘情報だ。
「そうか、東曲輪に行く」
俺は護衛の小姓や旗本を引き連れて、二之丸南曲輪執務室から二之丸東曲輪にある密談室に移動した。
大拡張した勝幡城だが、本丸の縄張りは広げていない。
城壁や石垣、櫓や塀は強化したが大きさは元のままだ。
大きく広げたのは二之丸からになる。
「お前たちは戻れ」
「「「「「「はっ!」」」」」
二之丸南曲輪を警備する男の小姓と旗本が離れていく。
本丸と二之丸の大半は女武芸者と女忍者が受け持つように変えたのだ。
二之丸で男が立ち入れるのは、南天守閣のある南曲輪だけだ。
本丸と二之丸の東曲輪、北曲輪、西曲輪は江戸時代でいう大奥だ。
奴隷や足軽の女だけを集めて真珠の核入れや椎茸作りをやらせている。
誰にも聞かせられない話は、二之丸東曲輪の密談室でしている。
「若殿、大坂御堂の放火に成功しました」
竹中半兵衛が真剣な顔で報告する。
「そうか、よくやってくれた」
浄土真宗本願寺派の総本山は摂津国東成郡生玉荘大坂の石山御堂こと大坂御堂だ。
どちらで呼ぶのかは人それぞれだが、俺は前世の影響で、そのどちらでもない石山本願寺と呼んでいる。
その本願寺の権威を落とすために放火をさせた。
史実でも燃えているが、俺が命じて燃やしてやった。
夜討ち朝駆け、放火略奪、乱暴狼藉は武家の常道、恥じる事ではない。
勅勘と門跡剥奪によって地の底まで落ちている本願寺の権威を、もっと落とす為に放火させた。
仏の教えを広めているのに二度も火事が起きるのは、仏の教えを踏み躙り、私利私欲を貪っているからだと広めるために放火させた。
俺が放火に踏み切ったのは、二年前に寺の調度品や衣食住をまかなう商工業者の町、寺内町の大半が焼失していたからだ。
今度は寺内町だけではなく七堂伽藍が全て焼け落ち、寺内町も消失して、仏罰だという噂が流れたら、まともな人間は本願寺派を離れる。
それでも本願寺派に残るような連中は、殺しても心が痛まない。
そう考えて忍者軍団に石山本願寺を放火させたのだ。
だがそれだけではない、更なる策を用意してある。
「本当に疱瘡の死者を放り込むのですか?」
俺の策に反対なのだろう、竹中半兵衛が複雑な表情で言う。
半兵衛ほどの智謀の士だから、洋の東西を問わず疫病を流行らせる策が使われていた事を知ってる。
三国志の赤壁の戦いで、曹操軍が疫病で苦しんだ事を知っている。
元が欧州に攻め込んだ時にも、城塞都市に遺体を放り込んだのを知っている。
いや、半兵衛だけでなく、戦国武将の大半が遺体を放置する怖さを知っている。
知っているからこそ、徳川家康は関ケ原の死体を竹中家に始末させている。
家康だけでなく、合戦に勝った側が地域の民に銭を払って死体を埋葬させている。
謀略としてはあり得ると思うのだが、半兵衛が反対なら考え直すべきか?
「その心算だが、反対か?」
正直な話、この世界の常識を完全に理解している訳じゃない。
戦国乱世なので、大抵の事は許されるが、絶対に許されない事もあるのだろう。
改革者である信長が一番身近な手本なので、常識を間違っている可能性がある。
「はい、放火略奪は武家の常道ですが、疱瘡を流行らせるのは流石に……」
「疱瘡ではない、普通の遺体なら良いのか?」
「城攻めの策なら許されますが、帝の和議を受け入れられた後で御堂に疱瘡の死体を放り込むのは、大悪党と言えども……」
「分かった、半兵衛がそこまで言うのなら石山本願寺に死体を放り込むのは止める。
だが、疱瘡を予防する策は続ける。
半兵衛は直接携わるな、別の丈夫な者にやらせろ」
「御意」
俺は疱瘡、天然痘の予防接種を織田家に取り入れた。
俺の居城からは遠く離しているが、疱瘡患者を集めた村がある。
だから疱瘡で死んだ者の遺体を直ぐに手に入れられた。
勉学を重ねて智謀の士となった竹中半兵衛は、明書を取り寄せて説明したら、天然痘の予防接種を理解してくれた。
陳諫の書いた『蓋斎医要』全嬰門・小児痘瘡論を博多商人を通じて取り寄せ、明国の民間治療家で人痘種痘法を行える者を、大金を払って連れて来た。
俺には前世の知識があるので、天然痘の予防接種を知っている。
知っているからこそ、ジェンナーの行った牛痘種痘法の再現は諦めた。
後の遺伝子検査で、ジェンナーが牛の天然痘だと思ったウイルスが、偶然混入した馬の天然痘ウイルスだと知っているからだ。
後の検証で、牛痘ウイルスでは人に免疫を与えられず、馬天然痘が流行していなければ、馬痘ウイルスを確保できなければ、ジェンナーと同じ牛痘種痘法を確立できないと知っていたからだ。
だから、副反応、種痘後脳炎の確率がジェンナーの種痘法よりも高いと知っているのに、人痘種痘法を実行したのだ。
それと、全く前例のない、天然痘にかかった馬の膿を人間の身体を傷つけて埋め込むなんて、主命でも受け入れてもらえないと思ったからだ。
最初は逆らえない奴隷にやらせる方法もあるが、時間がかかり過ぎる。
どれほど探しても、馬天然痘に罹患している馬が見つからないかもしれない。
俺が何時天然痘に罹患するか分からないのに、悠長に時間をかけていられない。
それよりは、明国の物をありがたがる戦国乱世の日本人には、明国の医学書に記載され、民間とはいえ治療家が行っている人痘種痘法の方が受け入れてもらいやすい。
そう思ったから、大金を投じて『蓋斎医要』と民間治療家を手に入れたのだ。
自分が死にたくないのもあるが、やれば防げる疫病を流行させてしまうのは、俺の不完全な良心が許さなかった。
とはいえ、俺は聖人君子じゃない。
自分が最初に人痘種痘法を受けたわけではない。
死んでも構わない犯罪者で臨床実験を行った。
百人以上の犯罪者に行って安全と副反応を確かめた。
俺の居城である勝幡城ではなく、遠く離れた村で始めた。
俺が天然痘に罹患する確率を少しでも下げるために、卑怯だと訴える不完全な良心を捻じ伏せて、遠く離れた村で始めた。
犯罪者の後は、奴隷を使って種痘後脳炎の確率を確かめた。
五千人に人痘種痘法を試しても誰一人種痘後脳炎を発症しなかった。
それはそうだろう、俺の知っている確率は何十万人に一人だ。
そんな低い確率でも、俺が当たる可能性は皆無じゃない。
なので、万が一自分が種痘後脳炎で死ぬ事を考えて、信長に渡す遺書、俺の死後になすべき大戦略を書き残してから人痘種痘を受けた。
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