第31話:盲を払う
1564年3月23日織田信忠視点:8歳
「私たちが愚かでした。
本願寺の教えが私利私欲だった事を、全く気が付いていませんでした。
若君、尭慧様、経範様のお話を聞かせていただき、盲が晴れました。
もう二度と間違いません。
仏の教えを伝える者が、帝の御領所を押領するなど絶対に許されません」
三河の一向一揆で松平家康に歯向かった家臣たち。
その中で家康の下に戻らなかった者を召し抱える事ができた。
その代表として、本多正信が臣従の挨拶をしてきた。
こいつらを家臣に迎えるのには少々手間をかけた。
本願寺が桑名御領所を押領していたという偽の書簡を複数用意して、帝を動かて本願寺の門跡を剥奪してもらった。
勅勘による門跡剥奪で、本願寺の権威と信用は地の底にまで落ちた。
そんな連中の為に主君を裏切り戦友と殺し合った事実が、一揆に加わった国衆地侍を打ちのめしたが、そこに同じ浄土真宗の尭慧と経範に手を差し伸ばさせた。
知らずに悪事を働いてたのに気が付き、心が弱っている時に、自分が悪いのではではなく騙されていただけだと言われたら、その言葉にすがりたくなるのは人情だ。
一揆で勝っていれば別だが、本願寺の教えに従って無残に負けたのだ。
主君に背き親兄弟に刃を向け、戦友を殺す凄惨な一揆で負けたのだ。
本願寺派の教えが間違っていたと思い込みたくなる。
三河一揆に加わって打ちのめされた国衆地侍は、高田派か佛光寺派に転んだ。
その後で俺が松平家と同じ扶持で召し抱えるという話をした。
織田家も数だけはいるのが、優秀な下級中級指揮官が少な過ぎる。
だったら、俺が警戒している武将から家臣を引き抜くのが一番効率的だ。
まずは一向一揆で家臣が殺し合った松平家から引き抜く。
最低でも伊勢長島の一向衆に合流しないようにしたかった。
家康の所に戻すのは危険だった、だから帝を利用した。
松平家から引き抜けた主な武将は、前世で徳川家康の謀臣だった本多弥八郎正信。
本田正信の弟で武勇の誉れ高い本多三弥正重。
松平家で槍の半蔵とまで褒め称えられる渡辺半蔵守綱。
他に俺が名前を憶えている武将は蜂屋半之丞貞次、矢田作十郎助吉、筧平四郎正重、加藤三之丞教明、酒井将監忠尚だが、他にも多くの下級中級指揮官を得た。
彼らには毎日新たに編成される足軽組を率いてもらう。
今日も周辺国から流れてくる者を集めて足軽組が編成されている。
餓死したくなくて、少しでも豊かな暮らしがしたくて、人が集まって来る。
1564年3月23日:目々典侍視点
「何を申している、そのような事は許されぬ。
臣籍降嫁と同じだ、女院も例外中の例外だ」
春齢の事を帝に頼んでみましたが、叱られてしまいました。
「私が愚かでした、申し訳ございません」
「分かっている、春齢が不憫で周りが見えなくなっていたのであろう。
謝らなくてもよいが、与える荘園があっても女院にはできぬ」
「はい……」
「それで、織田が荘園を渡すというのは本当なのか?」
帝が私に聞かれましたが、答えようがありません。
「申し訳ございません、私では答えられません」
「そこな者、そなた織田の手先であろう、答えよ」
「尾張に戻って確かめないと確かな事は申せません」
「では直ぐに戻って確かめて来い」
「承りました」
1564年3月23日:織田信忠視点:8歳
内裏から急ぎの鳩が飛んできた、帝が密偵を問い詰めるとは思わなかった。
帝や朝廷に何をどれほど献納するかは、以前から信長とよく話し合っている。
だが、もう一度話し合わなければならない。
親子だからと言って油断したらとんでもない事になる。
武田家のように親子で家督争い、殺し合うなど絶対に嫌だ。
信長と話し合う前に、帝に何をどれだけ渡せるかもう一度考える。
まだ手に入れていない国にある元御領所なら全て渡せる。
後腐れがないように、押領していた国衆地侍を根切りにすれば良い。
尾張美濃だと、譜代や味方してくれた国衆地侍から奪わないといけないから、天下を取るまでは無理だ。
攻め込む大義名分、勅命をもらえるのなら、若狭、越前、大和、南伊勢、紀伊からなら各二千貫を献納しても構わない。
特に南伊勢、伊勢神宮の領地を取り返す大義名分があれば織田に大きな利がある。
北畠は戦国三国司の一つだが、南朝系だから滅ぼすのに同意してくれるはずだ。
ただ、伊勢神宮の領地を取り返したとしても、帝と目々典侍殿に直接の利がない。
伊勢神宮の領地とは別に、帝にも領地を献上する方法がある。
安芸毛利家が行った、毛利家の代官支配を認める代わりに、石見銀山を帝の御領所とするような方法だ。
いや、だめだ、伊勢は帝よりも伊勢神宮に与えた方が良い。
ただ、今伊勢神宮を支配している連中ではなく、俺の意のままになるなる者たちを新たな伊勢神宮の支配者にしてから与える。
よし、伊勢神宮の斎王と斎宮寮を復活させよう。
先代が伊勢神宮の遷宮に材木と銭七百貫文を献上している。
信長が伊勢神宮に支援しても疑う者は少ないだろう。
斎王と斎宮寮を復活できたら、今権力を持っている神官や有力者が逆らったとしても、根切りにする大義名分をが得られる。
公家や地下家が務める役職以外は織田家の家臣に独占させればいい。
いや、困っている地下家に養子を送り込んで乗っ取る方法もある。
何より、松坂湊と大湊を斎王の御領所にしたら、神船を復活させられる。
帝の勅使以外に水先案内料や関所料を払わずに済む手段が手に入る。
勅使の時のように百隻の船団を組んで博多や琉球にまで交易に行けたら、十万貫以上の利があり、二千貫程度の礼など安いものだ。
こちらには大きな利があるが、問題は帝や目々典侍殿が喜んでくれるかだ。
目々典侍殿は春齢女王殿下を還俗させたいのだから、喜ぶわけがない。
昨年お生まれになった永尊女王殿下を寺に入れなくてすむように、俺たちと交渉するに違いないが、領地や銭は与えられるが嫁ぎ先は用意できない。
帝や朝廷に臣籍降嫁を強要する気はない。
臣籍降下の先が織田家ではなく摂関家であろうと、強要する気はない!
銭の支援ならいくらでもするが、結婚相手くらいは自分で見つけてもらう。
斎王や斎宮寮を復活させるだけなら目々典侍殿や飛鳥井家にこだわる必要はない。
先代からの付き合いがあるとは言っても、互いに利用するための関係だ。
次期帝を生んだ新大典侍殿に近づく事にしよう。
新大典侍殿も実家の万里小路家も、帝が渡られず危機感を持っているはずだ。
目々典侍殿に俺たち織田家がついた事に危機感を持っているはずだ。
これで目々典侍殿に男子が生まれたら、誠仁親王殿下が帝の跡を継げるかどうか分からなくなってくる。
織田家が支援すると言ったら喜んで協力してくれるはずだ。
誠仁親王殿下を取り込めれば、次世代の帝を味方にできるかもしれない。
史実では今の帝よりも先に亡くなられたが、この世界ではどうなるか分からない。
帝を害する事も廃する事も、皇統を捻じ曲げる気もない以上、全ての皇族を味方につけておく方が安全確実だ。
最終的には帝が認められるかどうかだが、恐らく認められる。
これまでの言動を考えれば、皇室や朝廷に利が有るなら認められるはずだ。
斎宮寮で公家や地下家が務める役職は少ないが、それでも二十六人が役につける。
番上程度の役職で良いなら、百人は役に付ける。
女官や下働きまで含めれば、六百人近い人間が斎宮寮で働ける。
実際には、公家や地下家が務める役以外は織田家の者が務めるが、斎宮寮を織田家が丸抱えすれば伊勢統治の大義名分が立つし、役がもらえる公家は味方になる。
名門北畠家を滅ぼしても表立って非難できる者がいなくなる。
実利と大義名分、どちらを考えても斎王と斎宮寮は復活させるべきだ。
だったら、少々の先行投資はすべきだろう。
伊勢神宮だけでなく、下賀茂神社と上賀茂神社の斎王も復活させよう。
両加茂神社の斎王なら京を離れる事がない。
結婚が決まるまでの間、一時的に役目を務めれば良い。
本人も家族も伊勢神宮の斎王を務めるよりは楽だ。
だが、まずは伊勢神宮の斎王からでないと、神船の派遣が難しい。
俺の記憶はもちろん朝廷から手に入れた記録にも、京にある両加茂神社が神船を派遣していた記述はない。
それに俺の支配下にある湊と水軍は太平洋側にしかない。
若狭の武田なら比較的簡単に滅ぼせるだろう、小浜湊を織田家に拠点にする。
両加茂神社の斎王が出す神船は、小浜湊から出したい。
両加茂神社に問い合わせて確かめないといけないが、伊勢神宮の神船による交易が成功したら、帝も両加茂神社も喜んで神船の地方派遣を認めるだろう。
斎王や斎宮寮、伊勢神宮や両加茂神社が必要としているモノを、神船を派遣して集めると言えば、皇室と朝廷の権威だけでなく宗教権威まで加わるのだ。
大名国衆はもちろん海賊でも津料や関所料は取れない。
いや、必要なモノを正当な値で買ったとしても、莫大な利益が手に入る。
その中から多少の利を与えれば、湊を支配する領主はもちろん海賊衆も、喜んで神船を迎えるだろう。
気をつけないといけないのは、交渉のやり方、手札の使い方だ。
これを間違えると、使う費用も手に入る利も大きく違ってくる。
まずは、織田家の銭で伊勢神宮の斎王と斎宮寮を復活再建する事を条件に、伊勢神宮の神領を押領している北畠家討伐の綸旨をもらう事だ。
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