第39話:暴行

1564年7月19日:織田信長視点


「殿、本当によろしいのですか?」


 村井吉兵衛が取り消して欲しそうに言う。

 愚か者が、管九郎と何度も話し合って決めた事だ。

 いずれは織田家が天下を治めるのだ、一度でも下手に出る訳にはいかん。


「構わぬ、帝の御領所を押領していた将軍の使者になど会わぬ」


「分かりました、しかし叩き出すのだけはお止めください。

 私が上手く言って帰っていただきます」


「ならん、叩き出せ、余も管九郎も頭は下げん。

 相手が誰であろうと頭は下げん、横柄な態度をとる使者は叩きだせ、主命である」


「……承りました」


 将軍が山科郷を返せと言って来た。

 馬鹿が、武家が押領した土地を返す訳ないだろう。

 言われて返すくらいなら、最初から将軍の領地を押領したりしない。


 押領した後で御上に献納したから、更に腹立たしいのだろう。

 自分がやった事を完全否定され、咎められたと思ったのだろう。


 くっ、くっ、くっ、器量の小さい奴だ。

 傀儡なら傀儡らしくしていれば好いものを、身の程知らずな事をする。

 いや、身の程知らずなだけではない、愚かなのだ。


 菅九郎の忍びが集めた話では、安宅一舟軒を狙っているという。

 一舟軒を殺せば、三好家が崩壊すると本気で考えている。

 確かにその考えは正しいが、愚か者、その先が見えていない。


 三好が一枚岩で力あるから、自分たちを殺そうとする将軍を見逃せるのだ。

 棟梁の修理大夫が見逃せと言うから、怒りを押し殺して我慢しているのだ。


 一舟軒が殺されて三好が割れたら、将軍を殺せという奴が必ず現れる。

 割れて力を失った三好では、自分たちを殺そうとする将軍は見逃せない。


 それが分かっていて、山科郷を押領して将軍を苛立させる菅九郎が頼もしい。

 自分の手を汚さずに、三好に将軍を殺させようとしている、頼もしい限りだ。

 あの年で、余など比べ物にならない大悪党だ。


「殿、逸見駿河守殿と粟屋越中守殿が臣従の挨拶に参られました」


 小姓が声をかけて来た。

 本願寺の悪巧みを叩きつぶしてから、臣従の挨拶に来る者が後を絶たない。

 若狭の国衆地侍は、武田治部少輔と武田大膳大夫の親子に分かれて争っていた。


 父親の武田治部少輔の方が敗れたが、加賀一向衆と手を組んで逆転勝利した。

 息子の武田大膳大夫に味方していた国衆地侍は、ほとんど全員根切りにされた。


 だが、余が加賀一向衆に勝った事で、武田治部少輔に味方していた国衆地侍を、ほとんど全員根切りにした。


 僅かに生き残った若狭の国衆地侍が、本領安堵を願ってやって来る。

 やっては来るが、本領が安堵されない事くらい理解しているだろう。

 その程度の事も理解できないような奴を、家臣に加える必要もない。


「城地は全て召し上げる。

 扶持で良ければ召し抱えてやる、好きにせよ」


「「あり難き幸せでございます」」


「真柄太郎左衛門殿と真柄次郎左衛門殿が臣従の挨拶に参られました」


 今度は越前の国衆地侍と会わなければならない。

 愚かな将軍の使者に刻を取られてしまった。

 降伏臣従にやって来た者たちと話す時間も休息の時間も減ってしまった。


 加賀一向衆だけでなく、浅井朝倉の国衆地侍の多くも鉄砲で討たれた。

 鍛え上げた武勇を使う事もできずに死んでいった、哀れである。

 運よく生き残った者が余に臣従を誓いにやってくる。


 真柄兄弟が生き残り臣従に来たのは、織田家にも利がある。

 菅九郎の智謀で圧倒的な兵力を手に入れたが、その兵力を上手く使うための組頭や足軽大将が常に不足している。


 特に先駆けとなって味方を鼓舞する者が不足している。

 智謀などなくても構わない、歯の根が合わなくなるような合戦の場で、勇気を奮って誰よりも前を駆けてくれれば、織田家の役に立つ。


「真柄太郎左衛門殿でございます」

「真柄次郎左衛門殿でございます」


「「戦いを挑んだ我らを家臣に加えていただき感謝の言葉もございません」」


「その方ら兄弟の戦いぶりは天晴れだったと聞いている。

 本領を安堵してやりたいが、他の者たちへの手前もある。

 話は聞いているだろうが、最初は扶持で召し抱える。

 働きしだいで本貫地を返してやる、励め」


「「有難き幸せでございます」」

 

1564年7月21日:織田信忠視点・8歳


「若殿、本当によろしいのですか?」


 竹中半兵衛が確認するように聞いてきた。

 木下小一郎と山内伊右衛門が不安そうな表情で控えている。


「構わない、殿とは話し合っている、叩きのめして放りだせ」


「「「「「はっ!」」」」」


 護衛兼任の小姓たちの中から、伝令役の二人が足早に総構えの城門に向かった。

 俺を殺そうとする者が毎日現れるので、警備がとても厳重になっている。

 だから、将軍の使者であろうと総構えの城門前で止められる。


 将軍の権威を笠にきて、門番に居丈高な態度をとったと聞いている。

 だが、俺の厳命があるので、どれほどの権威を笠にきても通じない。

 無理に押し通ろうとしたので殺しかけたとも聞いている。


 身勝手な将軍の考えている事などお見通しだ。

 将軍家の定石、親兄弟で争わせて織田家の力を削ぐ気だ。


 まだ幼い俺なら意のままに操れるとでも思ったのだろう。

 あるいは、俺の傅役に利を与えて信長に背かせるかだ。


 幼い主君を担いで主家を好き勝手に操るのが、下剋上の第一歩だ。

 将軍がそんな事を繰り返したから、戦国乱世となり民が苦しんでいる。


 そんな将軍の手先に臣下の礼をとるなど、我慢ならない。

 生きて帰すだけでも多大な我慢が必要だった。

 気持ちのまま振舞って良いのなら、家臣に命じて膾切りにしている!


「若殿、尭慧殿と経範殿が参られました」


 小姓の一人が話しかけてきた。

 腐れ外道の手先に時間を取られたせいで、二人を待たせてしまった。


「入ってもらってくれ」


 尭慧と経範が顔を引きつらせて入ってきた。

 将軍の使者をぞんざいに扱ったから、俺を恐れているのか?

 いや、自分を安く見積もり過ぎるな、全てを正確に計って策を立てるのだ!


 俺がこれまでやってきたのは、神も仏も恐れないやり方だ。

 戦国大名化しているとはいえ、仏の教えを説く本願寺を叩きのめしたのだ。


 派閥に分かれて殺し合っているとはいえ、同じ浄土真宗を叩き潰したのだ。

 どんな戦国大名でも勝てなかった加賀一向衆を負かしたのだ。

 尭慧と経範が俺を恐れるのは、宗教権威を破壊したからだ、忘れるな。


 尭慧と経範が長々と挨拶をする。

 円滑な人間関係には必要な物だが、虚飾の多い挨拶は苛立ってしまう。

 前世では我慢してやっていたが、この世界では軽視してしまいそうになる。


 これまでが想像以上に順調だったからと言って、思い上がってはいけない。

 俺がこの世界に転生して、史実と違う流れになっているのだ。

 俺よりも優れた人間がこの世界に転生している可能性を忘れるな。


「若殿、長島一向衆の生き残りが臣従を誓いました」


 尭慧には、全く逃げ場の無くなった長島の一向衆を調略させていた。

 長島一向衆が唯一繋がっていた北畠家は皆殺しにした

 織田水軍に海上封鎖させたので、長島一向衆は逃げ出す事もできなくなっていた。


「長島を明け渡して移住するか、織田家の足軽として働くかに同意したのだな?」


「はい、最初は渋っておりましたが、加賀の一向衆が敗れたと聞き、もうどうにもならないと思ったようでございます」


「長島の一向衆は十万と聞いていたが、何人生き残っている?」


「働き手となるような男の多くが死に、残っているのは女子供が多いですが、七万ほどが生き残っております」


「移住先が決まるまでは足軽として働かせる。

 その方が確実に衣食住を保証できる、そのように伝えてくれ」


「承りました」


「若殿、加賀一向衆の生き残りも臣従を誓いました」


 尭慧の次に経範が報告してきた。

 経範には加賀一向衆の調略を命してあったが、見事に成し遂げてくれた。


 加賀一向衆には高田派から本願寺派に宗旨替えした者が多かったから、尭慧にやらせた方が簡単だったが、それでは連中に自分たちの愚かさが伝わらない。


 高田派から本願寺派、本願寺派から佛光寺派に宗旨替えさせる事で、本人たちに愚かさと欲深さを思い知らせると同時に、周囲にも宗教の下劣さを見せつける。

 宗教など、現世利益の為なら幾らでも乗り換える程度のモノだと思い知らす!


「湊や漁村はもちろん、海沿いの土地は全て織田家の直轄領とする。

 これまで暮らしていた者は、死んだ一向衆の土地に移住させる」


「「はっ!」」


 ひとまずはこれでいい、一向衆の措置はこれでいい。

 一向衆を全員奴隷にすると、これから降伏する者がいなくなる。


 欲深い連中、生き残るために仏を方便に使っていた連中は従うだろう。

 織田家に仕えられるなら、成り上がれるなら、安心して暮らせるなら、足軽にも領民にもなるだろう。


 一気に南伊勢、北近江、若狭、越前、飛騨、加賀と領地が増えた。

 北伊勢と南近江の統治支配も完全ではないのに、実質五カ国も増えた。

 しばらくは内政に力を入れなければならない、外敵には調略と謀略で対処しよう。

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