第32話:海洋貿易と謀略合戦
1564年4月1日:蜂須賀小六視点
「これで五度目だぞ、幾ら何でも回数も船数も多過ぎるのではないか?」
能島村上水軍の大将、村上掃部頭が真っ赤になって言う。
必死で怒りを抑えているが、抑えきれない怒りが顔に出ている。
確かに、百隻もの水先案内料を五回も踏み倒されたら腹が立つだろう。
その気持ちは川賊だった俺にも分かる、よく分かるぞ。
「わしら織田水軍は、帝の勅命を受けて動いているだけだ。
文句があるなら帝か朝廷に言ってくれ、わしらにはどうしようもない」
「うぬぬぬぬぬ、くそ、くそ、くそ」
「掃部頭殿の怒りも分かるが、帝も朝廷も困っておられるのだ。
尊王の心が欠片もなく、御領所を押領する者が後を絶たぬのだ。
将軍家や幕府に何度言っても取り返してくれぬ。
だから仕方なく明との交易を始められたのだ」
「ふん、陸の連中が帝の御領所を押領するなら、水先案内を断った帝の船が、海賊に襲われる事も、荒波にのまれて海の藻屑になる事もあるだろうな」
「そうだな、勅命を受けた俺たちも必死だが、そういう事もありえるな」
襲って来るなら全力で迎え討つと遠回しに言ってやった。
俺と村上掃部頭の睨み合いになったが、ここで戦うのは得策じゃない。
それは村上掃部頭も分かってるはずだが、海賊衆としての面目があるからな。
若殿から、こういう時にどうするかの指示は受けている。
先ずは現実が見えるように、冷静になれるようにしてやろう。
「正体不明の海賊衆でも、俺たちに勝てるくらいの精鋭でも、必ず滅ぶだろう」
「なんだと?」
「毛利家は尊王の心厚く、帝の即位に必要な銭を献納した。
石見銀山を朝廷の御領所に献上している。
そのような毛利家が、帝の船を襲った海賊を見逃すと思うか?」
「うっ!」
「毛利家が見逃したいと思っても、必ず討伐の勅命が下るぞ」
「うぬぬぬぬぬ!」
「討伐の勅命が下ったのを幸いに、襲い掛かって来る海賊衆がいるのではないか?
因島や来島はもちろん、そこら中に能島を狙っている者がいるんじゃないか?」
「グギギギギギ……だから、黙って通せと言うのか?!」
更に真っ赤になって、大きな歯ぎしりが聞こえて来た。
この辺で餌を与えるべきだというのが若殿のご指示だったな。
「黙って通した方が安全だが、村上掃部頭にも大将としての面目があるよな」
「おうよ、俺にも能島衆を率いる大将の面目がある」
「だったら無理に押し通られたのではなく、尊王の心で水先案内をした事にすれば好いではないか」
「だから、水先案内料をもらわねば面目が立たないと言っている!」
「いや、いや、素通りさせるのではない、博多や琉球までお供するのだよ」
「はっ、何を言っていやがる、タダ働きまでさせるきか?!」
「博多や琉球で高値で売れる物を積んで、水先案内すればいい」
「……」
「この辺で高値がつく品を博多や琉球で買って来ればいい」
「……俺らに帝や朝廷の手先になれと言うのか?」
「手先になるのではない、困窮されている帝をお助けするのだ。
王子殿下や王女殿下を寺に入れるしかない帝の苦悩は分かるだろう?」
「……」
「織田家が支援するまでは、底冷えの厳しい京で、満足な炭すらなかったのだぞ。
勅使船を送る事で銭が手に入るなら、帝は何度でも送られるぞ。
それを襲えば、朝敵と言い立てて周囲の者が一斉に襲ってくる。
見逃せば水軍の大将として信を失う。
だったら、同じ船に乗れば良いではないか。
面目も立てば利もある、もしかしたら官位が貰えるかもしれんぞ」
「なに、官位だと?!」
「ああ、我らのような生まれ育ちでは、高位の官職など望むべくもない。
だが、下位の官職ならいただけるかもしれない。
大宰府の官職なら使い勝手がいい」
「使い勝手が良いだと、どういうことだ?」
「大宰府の主船なら、九州の海を自由に動くことができる。
官船なら、湊を使っても津料を払う必要がない。
九州や琉球で手に入れた品を朝廷に献上して、褒美をもらう事もできる。
ただ、褒美をもらうには、長く帝に忠義を尽くす必要があるだろうがな」
「……本当だろうな」
「さあな、全部帝の御心しだい、俺たちはそれを信じて奉公するだけよ」
「ちっ、だから帝や公家は没落するんだ、恩が約束されねば奉公などできん」
「だったら、勅使船を襲って能島衆を朝敵にし、滅びの道を選ぶか?」
「ちっ、官職などいらぬ、京に上って褒美をもらう気もない!
だが、水先案内料代わりの利はもらう。
大宰府までは案内してやる、ついて来い」
水先案内してもらえるのは正直助かる。
主水足軽大将の中には勅使船団が二度目の者もいるが、俺は初めてなのだ。
主水足軽全員に経験を積ますためとはいえ、誰でも初めての海は恐ろしい。
1564年4月1日:織田信忠視点・8歳
「若君、本願寺に疑わしい動きがございます」
織田忍軍の統括する事になった高安範勝が言う。
ずっと滝川一益にやってもらいたかったが、一益が侍大将となって表で働くことを望んだのだからしかたがない。
「それは本願寺だけか、他の大名家に疑わしい動きはないか?」
「ございますが、中心になっているのは本願寺です。
摂津の石山本願寺が北近江の浅井、南伊勢の北畠、皇室と公家衆、何より織田家に仕える国衆地侍に手を伸ばしています。
伊賀衆の話では、越前朝倉と六角にも手を伸ばしております」
「六角だけか、興福寺には働きかけていないのか?」
「今の所はありません」
「三好と将軍家には接触していないのか?」
「はい、目立った動きはございません」
こちらに分からないように上手くやっている可能性はあるが、三好と将軍家は使わない方が良いと、本願寺が切り捨てた可能性が高い。
本願寺は、先代の三好家当主、三好元長を攻め殺している。
切腹した三好元長は、内臓を天井に投げつける憤死をしている。
本願寺は長年に渡って三好家に贈り物を繰り返し、三好長慶を懐柔してきた。
だが、ここで三好に敵対したら、三好は過去の遺恨を思いだすだろう。
いや、今だって忘れていない、腸の煮え繰り返る思いを抑え込んでいるだけだ。
好機だと見たら、本願寺に勝てると思ったら、激烈な報復を行うに違いない。
三好だけは敵に回せない、俺が本願寺の指導者ならそう考える。
三好を敵に回さないのを最優先に作戦を組み立てる。
だが、伊勢長島の一向衆を中心に浅井と朝倉、北畠だけで織田に勝つのは難しい。
勝つためには他の勢力も織田包囲網に加えたいが、三好を敵に回せないのなら、将軍家や若狭武田とは手を組めない。
三好と正面から戦っている者は味方に加えられない。
だとしたら、史実の荒木村重ではないが、織田の家臣を裏切らすしかない。
「分かった、裏切りそうな味方を重点的に見張ってくれ」
「御意」
本願寺の織田包囲網が史実よりも早く始まった。
史実なら四年後に始まる織田包囲網が、今準備されている。
何としても本願寺の作戦を読み切らないといけない。
残っている有力な国衆や寺社はどう動く?
武田と上杉、興福寺と叡山、根来と高野山はどう動く?
浅井、朝倉、北畠はどのような戦略戦術をとる?
北畠は北伊勢だけでなく、大和や志摩にも手を伸ばしていた。
俺と戦っている時に、興福寺の衆徒や春日大社の国民が、これまでの報復に大和から南伊勢に攻め込むような事があってはならない。
本当なら興福寺に味方にして織田を攻めさせたいだろうが、本願寺と興福寺は、信徒という名の財源と兵力を引き抜き合っている競争相手だ。
何より本願寺が絶対に敵に回したくない三好が、大和の支配権を巡って興福寺と戦いを繰り返している、だから興福寺を味方にするのは不可能だ。
だから直接興福寺を味方にするのではなく、興福寺に逃げ込んでいた六角一党に近づいたのだろう。
同じように、三好と戦っている畠山も味方にできない。
三好長慶は、大切な長弟の三好実休を畠山との戦いで討たれている。
俺に味方しないように働きかける事はできても、同盟は結べない。
いや、この考えは危険だ、前世の常識は捨てるんだ、この世界は冷徹だ。
私利私欲の為なら親も子も殺すのが戦国の世だ。
自分が生き残るためなら、仇の足の裏でも舐める世界だ。
三好が、本願寺や畠山への恨み以上に織田を危険視している可能性はある。
三好長慶はともかく、三好義継が転生者の可能性がある。
三好と将軍家、興福寺と叡山、根来と高野山、若狭武田と丹後一色、畠山と伊賀衆、武田と上杉が全部織田包囲網に加わる事も考えておかなければならない!
だが、そんな織田包囲網は絶対に作らせない。
最悪の状態を想定して、そうさせないように織田家も調略しなければならない。
多少の妥協をしてでも、味方にする奴を選ばないといけない。
帝と朝廷は織田と本願寺を天秤にかけているが、無視しておく。
俺が帝や朝廷に執着していると思われたら、帝を利用しようとする奴が現れる。
俺が帝や皇室に手を出せない事を悟られてはいけない。
敵にも味方にも、帝や朝廷を便利に利用しているだけだと思わせないと、帝と皇室を危険に晒す事になる。
本願寺の織田包囲網を、織田を滅ぼすほどの危険なモノにしないためには、三好を加えさせないのが一番だろう。
三好さえ加わらなければ、俺と信長なら十分撃退できる。
何より、三好には足利義輝を殺してもらわないといけない。
それまでなら三好と同盟しても構わない。
「馬引け、観音寺城に行く、父上に先触れを送れ!」
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