第21話:インフレーション
1563年6月10日織田信忠視点・7歳
「管九郎様、今日の利益でございますが……」
今日も竹中半兵衛が商売の利益を報告に来てくれる。
補佐役の生駒八右衛門家長と見習の木下小一郎が背後に控える。
本来なら大切な資金源は伯父の生駒家長に任せるのが人情だ。
能力よりも信用信頼を重視して親族に任せるのが戦国の常識だ。
だが、仕事量が膨大で計算能力が必要な財政は、実力を優先するしかない。
家柄最優先だった徳川幕府でも、計算もできない馬鹿では何もできないので、勘定奉行所だけは実力優先だった。
見習にしている木下小一郎は、史実の豊臣秀長だ。
信長から足軽の差配を許されて直ぐに、使者を送って召し抱えた。
豊臣秀吉が天下を取れた理由の何割かは、弟に秀長がいたからだ。
史実の豊臣秀吉、木下藤吉郎には全力で働いてもらいたい。
働いてもらいたいが、同時にとても警戒している一人でもある。
本能寺の変の黒幕が豊臣秀吉という説があったからだ。
だからこそ、木下藤吉郎の軍師と言われた竹中半兵衛を手元に置いている。
川並衆も藤吉郎の与力にせずに直臣とし、更に海賊衆にして遠ざけた。
更に誰よりも頼りにするであろう小一郎を、独り立ちさせて俺の直臣にした。
「ずいぶんと利益が増えたな、物の値に影響していないか?
領民が食べる雑穀の値が高くなり過ぎていないか?」
「三カ月前より五割ほど高くなっております」
「領民は不満に思っていないか?」
「管九郎様が始められた飯付きの川普請が良き策でした、不満は広まっていません」
俺は史実の信長に見習って、幕府大名が自領内で禁じている鐚銭の使用を認めた。
この世界の信長に相談してから、織田家領内での鐚銭使用を認めた。
なので、他領では表立って使えない鐚銭が、ほぼ全部尾張美濃に集まった。
通貨量が急激に増えたので、尾張美濃はインフレになり好景気となった。
好景気は良いのだが、無制限に物価が上がると民が苦しむ、特に貧民が苦しむ。
前世で読んだ公家の日記には、信長が鐚銭などの使用を認めてから物価高になり、生活が苦しくなったと書いてあった。
俺の理想を実現するためには、軍資金を稼ぐのはとても大切だ。
鐚銭の領内使用を認めるだけで、周辺大名が蓄えている銭の価値を激減させ国力を低下させられるので、物価高は必要な事だ。
だがそのために、領民が飢えに苦しみ餓死するようでは本末転倒だ。
良心も痛むが、理想を実現させるために必要な人口が減ってしまう。
だからといって、飢える者に炊き出しなんてできない。
そんな事をしたら敵にも家臣にも甘い人間だと舐められる。
戦国時代は舐められたら終わり、敵が攻め込み家臣が謀叛を起こす。
なので、貧民に使って普請を行い銭と飯を与えた。
織田家の機動力を高め、農業生産力を高め、日本有数の暴れ川である木曾三川の氾濫を防ぎ有効利用するために、毎日川普請を行っている。
物価高に応じた利益を上げられない領民も、これで最低限の生活ができる。
「そうか、値上がりの影響は、近江や伊勢、三河にも広まっているのか?」
「はい、周辺の国でも物の値が三割ほど上がっております。
管九郎様の狙い通り、本来残しておくべき兵糧米も手放しております」
俺は以前から兵糧になる米を全国で買い集めていた。
その影響で、米価だけでなく他の穀物も全国的に値上がりしていた。
その上がっていた値から、更に五割も値上がりしている。
とはいえ、一番物の値が高いのはインフレが起きている尾張美濃だ。
凶作や不作の地域は別だが、普通の地域と比べると尾張美濃が突出して高い。
周辺の地域でも値は上がっているが、それは尾張美濃で売って利が出る範囲だ。
輸送費や関所の通行税、商人の利益を考えれば、三割高は妥当な値だ。
だがその三割高が、国衆地侍、足軽や民の心を惑わせる。
本来なら残しておくべき穀物まで商人に売ってしまう。
城の兵糧米や村の備蓄穀物を盗んで売ってしまう者まで現れている。
城の兵糧米を盗んでも、誰が盗んだか分からなければ処罰されない。
とはいえ、城主や領主は兵糧米が無い状態ではいられない。
商人から買うか、領民から追加の年貢を取立てる事になる。
臨時年貢……それでなくとも性根の腐った村人に備蓄穀物を盗まれているのだ。
村で貧しい生活をしている者に臨時の年貢など納められるはずもなく、女房子供を奴隷に売るか、田畑を捨てて逃げるしかなくなる。
「他国から逃げてきた民は悪事を働いていないか?」
川普請で働いているのは以前から住んでいる領民だけではない。
盗みがバレて他国から逃げて来た元足軽や元農民もいるのだ。
女房子供を売るのが嫌で、家族で他国から逃げて来た元農民が大勢いるのだ。
農民といっても頻繁に徴兵されるので、多くの者が足軽働きを経験している。
足軽経験が無くても、村同士の水争いや伐採権争いで殺し合いを経験している。
その気になれば平気で人を殺せるのが戦国の農民だ。
山崎の合戦で負けた明智光秀が、三日天下とはいえ天下をとった男が、武士ではなく武装農民に討たれているのだ。
そんな連中が野伏、山賊になったら領内の治安が悪くなる。
だからこそ、毎日多くの場所で川普請を行い飯と銭をばら撒いている。
「はい、腹一杯の飯が食べられて、銭までもらえるのです。
他国で暮らしていた時よりもずっと良い生活ができるようになったのです。
今のところは普請場から追放されるような事はしていません。
追放されるのを恐れて大人しくしております」
「住む場所は予定通りか?」
「はい、野戦陣地や陣小屋造りを主にする黒鍬足軽に建てさせております。
数をこなす事で、黒鍬足軽の築陣が上手くなっております」
「服はどうなっている?」
「普請場近くの国衆地侍と交渉して、野山の葛を集められるようにしました。
大半が元農民なので、質にこだわらなければ自作できます」
「よくやってくれた、これからも気を付けて上手く扱ってくれ」
「承りました」
予想していた通り、いや、それ以上の莫大な利益と人を得た。
鐚銭の領内使用を認めた事で、銭も物も人も集まって来た。
物価高にさえ対応できれば、織田家の繁栄は約束される。
銭交換の基準にした宗銭や永楽銭が千枚あれば、西国の博多や東国の湊で一石の米が買えるが、最低の鐚銭だと一万枚必要になる。
逆に言えば一石の米を持ち込めば一万枚の鐚銭が手に入る。
他所で最も喜ばれる銭千枚で一石の米を買ってくる。
その米を、尾張美濃に持ち込まれた鐚銭一万枚で売る。
その鐚戦を鋳潰したら、最低でも良銭五千枚が鋳造できる。
尾張美濃で鐚銭の使用を認めてから三カ月しか経っていない。
それなのに、新たに鋳造した銭や鯨狩りの利益などを使う事なく、銭相場に付帯する商売だけで、兵糧と軍資金が倍増している。
それと、三河で一向一揆が勃発した。
前世では始まった時期に多くの説があったが、六月説が正しかった。
真宗高田派と真宗佛光寺派の懐柔誘致しておいてよかった。
真宗高田派と真宗佛光寺派を使って徳川家康を助ける気など全く無い。
俺がしたいのは、家康に叛旗を翻した家臣を取り込む事だ。
本願寺の教えを妄信している奴はいらないが、高田派や佛光寺派に改宗するなら家臣に組み入れても構わない。
家臣にできない、本願寺の教えを捨てない、のなら、殺す。
少なくとも本多正信だけは絶対に家康の家臣に戻さない。
そのために高田派、佛光寺派、滝川一益に接触させている。
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