第35話:開戦
1564年4月20日:織田信長視点
「殿、浅井と朝倉が攻め寄せて参りました」
夜明け前に浅井と朝倉が攻め寄せて来た。
事前に分かっていたから、いささかの手抜かりもない。
「うむ」
奇妙丸の考えで作った旗振り通信という伝令が恐ろしく優秀だ。
騎馬伝令など足元にも及ばぬ速さで、国境の様子が分かる。
しかも、知らせを受けるだけではない。
驚くことに、居城に残ったまま国境の合戦を指揮できるのだ。
まあ、流石にその場にいるほど迅速ではないし、詳細でもない。
臨機応変が必要な合戦の指揮は優秀な者に任せるしかないが、合戦直前までは余の考えで動かせるので、その場にいなくても良くなった。
合戦の現場にいないので、奇襲される恐れも謀叛される恐れも大きく減った。
余が桶狭間で今川治部大輔を討ちとったような事を、恐れなくても良くなった。
旗振り通信よりも遠くから文を送れる伝書鳩だが、鳩が帰る拠点が必要だし、そもそも拠点から密偵のいるアジトまで鳩を送らなければならない。
鳩に託せる文だから、伝えられる内容も少ない。
だが、見張り台を造る必要がないので、旗振り通信よりも秘密にできる。
敵地に潜入している者に密かに使わせるなら、伝書鳩が有用だ。
そのお陰で、若狭に加賀一向衆が集まったのが直ぐに分かった。
「右近将監殿と三左衛門尉殿が浅井朝倉を防いでおります」
浅井朝倉は、右近将監と三左衛門尉の守る城に激しく攻め寄せたが、間断なく放たれる鉄砲玉に、四半刻ほどの僅かな時間で山のような死傷者を残して引いて行った。
「うむ」
刻一刻と敵味方の動きが伝えられる。
今の所、攻め寄せたのは浅井と朝倉だけだ。
加賀一向衆が若狭を出て攻めてきているが、まだ近江には入っていない。
若狭を略奪するのを優先して、約束の日時から遅れた強欲どもだ。
浅井朝倉には旗振り通信のような伝令網がないので、味方が遅れた事を知らない。
「殿、六角が攻め寄せて参りました」
ここまでは、奇妙丸と話し合っていた数ある策の一つだ。
敵が仕掛けて来るであろう策を何百と考えて対策を考えてある。
兵数の少ない六角では、近江に押し入る事はできない。
流民やあぶれ者、野伏の多くは織田が召し抱えている。
本貫地を失った六角が集められるのは、甲賀を中心にした少数だけだ。
やれる事は、甲賀衆を使って勝手知ったる甲賀郡を攪乱する程度だ。
奇妙丸からの旗振り通信では、北畠が北伊勢に攻め込み、長島の一向衆は二手に分かれて尾張と北伊勢に攻めかかった。
浅井と朝倉の別動隊が、関ヶ原から美濃に攻めかかっている。
だが、余と奇妙丸に手抜かりなどない!
「殿、加賀の一向衆が近江に押し入ってきました」
予測通りなら、朽木家は領民と一緒に逃げているはずだ。
将軍家の内談衆である朽木民部少輔は、自家を保つ事に必死だ。
余に敵対する事ができず、だからと言って一向衆から領地を守れるはずもない。
「殿、朽木は逃げ切ったようでございます」
旗振り通信で途切れることなく各地の戦況が入ってくる。
予測通り、朽木民部少輔は領民と一緒に将軍のいる京に逃げた。
一向衆に味方したら将軍と戦う大義名分が手に入ったのだが、残念。
誰もいなくなった朽木領は、加賀一向衆によって略奪され破壊された。
朽木家は逃げたが、他の高島七党は加賀一向衆に味方した。
領地を捨てることができず、領地を守るために加賀一向衆を選んだ。
いや、一度は降伏臣従した余を裏切ったのだ。
本願寺が勝つ、一向衆の方が余よりも強いと思ったのだ。
ふん、余が軍勢を前に出して、若狭と近江の国境で加賀一向衆を迎え討っていたら、高島七党は表向きだけは織田家に味方しただろう。
だが、背後の堅田が蜂起したら確実に裏切る。
そんな連中の為に危地に踏み込むほど、余と奇妙丸は愚かではない。
堅田に一向衆がいるのに、それを捨て置いて前に出る訳がない。
「殿、加賀の一向衆に堅田の一向衆が合流いたしました……」
愚か者共め、お前らから手を出すように仕向けたのを分かっておらぬ。
こちらが万全の準備を整えているのも分からぬ馬鹿が。
「殿、加賀の一向衆が罠にはまりました。
殿が仕掛けられた、米や銭を背負った牛を追いかけて、坂本に襲い掛かりました。
石山から派遣された下間や、堅田の一向衆が必死で止めようとしましたが、殿が坂本に潜り込ませていた者共に繰り返し鉄砲で撃たれ、怒り狂って襲っています」
奇妙丸と話し合った策通りになっている。
三十年近く前、法華衆が暴虐の限りを尽くしていた頃、山科を追われた本願寺と比叡山は、手を組んで法華衆を襲い京から追放した。
だが今近江にいるのは、そんな事とは全く関係のない加賀の一向衆だ。
他人の者を奪う大義名分を得るために、平気で高田派から本願寺派へ宗旨替えするような連中だ。
目の前に銭と米の山を置いて誘えば、目の色を変えて襲い掛かってくる。
鉄砲を撃ちかけ矢を射かければ、怒り狂って襲い掛かってくる。
平時なら本山から送られてきた下間の言う事を聞くかもしれないが、乱暴狼藉で正気を失い、騎虎の勢いがついた状態では止まらない。
「殿、六角の甲賀衆が警戒網を突破しようとしましたが、こちらの見廻り衆が即座に鎮圧しました、ご安心ください」
1564年4月20日:長野信包(織田三十郎信包)視点
ダーン、ダーン、ダーン、ダーン、ダーン……
夜明けと共に北畠勢が襲い掛かって来た。
奇襲を仕掛けようとしたのだろうが、若殿の忍びが事前に知らせてくれた。
未完成の安濃津城が奇襲される事はなかった。
若殿が、総構えの水濠を兼ねた岩田川に、堤防を兼ねた防塁を一番最初に築くように命じられたのは、この時の為だった。
鉛玉も火薬も火縄も、矢も礫も山のようにある。
鉄砲足軽たちには、敵を狙わなくて良いと言ってある。
いつもの訓練で狙っている、決まった場所に放てば良いと言ってある。
若殿曰く、鉄砲は線制圧射撃を行うのだそうだ。
矢と礫は、できるだけ遠くまで放つ面制圧射撃だそうだ。
話半分で聞いていたが、若殿の申される通りだった。
敵を狙う事なく、できるだけ早く放つ事だけを考えた鉄砲の威力は凄まじい。
北畠勢が川の半ばも来れずに死んでいく。
何も考えず早く放つだけの鉄砲は、しばらく使うと銃身が焼けるのが分かってたので、水を入れた桶を大量に用意してある。
用意はしたが、十段に分けた鉄砲隊なら十分な余裕を持って迎え討てた。
北畠は、兵が死傷する事を全く気にせず、繰り返し襲い掛かって来る。
主だった武将は対岸に残って川に入る事も無い。
配下の兵を死地に追い込むだけの卑怯者ばかりだ。
「逃げるな、逃げずに進め!」
「逃げる者は斬る、逃げるな!」
「殺せ、逃げる者は見せしめに殺せ!」
まだ夜が完全に明け切っていないのに、敵兵が臆病風に吹かれた。
だが、これだけ死屍累々の状況ならしかたがないだろう。
「「「「「ぎゃっ!」」」」」
「ギャアアアアア」
「むりだ、こんなの絶対に無理だ」
「にげろ、山に逃げたら追っかけられない」
督戦の為だろうが、川に入る事も無かった奴が、前に出るのを恐れた兵を斬った。
確かに、逃げる兵を放置する訳にはいかない。
下手をしたら友崩れから全面壊走になる。
それを防ぐためには非情な手討ちも必要だが、その前に自分が手本を示せ!
指揮する将が命懸けで先駆けを務めてこそ、兵も勇気を奮って後に続くのだ!
ダーン!
喚き散らして兵を足蹴にしていた指揮官の頭が、柘榴のように爆ぜた。
少し離れた右側で長鉄砲を放った奴がにやりと笑っている。
敵兵とはいえ、兵に対する身勝手な振る舞いが許せなかったのだろう。
私の預かっている足軽たちは、流民だった者や貧農だった者が多い。
織田家が召し抱える前は、生きる為にしかたがなく足軽働きをしていた者が多い。
敵とはいえ、理不尽な将に痛めつけられる足軽を不憫に思ったのだろう。
ダーン!
今度は胸を撃ち抜かれた敵将が倒れた。
敵の足軽たちが鉄砲を恐れて川を渡らなくなったので、各組頭が予定通り狙撃に切り替えたのだ。
ダーン!
伍長が指揮して、一人の武将を五つの鉄砲で狙い撃ちにする。
火縄銃で敵を狙うのは難しいが、五丁で狙えば辛うじて一撃で斃せる。
「ひけ、ひけ、一旦引け!」
次々と主だった武将を射殺され、侍大将が臆病風に吹かれたようだ。
次は自分が射殺されると思ったのか、叫ぶと同時に背中を見せて逃げ出した。
★★★★★★
「三十郎様、川上から雑賀の者共が襲い掛かって来ました」
北畠が逃げ出して四半刻した頃、時間差をつけて奇襲をする予定だった雑賀衆が、川上から襲いかかってきた。
若殿の忍びたちの働きで、どこから誰が攻めてくるか事前に分かっていた。
敵は上手く連絡ができていない。
まあ、北畠にしたら四半刻も持たずに全面敗走したなど、味方とは言え雑賀衆に言えなかったのだろうが、これで敵の中に諍いの種ができた。
「予定通り、ありったけの鉄砲玉をご馳走してやれ」
俺の命令を聞いた伝令が馬に乗って駆けだすが、旗振りには勝てないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます