5-2:人類の秘密

 宍戸だけはずっと上機嫌だった。

 馴れ馴れしく肩に手を回し、「気にしちゃダメだよ」と励ましを口にする。


「僕の考えだけど、千晶には悪気はなかったと思うんだ。これは多分、結構合理的なことなんだよ。そして、君のためを思って仕掛けたことだと思うんだ」

 道を歩きながら、宍戸は甲高い声で話しかける。


「ほら、まずはストレスケアだ。いきなり知らない町に連れて来られて、気が滅入る可能性がある。そこで隣の女の子と仲良くなるようにしておけば、一気に毎日が楽しくなる。そんな風に考えたんだよ」

 言葉が頭に響く。拒否したいと思う一方で、なぜか救われる気持ちも感じてしまう。


「人は目の前に目標があると、気力を奮い立たせられるものだろう。だから、それを君に与えようと思ったんだ。有明氏の死の真相を暴こうとする気持ち。そしてそれを追いかける家族を守らねばならないという気持ち。それがあれば、君は前向きになれる。君の興味が町の歴史に向いてくれれば、千晶は君と想いを共有できるようにもなるだろうし、きっと良いことづくめだったんだよ」

 言って、宍戸は肩をポンポンと叩いてきた。「だから、恨んじゃいけないよ」と囁く。


 ちくしょう、と心の中で呟いた。


「直斗くん。気持ちはわかる。でも、まだここで立ち止まっちゃいけないよ」

 肩から手を離し、宍戸は前方に回り込む。


「『解明編』はまだ終わりじゃない。それを見ない内は、まだ休んじゃダメなんだ」

 直斗はぼんやりと顔を上げる。宍戸はにんまり頬を緩め、人差し指を立てた。


 これから何をするべきなのか。わざと問題を提示する。


「次は、この町の一番の謎に迫るんだ」

 まだ解明されていない何よりもの謎。それの答えを探るべきだと。


 つまり、有明拓郎の死の真相に。





 連れて行かれたのは、町の『餌場』になっている屋敷の一つだった。


 豪勢な塀に囲まれた中に入り、日本庭園を歩いて行く。縁側には屋敷の主人がいるが、焦点の合わない目を向けるだけで、闖入者にはなんの反応も示さなかった。


 すぐ隣には、榊も歩いている。

 ここへ来る直前に、宍戸が彼を呼び出したのだった。『今から全てを解明する』と宣言し、千晶には内緒で来るようにと告げていた。


「さてさて、それではお立ち会い。どうぞ奥へと進んでくれたまえ」

 縁側から直接座敷に上がり、宍戸は襖を開けて進んでいく。抹茶色の畳の間は、白い襖で隣の座敷と仕切られており、それを開けると同じ間取りの部屋が出てくる。


 襖を開けては隣に進み、更に隣の部屋へと入って行く。

 そして三つ目の襖に辿り着いたところで、宍戸は両手を大きく広げた。


「ではここで、僕が辿り着いた真実を公開すると致しましょう。この襖の先に、この町の究極的な謎の答えが隠されているんだ」

 榊と直斗をその場に待たせ、宍戸は前口上を述べ始める。


「今まで疑問となっていた一番の謎。それは、有明拓郎氏がいかなる真実に辿り着いたのかということ。その結果として、彼は何者かによって殺害された可能性があること」

 隣の榊は暗い顔をしていた。猫背気味に頭をうなだれさせ、宍戸の演説を聞いている。


「手がかりは、あのプレハブ小屋に置き去られていた十人分の遺体。あの遺体こそが、有明氏が真実に辿り着くために行った『実験』の産物。では、彼はどんな実験を行ったのか。それは彼と同じ立場に立って物事を見れば、おのずと見えてくるものなのさ」

 宍戸は「ふふふ」と笑いを発し、自分の顎に手を当てる。


「では、示そうか。全ての真実を」

 宣言し、宍戸は背後の襖を勢いよく開ける。


 隣の座敷は突き当たりとなっていた。それ以上奥へと進む襖はなく、壁には掛け軸が一枚掛けられているのみ。

 間取りは他の部屋と変わらない。十畳程度の畳敷きの空間だった。


 その部屋に詰め込まれる形で、『十人の人間』が集められていた。


 どの人間も表情はなかった。年齢も性別もまちまちで、老人もいれば中高年も若者もいる。中学生くらいの年齢の少女もいた。

 全員が体育座りのポーズを取り、表情もなく部屋の中に収められている。


「さて、取り出しましたるは、この緑のカード。このカードは町に住む全ての人々、もちろん赤や水色の範囲と被らない全ての人々を操ることができる。そんな魔法のカードさ」

 宍戸はカードをかざし、ひらひらと見せびらかす。


 榊が顔を上げる。示されたカードを見て首をかしげた。


「結論から言おう。有明氏が解き明かそうとしたのは、『死後の世界』の本質なんだ」

 緑のカードを掲げたまま、宍戸は事実を語り始める。


「なぜこの町の動物たちは、人間に干渉をしたのか。死後の世界に関連して、人間にはどんな問題があるというのか。有明氏の立場だったら、それを解き明かそうとするのがもっとも合理的な発想のはずだね」

 宍戸が目線を送る。「そうだろ?」と微笑みかけてきた。


「そしてまず間違いなく、有明氏はとある実験を通してその真実に辿り着いた。同じく千晶も、その答えを知ることになった。にもかかわらず、彼は今日までずっと、誰にもその真実を語ることはなかった。それは一体なぜだろう」

 声に嘲る響きが籠る。


「答えは簡単だ。実験の結果出てきた事実が、とても都合の悪いものだった。だから千晶は自分の心の中だけに真実を仕舞い、うまく立ち回ろうとしていたのさ」

 宍戸はそう言い、部屋の奥へと向かっていく。緑のカードを構え、奥にいる人間たちに顔を寄せていった。


「彼らは現在、僕がこの緑のカードで意識を操作している。各種の検証をしてみたけれど、この緑のカードの効果には、これという制限はない。『彼ら』が直接指令を出すのと同じことを、このカードだけでも引き出すことができるんだ」

 また背筋を伸ばし、体の正面を向けた。


「つまり、このカードで命じれば、動物人間を作ることもできるし、特定の色しか見えない状態も作り出せる。幽霊を見させることだって、守護霊と対話させることも可能だ。唯一違うとすれば、何度命令を下しても、意識が動物化しないことくらいさ」

 緑のカードを蠢かし、効果の万能性を語る。


「そして重要なのが、このカードを使った場合、動物人間にも命令を下すことができること。人間の体を得てしまった以上、動物の魂にすら操作を加えることができる。これは大変な発見さ。実にクレバーなカードだよ」

 喉を震わせ、一人でさもおかしそうに笑いを上げた。


「では、実験を再現してみよう。有明氏が過去に何を行ったか。僕たちが知りたいと思う、一番の事実を理解するためにはどんな実験を行えば良かったか」

 早足に進み、座っている人間の肩に手を触れる。


「やるべきことは簡単。彼らにこのカードをかざし、こう命じればいいんだ。『死後の世界を見てこい』ってね」

 宍戸は得意そうに言ってのける。


「そして大事なのは、こうして十人ものサンプルが集められているということだ。ただ死後の世界の話を聞くだけだったら、被験者は一人でいい。なのに、なぜこの人数が必要なのか。それが有明氏の残してくれた最高のヒントだったんだよ」

 そこまで言い、緑のカードをかざしてみせる。


「では、早速実験。では命令する。今から君の精神は、死後の世界に行った状態になる。君の肉体は生きているけれど、君の心は変質し、死んだ後の状態になる。その時、君には何が見えるのか。しっかりと話してくれたまえ」

 体育座りをする一人にカードを見せた。


 変化は、すぐに現れた。


「光が、見えます」

 端にいた女性は証言を始めた。


 いわゆる『臨死体験』みたいなものだろうか。

 肉体は生きているが、死んだのと同じような状態が作られる。そうして精神が『死後の世界』を見てくるという。


 緑のカードによって、そういう状態を作り出しているらしい。


「よし、上々だ。それでは次に行こう」

 宍戸は上機嫌に声を上げる。続けて隣の男にカードをかざす。先程と同じ命令を出した。


 結果は、やはり同じだった。

 光が見える話。それが死後の世界なのだと証言する。


「さて、これで確認できただろう」

 屈めていた腰を上げ、宍戸はまた両腕を広げる。


「ちなみに言っておくと、今僕が被験者にした彼らは、全員普通の人間ではないんだよ。彼らは、僕がこのカードを使って生み出した『動物人間』なんだ。姿は同じでも、彼らの中に宿っている精神は、かつて動物だった者たちだ」


 うぐ、と隣の榊が唸りを上げる。辛そうに目を背けていた。


「さあ、ここからが本題だよ。大事なのは、右側に残っているこの五人だ」

 座敷の窓側へと移動し、右端にいる少女の肩に手を触れる。同じように緑のカードをかざしてみせた。


「前もって説明するよ。こちらにいる五人は動物人間ではない、ごく普通の人たちだ。実験に協力してもらうため一時的にじっとしてもらっている」

 直斗は眉根を寄せて光景に見入る。


「もう気づいていると思うけど、これは比較実験だよ。有明氏の実験場には十人の遺体があったけど、五人はなぜか座った状態。残りの五人は横たわった状態で死んでいた。だから、二種類の存在がサンプルになったのだと僕は気づいたんだ」

 宍戸が解説を加える。


「では、やってみよう。君の心は、死後の状態になる。そこで何が見えるのか、目にしたものを語ってごらん」

 傍らの少女に声をかける。少女は宍戸の命令を受け、かすかに上体を揺らめかせる。


 先程までの五人は、ここで間もなく証言を始めた。『光』がどうのと、お定まりのスピリチュアリズムめいた話を語る。


 だから今回も、同じようになると予想した。


 だが、違った。


「あれ? おかしいね。反応しないぞ」

 宍戸は声を高め、笑った顔のままで少女を揺さぶる。「おーい」と目の前で手を振り、相手が反応しないのを確かめる。


「おっと、これは不思議な現象だ。『人は死後どうなるか』を検証するため、僕は今、『死後の状態』に変わってくれと指示を出した。その結果、彼女は動かなくなってしまった。これはどういうことだろう」

 若干棒読みになり、宍戸は問題提起をする。


 試しに、と言って少女には別の指示を出す。しかし緑のカードをかざしても、以降はまったく反応がなくなった。


「これはなんとも不思議だねえ」

 宍戸はにんまりと言い、「じゃあ、次だ」と隣の男に歩み寄る。同じくカードをかざし、先程とまったく同じ指令を出した。


 そして、結果は同じになった。

 瞬間、胃の奥が冷たくなるのを感じた。

 冷気が体の奥底から広がり、背筋がゾクリと震えてくる。


 何か、得体の知れないことが起こっている。巨大な落とし穴を目の前にしているような、そんな掴みどころのない空虚な不安感が押し寄せてきた。


「では、もっと続けてみようか」

 直斗が呆然と立ち尽くす前で、宍戸は次々と同じ実験を施していく。カードをかざす。命令を出す。そして証言を求める。


 どれも結果は同じ。スイッチでも切れた感じに、指示を出された人々は反応を示さなくなる。以降は何を語りかけても、瞳に光が宿ることはない。


「さて、これで結果は出たようだね」

 五人全員の検証を終え、宍戸が体を起こす。「ふむ」と自分の顎に手を当て、思案するポーズを取ってきた。


「これは興味深い結果だ。なぜか全員が、実験によって無反応になった。これはなんとなく、『アレ』を連想するね。そう、これは言うなれば『壊れたテレビ』だ」

 動かなくなった五人に目を落とし、宍戸は喉を震わせる。


「そして、左側の彼らに関しては、こう表現できそうな気がする。『衛星放送を受信したテレビ』であると。では、これを比較分析すると、どんな結果が見えるだろうか」

 口元に笑みをたたえ、宍戸は問いを発する。


 答えたくはなかった。想像することさえしたくなかった。

 でも、自分にはわかってしまった。


 残念なことに、『テレビ』という喩えを聞いた段階で、この現象の意味が理解できてしまった。知りたくもないのに、頭が勝手に情報の整理も始めてしまう。


『幽霊の目撃騒動』の際に出てきた事実が脳裏をよぎる。

 幽霊が見えるようになった人間は、なぜか動物の霊だけを目撃した。大勢が幽霊を見るようになったのに、なぜか一人として『人間の幽霊』を見ることはなかった。


「僕は、この現象をこう表現できると思うんだ」

 宍戸は緑のカードを手元で揺する。検証結果のまとめを始めた。


 隣にいる榊が小刻みに震えていた。目を見開いて自分の口元を押さえている。


「人の心の状態は、まるでテレビのチャンネルのようなものだと言える。だからこのカードや『彼ら』の力を使えば、自由にそのチャンネルを変えられる」


 やめてくれ、と心の中で叫んだ。


「そして『死後の世界』というものは、衛星放送のチャンネルのようなものだと言える。だから受信環境の整ったテレビなら、リモコンを回せばすぐに見られる」

 言って、左側の五人を指し示す。


「でも、もしテレビにアンテナが付いていなかったらどうなるだろう。存在しないチャンネルに無理矢理合わせようとしたら、テレビ画面には何が映るかな。それはもちろん考えるまでもなく、『テレビには何も映らない』で終わっちゃうんだ」

 低く笑いを発し、宍戸は結論を言う。


 どうして、そこで笑っていられるのか。


『千晶は事実を知っているかもしれない。しかしなぜか、情報を隠蔽していた』

 先程聞いた言葉の意味が、強く心の中に響いてきた。


「つまり、これが答えになるわけだ。『彼ら』はずっと、この違いを追っていた」

 淡々と包囲を狭めるように、事実が突き詰められていく。


 この段階でもう、思考の整理は完了してしまった。


 宍戸の指示した通り、五人の被験者は『死後の状態』に意識を変化させた。

 動物の魂を持った五人は、あるべき場所として、『死後の世界』を見た。

 一方でごく普通の人間である五人は、『心そのものが消滅』した。


 この事実から導き出される答えは一つのみだ。


「一寸の虫にも五分の魂。実に興味深い表現だ」

 宍戸は愉悦の表情を浮かべ、低く笑いを漏らしてきた。


「でも、事実は違う。魂も存在するし、死後の世界も存在する。しかしそれは、動物や一寸の虫たちに関しての話。『肝心の生き物』には当てはまらないんだよ」

 そう言い切り、宍戸は腹を抱えて笑い出した。


 ヒーヒーとしばらく笑い続け、宍戸は指で涙を拭う。笑いを顔に張り付けたまま、全ての答えを口にしてくる。


「つまり、人間というのは世界で唯一『魂を持たない生物』だということさ」

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