第26話:圧倒
1563年10月13日織田信忠視点・7歳
「余が織田上総介である、忠誠を尽くす者には恩賞を取らす、励め」
観音寺城を臨時の居城にした信長は、降伏臣従に集まった近江衆に向かって、そう言ったそうだ。
俺はその時、信長と同時に殺される事がないように、安土山にいた。
近江を織田の物にするべく、史実よりも早く安土城を築いていた。
観音寺城の支城である箕作山城を一時的な拠点にする事も考えたが、俺だけで二万の足軽、信長の足軽も含めたら七万もの軍勢がいる。
それだけの人数を遊ばせておくのはもったいなさ過ぎる。
何かさせておかないと、質の悪い足軽は近江の民に乱暴狼藉をする。
だから、信長を守るために観音寺城に詰めている三万兵以外には築城させている。
彼らが、築城作業をしつつ十重二十重と俺の護衛をしている。
古参の甲賀者と伊賀者、元牢人を取立てて編制した、ある程度は信頼できる旗本衆が側近くを護ってくれている。
「管九郎様、六角親子を殺さなくてもよいのですか?」
滝川一益が確認してきた。
「構わない、合戦の場でなら容赦なく殺すが、今は見逃す。
興福寺に逃げ込んだ者を謀殺したら評判が悪くなる」
六角親子は京の足利義輝将軍を頼らなかった。
兵力の無い将軍を頼っても、三好に殺されるだけなのを分かっているのだろう。
六角の敵は織田だけじゃない。
六角定頼の代から争っている三好が、落ち目の六角を見逃す訳がないのだ。
北への道を織田家に塞がれているので、娘の嫁ぎ先である能登畠山家は頼れない。
能登畠山家と本家争いをしている尾州畠山家と総州畠山家は信じきれない。
だから、大和の主導権を巡って三好と争っている興福寺を頼ったのだ。
「承りました、暗殺しないのなら、我らは何をすればいいでしょうか?」
「近江衆の動向を調べてくれ、万が一にも謀叛が起きないように調べてくれ」
「承りました、それだけで良いのですか?」
「これまで通り、浅井を調べてくれ」
「それは古参の甲賀衆や伊賀衆が調べています。
浅井の奇襲を許すような事は絶対にありません」
「浅井の後ろ盾になっている越前の朝倉と、六角家から正室が嫁いでいる若狭の武田家にも人を入れてくれ」
「皇室や公家たちの探りも強化するのですよね?」
「ああ、できるだけ多くの人手を送ってくれ」
「朝倉と武田は、新たに雇われた伊賀衆を使っても良いでしょうか?」
「構わない、幾ら銭がかかっても構わない。
他家の依頼を受けられないように、三人の棟梁がもう無理だと言うまで使え」
「承りました、朝倉は服部に、武田は藤林に、興福寺と六角は百地にやらせます。
これまで通り、浅井、伊勢衆、三好、皇室と公家、松平と今川、尾張美濃近江は古くから管九郎様に仕えている甲賀衆と伊賀衆にやらせます」
「いつの間にか調べる敵の数も地域も広がっているな、人手は足りているのか?」
「多くの孤児を配下につけてくださいましたので、数は足りております。
ですが手練れと言える者が少なく、思うように探れません」
「そうか、無理をさせていたのだな、分かった、危険を冒す事はない。
遠慮せずにもっと銭を使え、銭で主君や友を売る屑はいくらでもいる。
技ではなく銭で敵の様子を買い集めろ」
「承りました、遠慮せず銭を使わせていただきます」
1563年11月15日織田信忠視点・7歳
俺は周囲の様子を探らせて、安全を確かめてから勝幡城に戻った。
信長は観音寺城に居座り、周囲に睨みをきかせている。
五万の足軽を上手く使って安土に城を築き続けている。
俺も信長も馬鹿ではないので、観音寺城と勝幡城が分断されないようにした。
観音寺城と勝幡城の間にある重要な城に、信頼できる者と大軍を置いた。
織田家中での席次や血縁の濃さ、忠誠心を考えて預ける城を厳選した。
近江から美濃への撤退路を確保するために、百済寺の対山に堅固な城を築き、前田慶次の率いる五千の足軽に守らせた。
浅井長政の奇襲を警戒して、浅井方の肥田城や佐和山城を抑えるために、山崎山に堅固な城を築き、池田勝三郎の率いる五千の足軽に守らせた。
信長の叔父である織田孫十郎信次は守山城を守っている。
信長の庶兄である織田信広は清州城を守っている。
信次は間違って甥の織田秀孝を殺しているし、信広は信長に謀叛した事がある。
心からは信じられないが、露骨に待遇を悪くすると再度謀叛するかもしれない。
だから何があっても即座に対処できるように、俺の目が届く所に置いておく。
一番重要な岐阜城は、誰よりも信頼できる織田三十郎信包に任せた。
信長の弟の中では最も信頼でき、俺の傅役の一人でもあり、最適な人選だと思う。
織田家が六角家を近江から追い出した直後だ。
旧六角家家臣団は掌握できていない、心からの忠誠心は得られていない。
織田家の敵から見れば攻め込む好機なのだが、浅井も三好も若狭武田も攻め込む気配がない。
まあ、浅井は俺の仕掛けた謀略で家中がガタガタになっている。
とてもではないが、外には討って出られない。
浅井久政が浅井長政を疎ましく思っていたのは間違いない事だ。
表立って噂が流れたから、急いで長政を謀殺しようとするかもしれない。
少なくとも次男浅井政元の側近たちは、成り上がりを目指して暗躍している。
一方の浅井長政と側近たちも警戒している。
織田と戦っている間に、背後の父や弟に裏切られたらどうしようもない。
家臣の誰が父や弟に通じているか分からないので、長政も身動きが取れない。
三好長慶は、不幸が重なって近江に攻め込める状況ではない。
不幸の始まりは、自身が病にかかり陣頭に立って戦えなくなった事。
その状況で、一昨年の四月に三弟の十河一存が病死してしまった。
昨年三月には、最も信頼する長弟の三好実休が討死してしまった。
何よりも三好長慶を打ちのめしたのは、多くの人に英邁と称えられていた、たった独りの実子、三好義興を失った事だ。
前世で読んだ多くの本では、病死なのか謀殺なのか分からないと書かれていた。
松永久秀が謀殺したと言う悪評があったが、違うと思っている。
謀殺を実行するとしたら、松永久秀ではなく足利義輝だろう。
実際問題、足利義輝は何度も三好長慶を殺そうとしている。
だが本当に三好家を滅ぼす気なら、高齢の長慶ではなく若い義興を狙うはずだ。
本能寺ではないが、長慶と義興を同時に殺すべきだ。
三好義興を失った長慶は後継者問題で苦悩した。
血縁順で選べば、戦死した三好実休の長男を選ぶ事になる。
後見人の強さで選べば、知勇兼備で人望が高い次弟、安宅冬康の長男になる。
いや、現実を見据えたら、若輩の甥たちではなく老練な安宅冬康を選ぶべきだ。
だが史実の三好長慶は、血縁では最も順番が低く、後見人となるべき父親、十河一存が既に亡くなっている、十河重存を後継者に選んだ。
母親が九条稙通の娘だから、血筋の良さから選んだのだと思う。
そういう判断になってしまうのは、三好長慶の苦しい人生経験がある。
自分の血筋が悪く、細川家の家中でも足利幕府の中でも徹底的に嫌われた。
嫌われたのは長慶だけじゃない、父や祖父の代から嫌われ不当に扱われてきた。
どれほど忠誠を尽くしても、大きな武功を重ねても、血筋の悪さが影響して、正当に評価してもらえなかった。
京の人間が、他国者を見下し蔑み不当に扱うのは何時の時代も同じだ。
だったら、どうせ誰を後継者に選んでも家中がもめるから、幕府や朝廷を相手にしても血筋に問題がない、九条摂関家の血を受け継ぐ十河重存を選んだのだろう。
だが三好長慶の目算が甘かった、思っていた以上に家中がもめた。
三好長慶の直臣、阿波三好家、安宅家が激しく不満を訴えた。
家臣たちは、武家の後継者を公家の血筋で選ぶ事に激烈な拒否反応を示した。
最愛の息子を失った三好長慶は判断能力が落ちていたのだろう。
身近な手本、細川政元が養子に迎えた九条政基の次男細川澄之と、一族から養子に迎えた細川澄元や細川高国が、家督を巡って殺し合った史実を参考にすべきだった。
一族の者を自分の養子に迎えなければ大丈夫だと思ったのだろう。
同じ甥の後継者候補でも、一人だけ養子に迎えて明確な意思を示せば、家臣たちも納得してくれると思ったのだろう。
三好長慶は、武家が武家の血筋に重きを置いている事を忘れてしまっていた。
家臣たちが安宅冬康を頼りにしている事を重視すべきだった。
そんな家中を治めるために、病の三好長慶は全力を注がなければいけない。
最愛の息子を無くして心を病んだ状態で、家中を纏めようと必死だ。
とてもではないが、近江に攻め込める状態ではなかった。
本当に、本当に三好家と三好長慶は運がない、運気が落ちている。
十河一存が生きていたら、十河重存を後見して三好家を盛り立てただろう。
三好実休が生きていたら、三好長慶も順当に三好長治を選んでいた。
天下を取って後継者に跡を継がせるのは本当に難しい。
長命でなければ厳しいし、運がなければどうしようもない。
そんな三好家の不幸は俺にとっての幸運で、有効に利用しないと俺の運が尽きる。
最後の若狭武田だが、石高が十万石にも満たない弱小で、内乱で疲弊している所を越前の朝倉や丹後の一色に狙われているので、とても織田家に戦いは挑めない。
「管九郎様、ただいま戻りました」
「良く戻った、内裏の方はどうなっている?」
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