第9話:基盤整備

1561年8月17日織田信長視点


「父上、ここはじっくりと腰を据えてかかりましょう。

 敵よりも多少兵数が多いだけで城攻めをしても、無駄に将兵を死なせるだけです。

 それよりも、戦う事なく勝てるように圧倒するほど兵数を増やすのです。

 そうすれば、勝手に恐れて降伏してきます。

 敵将が戦おうとしても、大軍を恐れた家臣が裏切り逃げ散り戦えなくなります」


 何度も謀略を成功させている奇妙丸が新たな策を提案してきた。

 一刻も早く織田信清を滅ぼしたかったが、何とかこらえた。


 奇妙丸の献策は見事だ、損害無く敵を滅ぼせるのなら、それが一番だ。

 とはいえ、敵を圧倒するほどの将兵を集めるのは簡単な事ではない。


 どのようにして将兵を集めるのか楽しみにしていたが、奇妙丸は鰯漁と鯨漁で手に入れた莫大な利で大量の米を買い集めた。

 

 あまりに多くの米を買い集めるので米価が高騰して商人に高値を吹っ掛けられた。

 余なら武力で脅して真っ当な値段にさせるのだが、言い値で買ってしまった。


 介入したくなったが、奇妙丸の策かもしれないのでグッとこらえた。

 こらえた甲斐があった、やはり奇妙丸の策略であった。

 毎日日ノ本中から買い集められる大量に米が噂となり、多くの人が集まった。


 これまでは、奇妙丸が配下や商人を使って貧民や牢人を集めていた。

 だが今では、貧民や牢人の方から奇妙丸の下に集まって来る。


 商人から高値で米を買う事で、奇妙丸の家臣になれば腹一杯米の飯が食える、大きな恩賞が得られると、日ノ本中に噂が広がったのだ。

 織田家には有り余るほどの銭と米があると日ノ本中に広まったのだ。


 それは貧民や牢人だけを集めたのではない、裏切り者も呼び寄せた。

 織田信清の家臣も、大半が余に誼を通じて来た。

 その気になれば何時でも裏切らせる事ができる。


 誼を通じてきたのは織田信清の家臣だけではない。

 斉藤龍興の家臣も、大垣周辺を中心に数多く誼を通じて来た。

 松平元康も、今川を離れて同盟を結ぶ交渉に積極的になってきた。


 中でも積極的だったのが知多の者たちだった。

 大きな河川がなく、常に水不足に苦しむのが知多半島に住む者の定めだった。

 水野信元や佐治為景といった知多衆が、向こうから積極的に誼を通じて来た。


 莫大な銭を稼ぎ、大量の米を買い集めた奇妙丸は、数多くの足軽を率いている。

 その数多くの足軽を使って、驚くほど早く効率的に溜池を造るのだ。


 奇妙丸は、次々と新田を開拓して驚くほど多くの麦を収穫している。

 水不足に苦しむ知多の国衆や地侍は、そんな奇妙丸に力を借りようとしたのだ。


1561年9月11日織田信忠視点5歳


 日ノ本中から貧民と仕官希望者が集まって来た。

 毎日何百人も集まるので、毎日新しい足軽組ができる。

 その影響で、少し戦えるだけの牢人が直ぐに足軽組頭になる。


 だから俺が名前を憶えているような武将は、直ぐに足軽大将に出世する。

 最初は旗本にして言動を確かめ、次に最小の三十人足軽組を預ける。

 人を指揮できると分かったら、最大三百人を率いる足軽大将に大抜擢するのだ。


 その中には、主君である兄と仲が悪かった水野忠重と従弟の水野正重がいた。

 木下藤吉郎も織田信長からもらい受けて足軽大将に大抜擢した。


 織田家では、二万近くなった足軽を指揮させる将が常に不足しているのだ。

 指揮経験のある織田家古参の足軽組頭は、全員足軽大将に抜擢した。


 だから能力のある木下藤吉郎を抜擢するのは当然だった。

 農民の生まれ育ちであろうと関係ない。


 計画よりも十年も早く圧倒的な兵力が手に入った。

 そこで白人至上主義打破計画を十年前倒しする事にした。

 単なる新田開発ではなく、農業革命を始める事にした。


 戦国乱世で荒廃した農地の収穫量は、前世では考えられないくらい少ない。

 近代農法が発明されていない、品種改良もされていない、ろくな肥料もない荒畑の収穫量は、とても少ない。


 一反当たりの平均的な大麦収穫量は、四斗の俵で一俵半、六斗しかなかった。

 そこに俺が近代農法を導入した。


 大量の肥料を使い、千歯扱き備中鍬などの効率的な農具を作り貸し与えた。

 麦踏などの、麦を丈夫に育てて収穫量を増やす方法も全て導入した。


 前世の日本で麦翁と称えられる、権田愛三が権田式麦作法を広めた時以上の劇的な効果があった。


 六斗しか収穫できなかった一反の荒畑で、六〇斗もの収穫があったのだ。

 俺が開墾した農地と直轄地だけではあるが、既存の農地の十倍もの収穫がある。

 つまり、同じ広さの農地で敵の十倍の兵を養えることになるのだ。


 こんな圧倒的な技術があると知られたら、敵に狙われるのは当然だ。

 危機感を持った周辺の大名や国衆が手を取り合って襲って来る。

 だから、その全てを撃退できる力を持つまで表に出さない計画だった。


 それを十年も前倒しにして表に出す事ができた。

 前田慶次たちが二日に一頭の勢いで鯨を狩ってくれたお陰だ。


 鯨の高価な部位、保存のきく部位を売る事で莫大な利が得られた。

 集まって来る貧民や流民、牢人や野伏を全員召し抱えられた。


 召し抱えて足軽や旗本にした連中に、毎日鰯や鯨肉など他では絶対に食べられない美味しい料理を腹一杯食べさせて、織田家に執着するようにした。


 それでも莫大な利が余り、鯨漁や鰯漁に必要な船や道具を好きなだけ買えた。

 それどころか、味方の佐治水軍が足元にも及ばない、志摩水軍や熊野水軍を越える軍船を数多く買えた。


 最初に造船を依頼したのは鯨漁と鰯漁に最適な勢子船と網船だった。

 だが今では、船大工に小早船や関船を造らせている。


 それがすべて完成したら、伊勢湾を織田家の海にする事ができる。

 将来起きるであろう伊勢長島の一向宗との戦いが、史実より有利になる。

 長島を後回しにして、公界となっている桑名や松坂を直轄領にする事もできる。


 織田家の繁栄は、豊かな自由都市だった津島湊を手に入れた事から始まった。

 更に熱田湊を手に入れた事で飛躍的に力を伸ばせた。


 そこに桑名、松坂、大湊を加えられたら、織田家の資金力は他家を圧倒する。

 織田家は資金力にモノを言わせて兵糧や武器を買い集められる。

 敵は、織田家が高騰させた相場で兵糧や武器を買わなければいけなくなる。


 十分な兵や武器を集められない敵なら比較的簡単に勝てる。

 敵の家臣も馬鹿じゃない、負ける殺されると思ったらすり寄って来る。


 そうなれば、戦う事なく日ノ本を統一する事ができる。

 俺の白人至上主義打破計画を更に前倒しできる事になる。


 そのためにも、圧倒的な水軍力が必要になる。

 敵対する湊の水軍を粉砕できるだけの力が必要になる。


 軍船だけでなく、それを操る優秀な海賊衆を育てないといけない。

 目先の勝利よりも、有能な海賊衆を育てる事に金と時間を使うべきだろう。

 そう考えて信長にしばらく戦を控えるように献策したのだ。


勢子船:八丁櫓の小型軽快な鯨船、全長約九・四六メートル、幅約二・七〇メートル

網船 :八丁櫓の百石船、全長約十二メートル、幅約三・六メートル

小早船:四〇丁櫓三〇〇石積み、快速の小型戦闘艦

関船 :七二丁櫓五〇〇石積み、中型戦闘艦

   :全長三四メートル・幅七・六メートル

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