5-3:おとぎ話
これは、ちょっとした御伽話だ。
世界には、ある『存在』がいる。
その存在は、生物にとっては絶対的なもの。時には『神』とも呼ばれる存在である。
それは魂を管理する存在で、全ての生物は命が尽きた後、必ずその存在のもとへと還っていく。そしてまた新たなる生命に宿り、この世界を循環していく。
『存在』にはこれという意思はない。ただ漠然と世界に在り、生き物たちの拠り所であり続ける。世界に干渉することはせず、温かく生物たちの営みを見守るのみ。
だが、ある時『存在』は奇妙な生き物がいることに気づいた。
その生き物は他の動物を支配し、星の支配者であるような顔をして闊歩している。そして環境を破壊することもある。
それにも関わらず、その生き物だけはなぜか死後に自分のもとへはやってこない。全ての生き物には魂があり、『死後の世界』にやってくるはずなのに。
この生き物はなんなのかと、『存在』は疑問に思った。
彼らは何者なのか。同じ星の生物ではないのか。しかし調べた限りでは、他の生物と同じ進化の系統樹から生まれたものだとわかる。
それなのに、彼らにだけは魂が存在しない。
だから、『存在』は事実を調査することに決めた。
地球上に住む別の動物たちに、自分の力の一部と知性を与え、問題の生き物を調べさせることにした。彼らの精神は他の動物と何が違うのか。何が原因で、彼らは死後の生を持たず、命が尽きると無へ還ってしまうのか。
その原因を解明し、彼らを『救済』すること。
それが、動物たちに与えられた使命だった。
千晶と話をしなければならない。
動物たちの目的は、人間だけが死後の世界を持たない理由を探ること。その原因を打破すれば、彼らの使命は終わることになる。
でもそれが全うされることは、人類にとっては都合の悪いことだった。
千晶は事実を理解し、一人きりで『一計』を案じることにした。
人間には魂がないという事実を隠蔽し、動物たちが異なる答えに辿り着くようにする。
守護霊という形で動物の霊を人間と結び付け、人間が死後にどうなるかを証言させる。
緑のカードを使えば、町の人間の心には自由に干渉することができる。それは動物人間でも、人と結び付いた守護霊でも同じこと。人の意識と関わりを持った以上、それは自由に操作が行える対象になる。
そうやって千晶は守護霊たちに誤った事実を喋らせ、動物たちを撹乱しようとした。人間の魂が死後の世界に現れないのは、死後に動物の姿に変わってしまうからだと。
それによって動物たちを納得させ、この迷惑な『救済劇』を終わらせるのだと。
「じゃあ、行っておいでよ」
屋敷を後にし、宍戸が見送りをする。榊は隣で青ざめた顔をし、ずっと俯いていた。
「こればかりは君の仕事だ。今から二人きりで千晶と話してくるといい。彼の真意をわかってあげられるのは、きっと君だけだろうからね」
目元をやわらげ、穏やかに言う。
「そうだ。出かける前に、僕からお守りを渡しておこう」
出発しようとしたところで、宍戸はゴソゴソと上着のポケットを探り始める。
「これを持っていくといい。いざという時、きっと君を守ってくれる」
手の平に小さな品を乗せてくる。指で摘める程度の大きさで、黄色いプラスチックで出来ていた。「これは?」と目元に持っていき、しげしげと眺める。
「キーホルダーサイズのミニカッターさ。一センチくらいだけどカッターの刃が出てくる。何かの時『拘束』を解くのに役立つと思う。ポケットにでも入れておいてくれ」
ううん、と直斗は首をかしげる。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
宍戸が大仰に手を振る。それを無視し、直斗は足早に道を進んでいく。携帯電話を取り出し、走りながら電話帳を呼び出す。
コールすると数秒で、電話は取られた。
「……千晶、これから会いたいんだけど、いいかな」
いったん足を止め、その場で相手に用件を告げる。
しばらく電話の先に沈黙が走る。直斗は息を殺し、返事が来るのをじっと待つ。
「ああ、構わない」
やがて、千晶は承諾してきた。
対面の場所は学校を指定された。
直斗はすぐに高校の校舎へと向かう。
昇降口を抜け、一ヶ月を過ごした教室のドアを開いた。午後の三時近くになり、強い西日が差し込んでいた。無人の教室に机だけが並び、黒板や天井が赤く日に照らされている。
窓際に寄り添うように、千晶は一人佇んでいた。直斗が入ってくると、「よお」と小さく手を振ってくる。
直斗はドアをしっかりと閉め、つかつかと窓際へ向かっていく。千晶はうっすらと目元を緩め、自嘲気味に微笑んだ
「その様子だと、気付いたようだな」
ブレザーの胸ポケットに手を入れ、緑のカードを示した。「教室に残ってた奴は、悪いがこれで帰ってもらった」と呟く。
「そうだね」と直斗は静かに頷きを返す。
芙美のことはショックだったし、言いたいことはいくつもある。でも、今となってはそれも些細な問題だ。
「さっきまで、宍戸と一緒だった。榊先生も。それで全部聞かされたよ」
言うと、千晶は疲れた笑みを浮かべた。
「そっか。じゃあ、本当に何もかも知った後なわけだ」
直斗は無言で頷きを返す。「そっか」と千晶はもう一度呟いた。
「じゃあ、もうわかってるだろ? 何度も言ったように、人類は最初から敗北してたんだ。あいつらが動くずっと前から、もうどうしようもないくらいに打ちのめされてたんだ」
皮肉めいた口調で言う。
「そうだね」と直斗はまた静かに頷いた。
本当に、どうしようもないくらいに、希望のない状況だった。
「千晶は、ずっと前から全部理解してたんだろ。死後の世界はたしかに存在するのに、人間にだけはそれがない。だからあいつらは、その理由を探ろうとしていた」
「ああ」と千晶は目を細めてくる。
体の半分で西日を受け、千晶の半身が赤く染め上げられている。色白の顔が橙色に照らされ、ほのかに輪郭をぼやけさせていた。
「俺がこの前細工したから、どうしてそうなったのか大体理由はわかるだろ? 人間と他の動物の大きな違いは、『自我の大きさ』だ」
先日の守護霊事件を思い出させて来る。
「人間は持ってる自我のせいで、他の動物みたいに魂として死後の世界って奴に行けなくなってる。詳しいことは知らないが、多分情報量が多すぎて色々変質してるんだろうな」
千晶はしんみりと窓の外に目をやる。
「だから、もともと救いなんかなかったんだ。動物どもが問題を解決しようと思ったら、世界中の人間の自我を破壊しなきゃならない。世の中の人間全部が、『三回』のアレを食らって鳴き喚かなきゃならないんだ。そんなの、ありえないだろ?」
窓の外から目を離し、寂しげに笑いかけてくる。
やはりそうなのか、と直斗は顔を俯かせる。
動物たちの持っているあの力は、最初から『答え』を提示していたのかもしれない。
「結局、人間に与えられた選択肢は二つだけだったんだ。死後の生がないという状態を受け入れて、無へと還る状態を継続するか。または、動物どもによる『救済』を受け入れて、自我を手放して動物になるか。はっきり言って、ろくでもないよな」
千晶は深々と溜め息をつく。
「だから、嘘の情報を流そうとしたんだね」
「否定はしない。あいつらが答えを手に入れたら、その場ですぐに実行する可能性がある。だから絶対に、あいつらに知られるわけには行かなかった。人間も実は天国に行けるんだって嘘を浸透させて、どうにか納得させられないかって、ある日閃いたんだ」
そしてそれは、今のところ成果をあげている。
「まあ、死後の状態が無でもいいって受け入れられる人間も、世の中少なくないだろうな。日本人の多くはそれでもいいって考えてると思う。でもそれは多分、『よくわからないから』ってことだから言えるものだ。動物たちには死後の世界があるのに、人間だけにはないっていうのは、やっぱり何か違うと思うんだよな」
「うん」と直斗も相槌を打つ。
「俺は、とにかく受け入れられなかった。俺は宗教を信じてないけど、世の中には宗教とか死後の生とかのおかげで、心を救われながら生きてる人間もいるんだ。長く生きられないってわかってたり、家族に早くに死なれたり。そういう人たちの希望を摘み取るようなことは、俺にはどうしても出来なかった」
一人の少女の顔が頭に浮かぶ。
同時に、一つの答えが見えてくる。
「それで、有明も殺したんだね」
数秒の沈黙を挟んだ後、しっかりと両目を見据える。
千晶は眉を下げ、こっくりと頷きを返した。
「ああ。俺が殺した。有明は、事実を知って逆に喜んだよ。そしてすぐに、『選択肢』の一つを取ると決めた。あいつは動物どもを納得させるために、『死後の世界なんか必要ない』って証明しようとした。あいつらが人間を救おうとしているのはお節介だってな」
そのために、何をしようとしたのか。
「有明は動物どもに命じて、世界中の人間から『宗教』の概念を消し去ろうとした。ついでに死後の世界の概念もな。人は死後に無に還るって認識を徹底させて、それでも人類が平気で生きられるって示して、動物どもを諦めさせようとしたんだ」
凄い話だろ、と千晶はわざと笑ってみせる。
「だから、止めなきゃいけないと思った。あいつは緑のカードに頼り切ってたから、殺すのは簡単だった。適当な奴を一人選んで、そいつに『有明を殺せ』って命令したんだ。その上で更にもう一回、『お前にはすべての色が見えなくなる』って操作を加えた。有明はカードさえあれば町の奴を操れると油断してたから、それであっさり暗殺完了だ」
そういうことなのか、と直斗は頭の中で反芻する。
つい先日、色が白黒にしか見えないという男と会った。有明が殺される直前に突然色彩を失うことになったのだと。
「ま、そういうわけだ」
千晶は肩を落とし、話に区切りをつけた。
「だからわかってると思うが、俺は絶対に、今回のプランを失敗させるわけにはいかない。だから何があっても、邪魔されるわけにはいかないんだ」
そう言い、左腕を掲げる。腕時計を見やるのがわかった。「そろそろかな」と呟く。
「そういうわけだ。だから、悪く思うなよ」
千晶が言葉を発し、直斗は眉をひそめる。どういうことか、と意味を問おうとする。
その直後のことだった。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。
音はどんどん近付いてくる。やがて間近でピタリと止まり、しばらく無音の状態になる。
何の事態か、とカーテンの外を見ようとする。千晶は動じず、眼前で微笑むだけだった。
それから一分としない内に、教室のドアが勢いよく引き開けられた。
「瑞原、直斗くんだね」
黒いスーツの男たちが突然教室の中へ入り込んでくる。肩幅の広い男が先頭に立ち、その後ろに二人の中年男が付き従う。
彼らがどういう職業の人間なのか、一目見た瞬間に察知できた。
「悪い。俺が通報した。『不審なテロ事件の容疑者』がここにいるってな」
千晶が無表情に言う。状況がわからず、直斗は千晶と男らを交互に見やる。
「なあ、君。最近この町で毒ガス騒ぎが起きたのは知っているだろう。吸い込んだことで幻覚症状が出るという。君がその事件に関与しているという証拠が出た」
男は間近に歩み寄り、自分の手帳を提示する。「は?」と直斗は目を見開く。
「すまないが、署まで同行を願おうか」
言うなり、背後の二人が腕を掴む。返事を聞くより先に、教室から引き出そうとした。
抵抗し、必死に千晶に振り返る。千晶は頭を左右に振り、「悪いな」と呟いた。
「恨まないでくれよ。俺は、どうしても邪魔されるわけには行かないんだ」
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