第6話 蜜璃の提案
「管理人に鍵の話をするに当たって蜜璃が話さないといけないだろうから、軽く要件を伝えて代わるけど問題ない?」
「はい!スマホも部屋に置いてきてしまったのでよろしくお願いします」
蜜璃はまた申し訳なさそうに頭を下げた。
もう気にしなくてもいいのにと思いながらも憂鬱な気持ちで連絡先を探す。昨日は緊急でそれどころではなかったので気にせずに通話ボタンを押せたが、できれば連絡もしたくない。軽く深呼吸してから通話ボタンを押し、耳に押し当てた。呼出音がしばらく鳴って通話相手が電話に出る。
『雄ちゃん!どうしたの?叔母さんに電話してくるなんて珍しいね!あ、寂しくなって電話してくれたのかな?それとも――』
ウザったいほど明るい声が耳を通して脳内に響く。
通話の相手はこのマンションの管理者であり、雄飛の叔母に当たる
雄飛は叔母である瞳が苦手であり、そしてある理由から嫌っている。
「全部違います」
『まだ話してる途中だったのに全否定はひどいよ……』
「本題に入ってもいいですか?」
『ええ……全部無視するの?』
これ以上、叔母の茶番に付き合っていられないので早く本題に入ろうとするも何が不満なのか子供のように駄々をこねる。
これだから苦手だと言わんばかりのめんどうくささを体現してくれている。
「隣に越してきた日下部さんって人が部屋に鍵を置いたまま出てきちゃったらしいから対応をお願いします」
こころなしか後ろで待機している蜜璃が不満そうな視線を向けている気がする。
色々な苦悩に雄飛は思わず溜め息をつく。
『色々と聞きたいことはあるけど……分かった。日下部さんが近くに居るなら代わってくれる?本人確認しないといけないから』
「日下部なら今、後ろにいるから代わりますけど……本人確認以外はしないで下さいね?」
『し、しないわよ……』
どうやら忠告をしていて正解だったらしい。
胸を撫で下ろしながら通話中のスマホを蜜璃に手渡す。
恥ずかしいからか蜜璃は雄飛から少し距離をとって小さい声で話している。途中、蜜璃は一度だけ慌てた様子を見せたが程なく収まって通話を終了したようだ。
「ありがとうございました。それで凪……瞳さんですが、直ぐにこっちに来て下さるようです」
「了解だよ。とりあえず無事に帰れそうで安心した。あとは部屋の片付けだな」
朝食で使った食器を洗いながら会話を続ける。
「はい……。でも、本当に手伝ってもらってもいいんですか?」
「手伝わないとどうせ明日以降も凄い物音がするんだろ?」
「うぅ……。返す言葉もありません」
二人で笑うことが増えてきて口許がかなり緩くなっている。ずっと緊張気味だった蜜璃も今は自然に笑うようになってきている。たった一日の付き合いがここまでになるとは思ってもみなかった。
「私も食器洗い手伝いたいです!」
蜜璃は自信満々で鼻息を荒くするように息巻いている。
雄飛は昨日の玄関のことを思い出しながら丁重にお断りした。
「自分の部屋を片付けられるようになったらいくらでも手伝わせてやるよ……」
その言葉を口にした時にふと思ってしまった。
蜜璃の部屋の片付けが終わってしまえば関わる理由はなくなってしまうことを。
最初から全てがおかしくて、独りで生きていくと決めていたはずが、蜜璃と関わりを持った。放っておけば怪我をしたかもしれないし、物音が続く限りはこちらの生活にも支障をきたしかねない。
そう、これは決して自分の意思で来て欲しいと思った訳ではないのだ。全ては打算で結局は自分の為。
打算で動く自分に嫌悪感とこれでいいのだと思い聞かせる肯定感が頭の中を回る。
「凪瀬くんは……私が私のことをできるようになれば、これからも一緒に居てくれるんですね」
予想外の返答に雄飛は驚く。何と返せばいいのか分からずに口をパクパクしていると蜜璃は続けた。
「誰かが居てくれるって安心するんだなって思いました。今までは両親が居て、誰かと食卓を並べるのが普通だったのに独りになるとやっぱり寂しかったんです」
蜜璃に昨夜に伝えた言葉を思い出す。
誰かと食卓を囲み、たわいもない話をする。もう二度とないことだと思っていたのに叶ってしまって、不覚にもこんな時が続けばいいと思ってしまった。
雄飛は自分の意志の脆さに項垂れていると、胸に手を当てて柔らかな笑みを零しながら蜜璃がそのまま続ける。
「だから――もしも……凪瀬くんがもしもよろしければ、今後も一緒に食卓を囲んで下さいませんか?もちろん食費は私が出しますから」
無意識なのか蜜璃がわざとしているのか分からないが、近寄ってきて上目遣いで聞いてくる。承諾も断りも必ず、今後の関係に影響が出てくることは間違いない。
自分の意思を貫き通すなら断るべきだが、不覚にも昨夜は蜜璃の気持ちと同じだった。
蜜璃はこの提案をするのに勇気を出してくれたはずだ。
【雄飛を大切にしてくれる人が見つかったら、拒まずにちゃんと受け入れてあげるのよ】
不意に母の言葉を思い出した。
蜜璃がその人かまだ分からない。でも昨日だって蜜璃は差し伸べられた手を掴んでくれた。だったら応えは決まっている。
「誰が日下部にだけ出させるか」
寄ってきた蜜璃の肩を両手で掴んで突き放す。適切な関係と距離を保つ為に。
「そうですよね……。出過ぎたお願いを――」
「食費は二人で半分に割る。じゃないと俺はその申し受けを断る」
感情が本当に面に出やすいようで口元が緩んでパッと瞼を見開く。だが、すぐに険しい表情に逆戻りした。
「私は料理できませんし……それだと凪瀬くんの負担が多くなってしまいます」
「料理なら俺が教えながら一緒に作ってやる。今後、出会うかもしれない運命の人への花嫁修業とでも思って頑張ってくれたらいいよ」
少し悩んだ末に蜜璃は首を縦に振る。
蜜璃はかなり不満そうだが、部屋の片付けでもしていれば、すぐに忘れるだろう。
「凪瀬くんの提案は本当にありがたいです。でも……私に一言だけ言わせて下さい」
雄飛に背を向けたままの蜜璃が続ける。
「凪瀬くんは――をもっとちゃんと見て下さい」
「ごめん、途中を聞き取れなかったんだけどもう一度――」
「二回も言いません!」
イタズラな笑みを振り向きざまに見せつけて蜜璃はリビングを出ていく。
雄飛は結局、考えても何も分からぬまま。
こうして今後も関わりを持っていくことが決まり、雄飛も少しだけ笑みを零した。
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