3-3:腐ったミカンと死後の世界
宍戸が大人しくすることはなかった。
その次の日にもまた、町では不穏な現象が引き起こされた。
今度は『幽霊』が出てきてしまった。
これもまた、とある医療機関関係者の証言だ。
先日の『白色事件』の時と同じように、午前の時間帯に何件かの問い合わせが寄せられた。内容も前回と同様、『不思議なものが見える』といった内容だった。
それはなんなのかと問いただしたところ、『幽霊みたいなもの』と答えられた。
最初に電話をかけてきたのは、地元のスーパーで働く四十代の男。彼は自転車で職場まで通勤をしていたが、その途中で何度も目の前に奇妙な物が現れ、たびたびブレーキを握ることになったと語った。
『目の前に急に、鳥が現れた。咄嗟に目を瞑ったけれど、ぶつかることはなかった』
目を閉じる前には、たしかに顔の間近まで中型の鳥が迫ってきていた。しかし、気がつけば鳥はいなくなっていた。
不思議に思いながら自転車を漕いでいると、今度は目の前を猫が横切った。同じく咄嗟にブレーキを握ったが、いつの間にか猫は消えていた。
職場に辿り着いた辺りで、自分の身に異変が起きていることは理解できた。
なぜかスーパーの店内にまで、猫や鳥や犬の姿が見える。商品棚の真上にカラスがとまっていたり、レジの真下に黒猫が蹲っていたり。
それなのに、自分以外の人間にはそれらの動物の姿が見えていない。不思議なことに、自分もじっと目を凝らしていると、動物たちの姿が急に消えていった。突然消えたり現れたり、幻覚を見ているのかと疑われて仕方なかった。
医療機関の人間も、これには首をかしげざるを得なかった。
統合失調症などの症状があれば、たしかに幻覚の類を見ることはある。でも、男にはこれという通院歴もなく、薬を服用している習慣もないようだった。
更に数名の人間から同じ内容の問い合わせを受け、いっそう首をひねらされた。
この町に幽霊の群れでも押し掛けているのだろうか。そう考えるしかない事態だった。
宍戸は何がやりたいのだろう。
もう三日連続で、あの男は町で事件を起こしている。千晶はずっと苛立っていて、授業中もしきりに窓の外をちらちらと見やっていた。
放課後になると、千晶はまた例によって出かけて行った。病院へ行っているらしいと榊は言っていたが、用事が何かは聞けなかった。
直斗は鞄を肩にかけ、一人で昇降口を出る。芙美も今日は新聞部の活動に出ている。
十月も中旬となり、午後の三時台で既に空のオレンジが濃くなっていた。空の色は果物と一緒で、季節が冬に近づくほどに色が熟しやすくなってくる。そんな表現を小学校の時の同級生が口にしていた。夏場はいつまでも青々としているのに、秋になり冬が近づくと、途端に熟して濃く色付いてくる。
そんな熟した空の下を、直斗はとぼとぼと歩く。学校の正門や近くの電線の上には、いつもの通りに何羽もの鳥が控えている。彼らはさながら、果物を狙う闖入者のようだった。
今日は少しルートを変更した。梅嶋家には直接帰らず、町の運動公園へと足を運ぶ。
直斗が近付くと、途端に飛び立つ鳥が何羽も出てくる。明らかに運動公園の方へと向かっていき、低くいななきも発していた。『奴がやってくるぞ』と、公園にいる仲間に伝えているのではないかと想像させられる。
そして、その想像は的中した。
運動公園の入り口に、一羽のカラスが控えている。街灯の真上にぽつんと立ち、真上から見下ろしていた。
そしてその傍らには、背の高い男が佇んでいた。ボッティチェリがいる街灯に片腕をかけ、薄く笑いながら迎え入れてくる。
遠目に確認できた段階で、溜め息をつきたくなった。
なぜ、来る前に気づかなかったのだろう。
動物たちに指示を出し、町で騒ぎを起こしたいと思ったら、まずはどこに行くべきなのか。連絡係であるボッティチェリと会話するには、どこへ行けば良かったのか。
「やあ、奇遇だね。君も『彼ら』と話をしに来たのかい?」
宍戸義弥は満面の笑みで声をかける。途端に脱力感が襲い、鞄が重く感じられた。
「君とは話をしたいと思っていた。良かったら、一緒に語り合わないかい?」
溜め息を噛み殺し、直斗はそっと空を見上げる。今は橙色が翳って見えた。
『腐ったミカン』という言葉が、ふと頭の中に浮かんできた。
なんとなく、デジャヴのある光景だった。
直斗はベンチに腰掛けさせられる。その間に宍戸が付近の自動販売機へと歩み寄り、二人分の飲み物を買ってくる。
「さあ、飲みなよ」と言い、買ってきたホットココアの缶を手渡してきた。「どうも」と頭を下げ、出された飲み物に口を付ける。
「ココアは良いものだよ。人類が生み出した文化の中で、確実に良いものだと言える数少ない一つだ」
隣のベンチに腰を下ろし、同じく缶に口を付ける。ココアの成分や、甘い物が脳に与える影響。更にはチョコレートの歴史にまで言及し、ココアがいかに人間に良い影響をもたらすのかと滔々と語ってくる。「はあ」と気のない返事を返し、漠然と聞き流した。
「ところで君は、『幽霊』というものの存在を信じるかい?」
一通りの講釈が終わったところで、宍戸は不意に訊ねてきた。
「君は疑問に思っているかもしれない。僕がどうして、今回の騒ぎを引き起こしたのかとね。町の人々に幽霊が見えるようになるよう仕向け、僕は何をやりたいのだろうと」
「まあ」と小さく頷き返す。
「残念だけど、これは千晶たちのプランに協力した物ではないよ」
「じゃあ、どうして」
「君は気にならないかい? 『彼ら』はどうして、人類を管理したいと思っているのか。単に人類を支配して、地球を手に入れたいというわけでもない。環境破壊や動物を家畜化することへの警鐘でもない。彼らには何か目的があって、こういう形で人類に干渉しているのではないかと思ったことはないかい?」
「それは、まあ」と直斗はおずおずと頷いた。
「そうだろう。僕たち人間が今やらなきゃならないのは、彼らの真意を汲み取ることだ。勝手な人間の都合や想像を押し付けて、彼らを崇めることではないはずだよ。その真意を僕たちが理解しない限り、彼らは何度でも人類を管理しようとしてくるはずだ」
不思議と正論に聞こえた。
「そして、彼らの持つ力の本質はなんなのだろうと考える。彼らは自在に人の心を操ることが出来るけれど、彼らが実際に操っているのはなんなのかと疑問には思わないかい?」
「どういう、意味ですか」
問うと、宍戸は自分のこめかみを指で示した。
「要するに、『心』とはなんなのかということだよ。精神とか意識とか色々と呼び名はあるけどさ、結局彼らの持つ力で操られている『心』とはなんなんだろう。単なる頭脳に対する干渉なのだろうか。それとも、『魂』とでも呼べるものに対し、彼らは操作を加えているんだろうか。これは興味深い問題だと思わないかい」
宍戸はココアの缶を口元に運ぶ。ついで、穏やかに吐息をつく。
「僕はそれで考えるんだ。『死後の世界』というものは存在するのだろうか。それならば、『神』のような存在はいるのだろうか。世の中には神経症と認知症とか脳の病気がいくつもあるけれど、人が死んで霊になれば、そうした症状はすべて消えてなくなるのだろうか、とね。そしてそもそも、霊というのは存在するのだろうか」
「それは、哲学的な問題ですね」
宍戸は軽く喉を震わせた。
「大丈夫だよ。僕は『彼ら』とは違うから、君の返答次第でいきなり事件を起こすようなことはしない。だから安心して、忌憚のない意見を聞かせてくれたまえ」
「そうですか」と曖昧に頷く。
「まあいいさ。とにかく結論から言うとね、僕は彼らの存在や、彼らの持つ力というのは、『霊的なもの』なのではないかと考えているんだ」
自然と眉根を寄せてしまう。
「きな臭く感じるかい? たしかにいきなり霊とか言うと、変な人間に思われそうだね。僕も宗教は信じていないし、職業だって動物学者だ。この世界は自然が第一で、科学的で物理的な営みの上で動いているのだと信じているよ」
宍戸は楽しそうに目を細めていた。
「君は初々しいね。真面目にこうして話を聞いてもらえたのは久し振りだ」
言って、にっこりと笑いかける。
「良かったら、僕と友達にならないかい? 僕と携帯番号を交換しようよ」
「はあ」と答えながら携帯電話を取り出す。
抵抗はある。でも、自分が千晶との間に入るべきかもしれない。
「お揃いだ。やっぱり僕たちは気が合うようだね」
宍戸が唇を吊り上げる。相手は自分の電話を示してきた。
黒いボディの折り畳み式携帯電話だった。現在主流のスマートフォンではない。
そして自分も同じ折り畳み式。カラーももちろん黒だ。
そろそろ交換時期かな、とふと思った。
赤外線通信を操作し、相手の番号が登録される。「これでよし」と宍戸は頷く。
「じゃあ、話を元に戻そうか」
上着のポケットに携帯電話を仕舞い、宍戸が空気を引き締める。
「さっきの話だけど、これにはちゃんとした根拠があるんだ。千晶から聞いているかもしれないけど、僕は自分の心を改造し、『彼ら』と同じ感覚を手に入れられないかと実験をした。そして、彼らの見ている世界を体感しようとしたんだ」
「ええ」と相槌を打つ。
「そこで質問をするんだけど、君は、僕が今回起こした事件をどう思う? 町の人たちに幽霊が見えるようにしたわけだけど、僕が具体的にどう言って、『彼ら』にそれをやらせたかわかるかい?」
「ん?」と直斗は目を細め、質問の意味を問う。
「言っておくけど、直接頼んだわけではないよ。『彼ら』に幽霊の話をしたって、うまく伝わる可能性も低いからね」
「違うんですか?」
宍戸は小さく笑った。
「残念ながら違うんだ。僕は幽霊の『ゆ』の字も彼らには指示していない。今回僕が彼らに頼んだのはこうだ。『僕と同じような意識の状態を作ってくれ』とね」
口元を緩め、彼はまた自分のこめかみを指で示した。
「つまりはね、そういうことなんだよ。僕は自分の心を改造した結果、なぜか『幽霊』が見えるようになったんだ。それもなぜか動物のものだけがね。でも、それが僕一人の問題なのか、どうしても疑問が残った。だから今回、僕と同じ状態になる人たちを生み出してみた。それが今回の結果さ」
体を小さく揺らめかせ、直斗はベンチに片手をつく。
「これで確定だと思うんだ。動物と人間の違いを埋め合わせようとしたら、なぜか幽霊が出てきた。それならもう確実に、彼らの存在や目的は『霊的な世界』に関連するものだと見ていいんじゃないのかな」
「そう、なんでしょうか」直斗はうなだれ、力なく呟き返す。
「僕の考えはこうだ。死後の世界や霊の世界が存在し、その世界で『何か』が起こった。それに対応する形で動物たちはあの力を獲得し、人類に対する干渉を始めた。でも、その『何か』がなんなのかは、彼らもよくわかっていない。だから人間について調べることで、その『何か』がなんなのかを探ろうとしている。そういうことなんじゃないのかな」
直斗は一度深呼吸をする。
「言ってみればこれは、『黙示録』の時代の到来なのかもしれないね。聖書にも記されているだろう。この世界に大きな変革が生じ、人類が審判を受ける日が来ると。まさに今の状況は、その時期が来たことを意味しているのかもしれない」
宍戸はうっとりとした調子で語る。
「知っているかい? 黙示録の中では、世界を滅ぼすために『四人の騎士』が舞い降りてくるんだそうだよ。そしてこの町の動物たちは、常に四人の人間を仲間に迎え入れてくる。なんとなく話がリンクしてくるようで興味深いじゃないか」
「どうでしょう」と首を振った。
たしかその騎士は『戦争』、『死』、『支配』、『飢饉』の四人だったはずだ。
「まあ、それは冗談だけどさ。実はもう一つ、興味深い事実があるんだ」
宍戸は薄く笑い、ベンチから立ち上がる。数歩前へと歩んで行き、体の正面を向ける。
「有明氏のことは聞いているだろう。この町で最初に選ばれた人間の一人で、多くのシステムを作り出した人なんだけど」
直斗は相手を見上げ、神妙に頷いてみせる。
「実を言うと、その有明氏も『死後の世界』について探求をしていたらしいんだ。もちろん『彼ら』を使った実験込みでね」
薄い笑みをたたえ、宍戸は『事実』を伝えてくる。
そして、と間を取り、話を更に補足した。
「それから間もなくして、有明氏は何者かに殺害された」
直斗は漠然と目を見開き、相手の顔を凝視する。
そんな反応を見て、宍戸は愉快そうに唇を吊り上げた。
「これはなんとも、『興味深い話』だと思わないかい?」
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