第7話 雄飛という人間

 雄飛が小学四年生の時に母は病気で亡くなった。

 父はそんな病弱な母を最後まで連れ添うことなく見限って新しい女と出ていった。そんな人でなしの妹に当たる存在が凪瀬瞳という人物。雄飛を引き取ってこのマンションに住まわせてくれたある意味恩人だ。

 父方の祖父母は身体が弱かった母を嫌っていたようで孫である雄飛ばかりに甘い一面を見せていたが、一度も母の見舞いにすら来なかったらしい。

 瞳さんに限っては身請けをしてくれて住まう場所まで用意してくれた恩人だが母の生前、床に伏してる間は雄飛を避けて顔すら合わせてくれなかった。それが今では雄ちゃんなんて名前で呼んでは、何かと顔を合わせようとしてくる。


 母方の祖父母は雄飛が産まれる前に亡くなっていて、しかも兄弟も姉妹も居ない。

 父方の祖父母は母が亡くなった際に身請けを断ったらしく、瞳さんのもとに引き取られた。雄飛は頼りたくなくても頼れる人が瞳さんしか居なかったのだ。

 だから父方の親族が大嫌いで利用できるものは利用してやると決めて、この瞳さんが持っているマンションに住んでいる。

 父方の家族は雄飛にとって裏切り者であり、絶対に許容できない。分かり合えない存在なのだ。

 そして今は母が遺してくれた保険金で生活をしている。バイトが禁止の高校に入ってしまったのは痛いが、早く自立する為には最短の高校だ。


 インターホンのチャイムが鳴り、蜜璃が素早く応答した。相手は瞳さんのようでいそいそと玄関に向かう準備をしている。


「それでは凪瀬くん、先に戻ります。準備ができたらインターホンで呼びますのでよろしくお願いします」

「おう、慌てずゆっくりでいいから気を付けろよ」


 蜜璃は雄飛に軽くお辞儀をしてリビングから出ていった。正直、下着を付けていない蜜璃の胸が動く度に暴れていて目のやり場に困っていたのでようやく落ち着くことができる。

 そのまま雄飛はソファに深々と腰掛けて本棚に手を伸ばそうとした。


「雄ちゃん――!ちゃんと生活できてる?」


 勢い良くリビングのドアを開けたのは瞳さんだった。心配する様子で部屋に入ってきたが、周囲を見て大丈夫だと思ったのかすぐに胸を撫で下ろす。

 雄飛は既に憂鬱になりながらも必要なことを聞く。


「こんにちは、瞳さん。日下部は無事に帰れましたか?」

「蜜璃ちゃんなら無事に帰したわ。それより部屋も清潔にしてるのね良かった……」


 二人はいつの間に下の名前で呼び合う仲になったのか気になったがそれよりも苛立ちを隠しきれずに雄飛は少し強い口調で言う。


「それは良かったです。なら早く帰って頂いてもいいですか?」

「そんな言い方はないでしょ?一応このマンションも私の管理下だし、家賃だってタダに――」

「家賃を拒んだのは瞳さんでしょ?だったら家賃を払うから二度と来ないでよ」


 何かを言おうとする瞳さんに構わず、強い口調のまま続ける。

 

「どうせ……高校を卒業したら保護義務はない訳だし、瞳さんもこんなお荷物から解放されて、晴れて自由の身でしょ?」

「そんなことないよ……。私だって雄ちゃんが心配で――」


 雄飛の中で何かが切れる音がした。

 多分、いや、きっといつもならコントロールしている自制心のブレーキの糸だ。

 それからはもう止まらなかった。


「母の見舞いも来ないで、あの頃一番辛かった俺ともロクに顔を合わせてくれなかった癖に――今更身内面するなよ!」


 瞳さんは静かに涙を流した。眼鏡が曇って全体までは分からなかったが呆然としている様子だ。この際だからハッキリ言おうと最後に追い討ちをかける。

 

「俺はあなたたち家族が嫌いだ。母には目をかけずに俺にばかり甘い顔をして、引き取りを拒んだ祖父母も嫌いだ。母を見限った父はもっと嫌いだ。今更偽善者ぶってる瞳さんも大っ嫌いだ」


 これ以上、瞳さんの顔は見なかった。さすがに突き放す為とは言えどかなり心が傷んだ。背を向けて静かにソファに再び腰を下ろす。

 

「俺は独りで生きていく」


 静かになった部屋に瞳さんの泣きじゃくる声だけが響く。

 これ以上、雄飛は何も言わなかった。言える気力もこれ以上、傷付ける心も持ち合わせていなかった。

 読み始めた本に水滴が零れ落ちる。雄飛は自分が久しぶりに泣いてしまったのだと自覚してそれを受け入れた。


「ごめんね……。私は帰るから」


 雄飛は何も言わない。

 瞳さんがリビングのドアを閉める音が響いて部屋はまた静かになった。濡れた本を乾かすように机に置く。


「瞳さん……泣いてましたよ」


 静かに蜜璃がリビングに入ってきて、雄飛の背に向けて話をした。察してなのか蜜璃は踏み込まずに居てくれるようだ。急いで涙を拭って雄飛は応答する。


「ごめん……。何でもないとは言わないけど……今はまだ話せない」


 今はまだ話したくはない。仲良くなったから分かる。感情豊かな蜜璃はきっと一緒に怒ってくれる。そしたらこの苦しみを一緒に背負おうとするかもしれない。


「幻滅したよな……。女性を泣かせるなんて最低だ」


 男として最低な行為を選んだのだ。幻滅されるのも無理はないし、これ以上の関係も無用だ。

 雄飛は肩を落としながら溜め息を零す。


「私は知っていますよ」


 背中に温かさが伝わり、顔が肩に乗って蜜璃の両腕が雄飛を包む。


「私は知り合って間もないですが、凪瀬くんの大きな優しさを知っています」


 蜜璃の声は優しく柔らかい物だった。じんわりと内側から温かな気持ちで満たされていくようだ。

 蜜璃は雄飛の頭をゆっくり撫でながら続ける。


「幻滅なんてしません。私は凪瀬くんの味方ですから。今はまだ話してくれなくていいです。でももし……もし、少しでも凪瀬くんに非があったなら一言だけでも謝ればいいと思います」


 蜜璃は手を解いて雄飛の正面に歩み寄る。

 涙は乾いたが蜜璃が少しぼやけて見える。でも確かにハッキリと笑ってみせた。


「女の子にはアフターケアが重要ですから」

「そうだな……。ありがとう」


 安心できる柔らかな言葉に心の乱れも落ち着いた。

 蜜璃は本当に不思議な人だ。一緒に入ればハラハラもさせられると思えば、落ち着くような柔らかな雰囲気を作り出す。


「できれば……私のお部屋のアフターケアもお願いしますね!」

「はいはい……分かったよ。日下部が一番手を妬きそうだ」

「そ、そんなことないですよ?!」

「その自信はどっから湧いてきてんだよ――」


 蜜璃の手を取って立ち上がり、蜜璃と雄飛は歩き出す。

 雄飛は左のポケットに入った携帯を取りだした。

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