第27話:銭を積む
1563年12月20日:目々典侍視点
「ようお渡りくださいました。
大したおもてなしはできませんが、精一杯お世話させていただきます」
今日も帝が私の部屋に来られました。
織田家から貴重な贈り物が届くようになって、毎日のように来られます。
海老の油滋に夢中になられたのが大きいですが、それだけではありません。
「うむ、今日も頼んだぞ」
「はい、熱い笹をお持ちしなさい」
「はい、ただ今お持ちいたします」
織田家から手伝いに派遣されてきた者が、炭を惜しみなく使って熱くした笹を、馥郁とした香りを放つ燗酒を運んできます。
織田家の支援を受けるようになるまでは、底冷えする京の冬が辛かったです。
実家が苦心惨憺して送ってくれる炭を、できるだけ切り詰めて使っていました。
大聖寺に入った春齢が寒い思いをしているのではないかと、胸を痛めていました。
「これを御召ください」
「うむ、何時着ても温かいな」
帝が織田家から送られてきた綿入れ褞袍に袖を通されます。
貧しい皇室では、温かい防寒具や寝具を買う事もできないのです。
いえ綿入れ褞袍どころではありません。
織田家が送ってきてくれた夜着も綿布団も生まれて初めて見ました。
織田家が送ってくれる澄酒目当てで頻繁に渡られていた帝ですが、流石に正室格の新大典侍殿を全く無視する事はでません。
なので五日に一度は新大典侍殿の所に渡られていました。
ですが、京の寒さが厳しくなると、帝はここにしか渡られなくなりました。
炭をふんだんに使える事、綿入れ褞袍がある事も大きいですが、ここに夜着と綿布団があるのが何より大きいです。
帝が御自身の部屋で使われている寝具は、板の寝台に畳を重ねた物です。
井草で編んだ畳表と薄い藁床で作られた物が畳です。
一枚だけでは下の寝台が寒くて眠れないので、何枚も重ねるのです。
そこに身体を横たえて、その日着た着物を身体にかけて眠るのです。
これまで私が使っていたのは、畳五枚の寝具でした。
帝が渡ってくださるように、実家が爪に火を灯すようにして揃えてくれました。
それが当たり前の寝具だったのですが、京の底冷えする寒さが辛かったです。
手持ちの着物を何枚も上に重ねないと、とても眠れない寒さでした。
それが、織田家が送って来た綿布団に身体を横たえると寒くないのです。
綿布団と一緒に送られてきた夜着を着て寝ると、全く寒くないのです。
夜着とは、たくさんの綿を詰めた着物です。
綿入れ褞袍よりもたくさん綿を入れてあるので、動き難いくらいです。
帝と私が着ている綿入れ褞袍とは別に送ってくれました。
その日着ていた着物をかけるだけだった頃は、肩が外に出て寒かったです。
身体と着物、畳と着物の隙間から冷気が入って来て凍えていました。
ですが今は、全く寒くないのです、帝がここに渡って来られるのは当然です。
「今日は鴨と軍鶏、勇魚と鱧、鼈と鯰がございます」
「なに、鴨があるのか、葱もあるか?」
「はい、ございます」
「では鴨葱だ」
「承りました」
じゅうううううう
鴨の脂で葱が焼かれる美味しそうな香りが部屋中に満ちます。
部屋の中で料理をするのは行儀が悪ので、本来なら厳しく𠮟りつけるのですが、叱れません。
帝が認められているので、私が叱る訳にはいかないのです。
帝は清廉潔白な方ですが、意地を張って苦しむような事はされません。
どうしても必要なら、官位欲しさの武家献金でも受け取られる方です。
だからこそ、践祚からたった二年で即位の礼を挙げられまいした。
先の帝、後奈良院は清廉潔白なあまり、宸筆の書を売らなければ日々の生活に困るほど困窮されました。
先々代の帝、後柏原院の頃も皇室の困窮が激しく、践祚されてから即位の礼を挙げるまで二十一年もかかっているのです。
後土御門院が崩御された時は大葬の費用がなく。四十日も放置され、とても酷い状態になったと実家の日記に書いてありました。
帝が武家の献金に目を瞑られるのも当然です。
その程度の事で意地を張っていては、即位の礼は今もできていませんでした。
最低限にまで減らした朝廷の儀式ですが、それもやれなくなっていたでしょう。
「そういえば、織田の頼みで勅使にした権中納言はもう大宰府に着いた頃か」
「無理な願いを聞いていただき、感謝の言葉もございません」
「構わぬ、朕にも皇室にも大きな利益のある事だ。
ただ勅使を送るだけで、朕と権中納言に五百貫ずつ納めると言う。
勅使にしなくても、都では暮らせぬ者たちが地方に下向して行く。
宇津に山国荘を押領され、臣に満足な扶持も渡せぬ朕には断れぬ」
「腹立たしい事でございます」
遠国の御領所をほぼ全て地頭に押領された皇室と朝廷にとって、僅かに残された御領地の一つ、山国荘から届けられる貢納はなくてはならない物でした。
それを、野蛮な宇津が押領したのです。
帝と朝廷が、何度も将軍や幕府に申し付けても返さないのです!
腹立たしく、帝がおいたわしくて、涙が流れます。
私が織田の願いを断れないのも、元をたどれば宇津の所為です。
いえ、宇津程度の家臣も抑えられない足利や幕府の所為です!
ですが織田も地頭、信用できません、博多に行かれた兄上はご無事でしょうか?
一度尾張に下向されてから、船で博多にまで行かれると手紙に書かれていましたが、何事もなく大宰府に辿り着かれたでしょうか?
腹立たしい事ですが、信じられなくても、織田家を頼るしかありません。
織田家からもたらされる五百貫の礼金は、飛鳥井家にはとても大きいのです。
いえ、同じく勅使に任じられた山科権大納言殿にも大きいはずです。
勅使二人を任じた御礼として、織田家から帝に千貫文が送られました。
そのお陰で滞っていた儀式の幾つかができます。
この度は二人だけですが、山科権大納言殿と兄上が無事に戻られたら、親戚筋の公家が何人も勅使に選ばれる事になっています。
飛鳥井家では、出家した兄たちの子供を養子にして勅使にする予定です。
父上の正室の実家、丹波家からも勅使が選ばれる事になっています。
山科権大納言殿の子息が養子に行かれた薄家、正室の葉室家からも勅使が選ばれる予定ですが、今川とつながりのある中御門家は選ばれません。
親戚筋でも、織田家と争っている武家と縁が深い家は、選ばれません。
船旅は危険ですが、兄上からの手紙では、百隻を超える大船団だとありましたので、少しは安心できます。
兄上たちは、帝が明の皇帝に交易を申し込むための勅使という触れ込みで大宰府まで行くのですが、実際には織田家が博多や琉球で交易するための船団です。
建前が帝と明国皇帝との交易なので、海賊衆に水先案内を強要される事も、関所で税を取られる事もないと織田家は言っていますが、本当でしょうか?
もっと不安なのは、姉上が嫁がれた朽木家を紹介してくれと言われた事です。
父上が主になってくれますが、典侍として手伝って欲しいという手紙が来ました。
姉上は夫に先立たれて頼りにする方がおられないのです。
朽木家では何の力もないと手紙に書いてありました。
そんな姉上に無理な願いはしたくないです。
朽木家の実権は、甥の弥五郎でのではなく舅殿が握っていると聞いています。
舅殿は、憎き足利将軍家で内談八人衆を務めているのです。
できれば係わりたくないのですが、春齢の還俗をちらつかされては断れません。
「どうかしたのか?」
「申し訳ございません、春齢の事が気になって」
「そうか、あの子には不憫な事をした。
朕の子供に生まれたというのに、内親王にもしてやれず、大聖寺に入室させるしかなかった、そなたにも哀しい思いをさせてしまった」
「とんでもございません、帝の哀しみに比べたら些細な事でございます。
宇津に押領された山国荘を取り返すどころか、内裏警固をしていた山科郷を足利将軍家に押領されたのです、内裏を守ってくれる者がいなくなってしまったのです。
その怒りと哀しみはいかほどだったか……」
「やめよ、もう過ぎた事だ、織田が新たに献納してくれると言うのだ。
それをよろこべばいい、さあ、そなたも一献飲め」
「頂戴いたします」
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