第2話:追い込み漁

1561年1月29日織田信忠視点・5歳


「殿、この鯛は奇妙丸が捕らえさせたのですよ」


 養母の帰蝶殿が満面の笑みを浮かべて信長に言う。

 生まれ育ちが美濃の帰蝶殿は、海の魚をもの凄くよろこぶ。


 特に大きな鯛を好むので、初めての追い込み漁で獲れた鯛の中から二尺、前世で言うと六十センチを越える一番の大物を贈った。


「ほう、余が貸し与えた船の徴発権は、足軽を鍛錬させる為だったはずだが?」


「はい、足軽達には思いっきり艪を漕がせて海に慣れさせました。

 どうせ慣れさせるのなら、少しでも余禄があれば良いと魚を追わせました」


「ふん、余の嫡男だけあってしっかりしておる。

 それで、随分と余禄があったそうだが、少しは軍資金の足しになるのか?」


「私では難しいですが、父上が力を貸してくだされば軍資金になります。

 全て売り払えれば千の兵を集められます」


「千だと、嘘偽りを申せば、幼子と言えどもただでは済まさんぞ?」


「父上に対して嘘を申すほど愚かではありません。

 塩焼きにしてあるそこの鰯ですが、海では十万もの大群を作っております。

 造りかけの塩田に追い込めば、十万の鰯も一網打尽にできます。

 鰯は二尾で一文値がつきますので、日に五十貫の銭になります。

 足軽を集めるのに、日に六文の銭が必要ですので、八三〇〇集められます。

 ただ、雨風の激しい日や波の荒い日には漁ができません。

 それでも、三日に一度漁ができるなら、二七〇〇は集められます。

 ですがそれは、父上が鰯を上手く売ってくださればの話です。

 私では十万もの鰯を毎日売る事ができません」


「今の話が嘘偽りでないのなら、それだけの鰯が塩田にあるのか?」


「はい、日持ちがするように干している鰯が塩田にございます」


「飯は後で良い、塩田に行く、案内せよ!」


「はっ!」


 信長を鰯が干してある造りかけの塩田に連れて行った。


「よくやった、ほめてとらす、鰯を売る方法は余に任せよ」


「はい、父上が助けてくださるなら何の心配もありません」


 俺だけでも売れるが、信長に花を持たせておかないといけない。

 戦国乱世では、出来る過ぎる息子を妬んで殺す父親も結構いる。

 信長が史実通りの性格なら子煩悩だが、違っている可能性もある。


 俺は前世で、信長の子煩悩が策だった可能性を考えていた。

 戦国乱世の家臣は、主君の命令に逆らうのが当たり前だった。

 家臣同士の諍いで出陣拒否や戦線離脱もよくあった。


 有名なのが、柴田勝家の横暴に耐えかねた羽柴秀吉の戦線離脱だ。

 羽柴勢が離脱した織田軍は上杉謙信に大敗している。

 功臣の面目を潰さずに指揮権を奪えるのは、信長が溺愛する実子だけだ。


 具体的には、争う柴田勝家と羽柴秀吉の上に信長の実子を置く。

 秀吉と勝家の間を取り持てる者を実子の副官につければいい。

 そうすれば秀吉の考えた策を勝家に指揮させられる。


 とはいえ、信長が実子を愛していなかったとは思わない。

 だがそれは単純な愛情ではなかったと思う。

 功の多い家臣達を統制する必要に迫られて溺愛しているように見せかけたと思う。


 仲の悪い功臣を争わせないために、無能な実子に権限を与えた。

 無能な実子の信雄と信孝に有能な参謀をつけて功臣達を働かせようとした。

 功臣間の争いに頭を悩ませた信長の苦肉の策だった可能性がある。


 だが、どれだけ有能であろうと甥程度では功臣の上には立たせられない。

 謀叛した弟、信勝の子供である津田信澄では功臣が従わない。

 いや、下手をしたら柴田勝家や林秀貞が津田信澄を担いで謀叛するかもしれない。


 織田信長には、前世で一般的に言われていたほど独裁力はなかったと思う。

 現に今の俺に調べられる範囲では、家臣達の不服従と権力闘争に苦心している。


「それと父上、鰯の大群を追う高価な魚も結構手に入ります。

 養母様に献上した大鯛も鰯を追って紛れ込んだのです」


「ほう、一尾で百文もする大鯛が紛れ込むのか?」


「鯛もですが、一尾二文の大鯵や一尾十文のイナダも数多く紛れ込みます。

 それらも一緒に売って頂けますか?」


「任せよ、売ってやる、安心しろ、その鰯以外の魚はどうしたのだ?」


「城の勝手方に渡しました」


「それも検分する、案内せい」


「はっ」


 城の台所に積み上げられた高級魚を見て、信長は心から驚いていた。

 同時に、高級魚をどう活用するか考えているようだった。


 一方俺は鰯漁を理由にもっと大きな権限を手に入れる献策を考えた。

 鰯は大群を作って移動する習性を持っている。


 前世の水族館では数万匹規模の鰯トルネードが良い集客になっていた。

 自然の海では数万匹なんてもんじゃない、十億匹の群れまでいるのだ。


 そんな鰯の群れを一網打尽にできれば、とんでもない軍資金になる。

 日々の食料も豊かになるし、大量の鰯を使って安価に魚醤も作れる。

 俺は臭過ぎて使う気になれないが、鰯の油は行灯の燃料にも使える。


 何より、この時代では通貨の代わりになっている米の増産ができる。

 大量の鰯を魚肥にできれば、米が増産できるのだ。

 いや、軍需物資とも言える貴重な綿花の大量生産まで可能になる。


 そう考えて、塩田を造っている浜に鰯の大群を追いこんだのだ。

 海に討って出るという言葉を気に入った信長が、漁船の徴発を許してくれていた。

 小さな波で転覆するような小舟だが、鰯を脅かして追い込むくらいはできた。


 それと、ひと口に鰯と言っても一種ではない、幾つもの種類がいる。

 ウルメイワシ、カタクチイワシ、マイワシなど多くの種類がいる。


 種類によって値が違うし、使い道も多少違って来る。

 高値で売れる鰯が大量に獲れたら織田家の力が史実より強くなる。

 その分だけ俺の理想を早く達成できる。


 そんなに急がなくてもいいかもしれないが、気になる事がある。

 俺だけが逆行転生できたのかどうかだ?


 俺以外の人間が逆行転生していて、同じ様に前世の知識を活用していたら?

 それが斉藤義龍や武田信玄、本願寺の顕如や足利義昭だったら?

 織田家は滅びるかもしれない、一分一秒を惜しんで歴史を変えないといけない!

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