第16話:稲葉山城と盗首

1562年4月20日織田信忠視点6歳


「この戦いで稲葉山城を落として美濃を取る、出陣」


 信長の命で尾張の全軍が美濃に攻め込んだ。

 いや、尾張の織田勢だけでなく、織田に寝返った美濃勢も稲葉山城に迫った。


 斉藤龍興はわずかに残った直臣と足軽、中濃の国衆地侍を率いて籠城した。

 圧倒的な兵力差による四方面からの侵攻では、長井道利が史実のように木曽川渡河中の信長を叩く事などできなかった。


 前田慶次が指揮する五千兵が墨俣城から出陣し、味方に集まった西美濃衆五千と共に稲葉山城を目指している。


 池田勝三郎が指揮する五千兵が犬山城から出陣し、味方に集まった東美濃衆五千と共に稲葉山城を目指している。


 俺の直率する足軽一万兵が、黒田城を出陣して稲葉山城を目指している。

 信長の率いる足軽三万兵が、宮後城を出陣して稲葉山城を目指している。

 更に勝幡城と那古野城に五千兵ずつ残っているから、尾張に憂いもない。


 激減した斉藤勢では四カ所に分かれた渡河は防げない。

 残された数少ない将兵では、堅城の誉れ高い稲葉山城に籠るしかなかった。

 だが、稲葉山に籠ったからといっても、斉藤龍興に先はない。


「斉藤龍興の首を持って来た者には銭千貫文を与える。

 足軽であろうと小者であろうと関係ない。

 例え女であっても、斉藤龍興の首を持って来た者には千貫文を与える」


 織田家に仕える声のでかい者に稲葉山城に呼びかけさせた。

 織田信清の時のように、調略した奴を稲葉山城に送る込めれば、その者に斉藤龍興を生け捕りにさせる事ができた。


 残念ながら、美濃にはそこまでの覚悟を持った者がいなかった。

 いや、憶病な斉藤龍興は海千山千の国衆や地侍を信用していなかった。


 信用していない者が近寄ったら殺される可能性が高い。

 だから斉藤龍興の首を取るために潜り込む美濃衆はいなかった。


 父親の斉藤義龍は、美濃を手に入れるのに父親だけでなく二人の弟も殺している。

 そして龍興は、父親の義龍が死ぬと同時に弟とその母親を殺している。


 表向きは父親と同じ奇病で死んだことにしているが、自分の跡目を脅かす存在である異母弟を母親共々殺している。


 戦国乱世なのでしかたがない事だが、好きなやり方ではない。

 俺も追い込まれたら躊躇わずにやるが、外道な真似をしなくても良いように、血の滲むような努力を重ねている。


 今年、年が変わって直ぐに、1月15日に松平元康と誓詞が交わされた。

 史実で言う清州同盟が締結された。

 松平元康がわざわざ清州城に来たのだから、力関係がはっきりしている。


 対等の同盟なら、両者の中間地点で行われる。

 元康が来たら、信長本人が岡崎城に行って答礼しなければ対等ではない。

 それが、織田家で力を失っている林秀貞だけの答礼で済ませたのだ。


 圧倒的な実力差があるから、松平元康は下手に出てきている。

 だが、伊賀の繋がりを利用した情報では、油断できる相手ではない。

 満面の笑顔で握手をしながら、口に毒針を含むような性格に思える。


 だから勝幡城と那古野城に五千兵ずつ残した。

 知多衆などの三河沿いの国衆地侍は美濃攻めに使わなかった。

 彼らを使わなくても良い大兵力を銭にモノを言わせて集めた。


 斉藤龍興が籠城してからも、人を集め武具甲冑を揃える事で脅し続けた。

 織田家に圧倒的な戦力があるからだろう、斉藤龍興が頼った武田信玄は動かず、今川氏真は駿河遠江の国衆地侍を抑えるだけで手一杯。


 最後に残った頼みの綱、六角家は三好と浅井に攻め込まれて美濃に援軍を出せる状態ではない。


 追い込まれた不安で精神を病んだ斉藤龍興が乱行を繰り返す事で、龍興に重用されていた連中も稲葉山城を抜けだして降伏してきた。


 斉藤家が直接抱えていた足軽たちも、全員城を逃げ出して織田家に降伏してきた。

 守ってくれる将も兵もいない稲葉山城に残る事ができなくなった。


 僅かに残った斉藤家の忠臣も、織田家に受け入れてもらえないと見切った国衆地侍も、城を枕に討死するほど潔くなかった。


 いや、戦国乱世を生きる者なら、命のある限りあがくのが正解だ。

 そういう意味では、彼らが木曽川を下って長島に逃げようとしたのは正解だ。

 戦国大名と対等以上に戦える一向一揆を頼るのは当然だ。


 だが俺がいる、史実で斉藤龍興が長島に逃げ込んだのを知っている俺がいる。

 斉藤龍興が長島に逃げ込めないように万全の準備をしている。


 川並衆などの川賊は全て調略して家臣に加えている。

 急いで拡大した織田水軍と古くから続く佐治水軍の軍船、川並衆が以前から持っていた川船を使って、斉藤龍興たちが長島に逃げるのを待ち構えていた。


「捕らえた、千貫首を捕らえたぞ!」

「俺だ、捕えたのは俺だ!」

「黙れ、俺が先だ、俺が先に捕らえたのだ!」


 誰かが斉藤龍興を捕らえたようだが、手柄を争って殺し合いになった。

 俺はその場にいなかったから止めようがなかった。

 

 茶碗一杯の飯を取り合って殺し合うのが戦国乱世だ。

 凶作の年に、飢えに苦しむ寡婦と幼子が、村の非常食である葛粉を盗み食いして、同じ村の者たちに殺されるような戦国乱世だ。


 千貫文もの賞金がかかっている首を前にしたら、これまで一緒に戦って来た戦友を殺してでも独り占めにしようとする者がいる。


 殺し合うまでにはならなくても、首を手に入れようと引っ張り合いになる。

 首実験、総大将である斉藤龍興だと首実験ではなく首対面と言うのだが、俺と信長の前に出された首は、両目が潰れ両耳と鼻が千切り盗られた悲惨な状態だった。


「菅九郎、千貫の褒美を約束したのはお前だ、この始末をどうつける?」


「軍監が見ているのなら、その言葉を信じます。

 足軽大将や組頭が見ているのなら、その言葉を信じます。

 誰も見ていないのなら、討ち取ったと申す者たちに千貫を分け与えます」


「それでは実際に討ち取っていない卑怯者が得をする事になるぞ」


「父上も御存じだとは思いますが、足軽たちの妬み嫉みは激しい。

 本当は盗んだ首なのに、手柄にして大きな恩賞を得た者は憎まれる。

 それこそ、寝ている間に絞殺されるくらい憎まれます。

 絞殺されなくても、合戦の間に後ろから槍で突かれて死ぬだけです。

 それに、一時は功名を盗んだとしても、真の実力があれば武功を立て続けます。

 実力がなければ、敵に首を奪われるだけです。

 織田家にはどちらでも良いのではありませんか?」


「ふむ、確かにその通りだが、余はそのような者に褒美を与えるのは好かん!」


「私にお任せください、そのような汚き者は私が相手します」


「そうか、千貫の褒美を約束したのは菅九郎だから任せる」


「はい、任せていただきます」


 信長と話し合った通り、斉藤龍興を討ち取ったと言う連中は俺が相手をした。

 相手をしたと言っても独りではない、護衛を数多く配した。

 滝川一益と斉藤新五郎に左右を守らせて相手をした。


 褒美を取りに現れたのは、川並衆には属していない、揖斐川上流で勢力を張っている川賊たちだった。


 川並衆に配した足軽でないのなら、足軽たちの制裁が行われない。

 制裁が行われずに大得する者がいると盗首が横行する、どうしたらいいだろう?

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