第15話:雑賀と根来を調略
1562年1月30日織田信忠視点6歳
「惣客として根来寺蓮花谷に属しておりました、往来右京と申します。
度重なるお誘いをいただくという厚遇に、お礼の言葉もございません。
心からお仕えせていただきます」
滝川一益は豊臣秀吉に負けないくらい調略の才能があったと思う。
史実でも、信長の指示に従って伊勢の国衆地侍を調略したと言われている。
それだけの功を立てたから、外様なのに織田家の軍団長に成り上がれたのだ。
「よく来てくれた、約束通り濃尾の野鍛冶を鉄砲鍛冶に育ててくれるなら五百貫文を与えるが、どうする?」
とはいえ、往来右京ほどの者を引き抜いてくるとは思わなかった。
往来右京といえば、史実では根来左京の呼び名の方が有名だ。
今現在天下人と目される三好長慶の弟、三好実休を討ち取った事で有名だ。
「よろこんで育てさせていただきますが、一つお願いがあります」
何より、それだけの功を立てた者が根来寺を離れるとは思えなかった。
根来寺が易々と手放すとは思えなかったが、現実は違っていた。
寺なのに、高僧、学侶、行人の間に厳しい身分差別があったのだ。
「何だ、願いがあるのなら何でも好きに申せ」
仏の道を教え広めるはずの寺なのに身分差別がある、恥ずべき事だ。
その身分差が実力で決まるならまだましなのだが、生まれで決められている。
往来右京は大功を立てたのに、子供騙しの褒美しか与えられていなかった。
「合戦の無い時には鉄砲鍛冶を差配させていただきますが、合戦のある時には武将として出陣させていただきたい」
滝川一益はそこを上手くついて往来右京を引き抜いて来た。
往来右京だけでなく、数多くの根来衆を引き抜いて来た。
俺の指示通り、親兄弟、宗門、家や村の争いをついて引き抜いて来た。
「分かった、武将として出陣させてやる」
俺の知っている根来寺の最大勢力期は、院の数が九十八、僧坊二千七百、寺領七十二万石、僧兵一万余を数え、その勢力は紀北から和泉・河内にまで及んでいだ。
「有り難き幸せでございます」
そんな強力な根来寺だが、問題は身分による差別だけではないのだ。
寄進によって建てられた院や僧坊が激しい勢力争いをしているのだ。
赤軍で言うセクト争い、血で血を洗う激烈な内部抗争があるのだ。
「ただ、鉄砲に長けた右京には鉄砲足軽組を差配してもらう」
それは院や僧坊を建てた実家の争い、敵対関係にも影響される。
同じ根来寺に属していても、内心では敵だと思っているのだ。
根来寺が誇る強大な僧兵軍団も一枚岩ではないのだ。
「鉄砲足軽の差配でございますか?」
根来寺の僧兵軍団、俗に言われる根来衆は大きく四つに分かれている。
津田家の寄進で建てられ、代々津田家の者が引き継いでいる杉坊。
雑賀衆土橋家の寄進で建てられ、代々土橋家の者が引き継いでいる泉識坊。
「そうだ、右京ほどの鉄砲上手を一騎駆けの旗本とするのはもったいなさ過ぎる」
その二つに岩室坊と閼伽井坊が加わる四つの軍団だ。
その四つの坊の下に二十七人もの旗頭がいる。
彼らが根来の僧兵を率いて大名や国衆と戦い根来寺の領地を増やしていった。
「ありがたいお言葉でございます」
院や僧坊は紀伊の尾根や谷によって分けられているが、それも争いにつながる。
蓮華谷と菩提谷は、水利や材木の伐採権で争っていたと読んだ事がある。
二十七の旗頭を含めた二千七百僧坊が内部で激しく利権を争っているのだ。
「最初は二十の足軽を預けるが、足軽の指揮に長けているなら、百でも三百でも預けるから、鉄砲組の差配を試してみよ」
それらの争いに乗ずる事で、多くの根来衆と雑賀衆を引き抜けた。
更に家督を継げずに兄に家臣扱いされる弟たちを引き抜けた。
「信じて頂き心から感謝いたします」
それと、根来衆雑賀衆と別けて言っているが、両者は密接につながっている。
傭兵なので、時に根来衆と雑賀衆が戦う事もあるが、愛憎のある地縁血縁なのだ。
雑賀衆土橋家の寄進で建てられ、縁者が坊主を務める泉識坊が根来寺の四軍団長の一つなのだから、根来衆と雑賀衆を同じと考える者がいてもしかたがない。
「次に控えるのは土橋家の重次郎殿でございます」
そんな土橋家のある雑賀は、根来寺から見て海側にある地域で地続きだ。
同じ紀ノ川河口部にある地続きの地域なのだ。
雑賀五組とか雑賀五緘と呼ばれる雑賀庄、十ケ郷、宮郷、中郷、南郷の五つの地域に分かれているが、これがまた水利争いや農地の境界争いをしている。
「よくぞ来てくれた重次郎、右京に話していた事は聞こえていたか?」
雑賀五組の中でも宮郷、中郷、南郷の三郷は土が豊かだ。
広い田畑を持つ地侍が多く、土地に根ざした生き方をする陸の雑賀衆だ。
「はい、聞こえておりました」
それに比べて雑賀庄と十ケ郷の二地域は、湾が陸地奥深くまで入り組んだ地形で、耕作可能な土地が少なく、船での交易で生きている地侍が多い海の雑賀衆だ。
田畑の少ない雑賀庄と十ケ郷が、残る三郷に攻め込み田畑を切り取ろうとする。
何度も雑賀衆同士で争い、血を流し死者までだした恨み辛みが溜まっている。
「重次郎にも問う、どのような仕え方をしたい?」
根来寺が身銭を切って建てた院と僧坊以外は、紀伊などの国衆地侍が建てている。
先祖代々の霊を慰めるため、人を殺す罪悪感から逃れるため、武士は院や僧坊を建てて心の平安を保とうとする。
「右京殿と同じように、平時は鉄砲鍛冶、合戦時は鉄砲足軽組頭を望みます」
だが何の思惑もなく、心の平安の為だけに建てている訳ではない。
根来寺が持つ武力などの影響力を利用しようとしているのだ。
根来寺に寄進した形の院や僧坊の領地だが、寄進した家の子弟が出家して継ぐから、完全に根来寺に渡す訳でもない。
「分かった、鉄砲鍛冶としては連れて来てくれた者たちを、弟子や家臣として抱えられる扶持を与える。
武将としての扶持は、合戦での働きが鉄砲鍛冶の五百貫文を越えてから与える」
先に院や僧坊を寄進した者が根来寺の影響力で郷の有力者になれば他の者も続く。
宗門など無視して、複数の寺社に寄進して力を持とうとする。
史実でも、雑賀中郷の湯橋家は根来寺に威徳院という子院を寄進し代々神主をしているのに、自宅敷地内に真宗の寺庵を設けて本願寺の蓮如を何度も逗留させている。
「有り難き幸せでございます」
生き残るために、宗教も地縁血縁もなりふり構わず利用している。
だから、根来寺や地縁血縁で苦しい状況の者は必死で打開策を探している。
誰に近づけば生き残れるか必死で探し回っている。
地べたに頭をすりつけてでも生き残ろうとしている。
これまで下に見ていた家と屈辱的な婚姻を結んででも生き残ろうとする。
そんな複雑怪奇な関係を利用して、津田算長の庶子で、本妻の子である算正や照算に虐められ、能力があるのに奴隷扱いされていた津田楽算を引き抜いて来てくれた。
津田算長の依頼で鉄砲を再現したのは、芝辻清右衛門という紀伊国根来西坂本の住民だったが、後に堺に移住して堺を鉄砲の大生産地にしている。
その芝辻家の庶子、芝辻小左衛門を引き抜いて来てくれた。
雑賀鈴木家からも冷や飯を食っていた鈴木峯三郎を引き抜いて来てくれた。
佐竹重四郎、宮本大三郎、松田源四郎、渡辺藤十郎などを引き抜いて来てくれた。
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