ちいさなちいさな黙示録

黒澤カヌレ

序章

相沢蘭子の場合

 神様は本当にいる。

 神様には、絶対に逆らうことができない。


 フンフフーン、とつい鼻歌が出てしまう。

 今はなんて、幸せな気分なんだろう。


 宗教なんかを信じる人の気持ちは、今まで少しもわからなかった。神様を信じて、神様の教えに従うことが大事なんて、ただ堅苦しいだけだと思っていた。


 でも、今ならすごく理解できる。

 神様がいるってことは素晴らしい。

 そして、神様に愛されることはもっと素晴らしい。


 空を見上げ、ニッコリと微笑んでみせた。

 わたしは栄えある、『人間の代表』だ。


 わたしは神様に選ばれた。

 わたしは特別な人間なんだ。





「ねえ、試してみたいことがあるんだけれど」

 公園に行き、『彼ら』に声をかけてみる。


 交信するための場所は主にここなのだって、サカガミの奴からは聞いている。『彼ら』のメッセンジャーがここにいるから、話しかければこちらの意思を伝えられるって。

 少し、胸がドキドキとする。大きく息を吸って、頰を緩める。


 これからやっと、願いを叶えられる。

 ずっと心に描き続けて、何度もノートに書いて、いつかは実現してやりたいと思っていた。でも心の底では無理なことだってわかってもいた。


 でも、『彼ら』の力を借りれば全て簡単にやり遂げられる。

『彼ら』はとても、大きな力を持っている。


 ほんの少し念じるだけで、この世界を変えるだけのことができる。

 きっとその気になれば、一瞬で人間全部を殺すことだってできるはず。


 そういう力を今日までに何度も、わたし自身の目で見てきた。

『彼ら』には、超能力が備わっている。


 それは、この世界を変えられる力だ。


 出来る内容に制限はない。

 ビルから飛び降りろと命じれば、きっとその通りにさせられる。それどころか、記憶を全部消してしまうことだってできるし、好き合っている相手を憎み合わせることも簡単だ。


 本当に、すごいとしか言いようがない。

 そして『彼ら』は、わたしたちが頼めば迷わず力を貸してくれる。


「世の中を良くするため、思いついたことがあったの。だから力を貸してほしいの」

 両手の指を組み合わせて、『彼ら』のメッセンジャーに呼び掛ける。無言で真っすぐにわたしを見つめ、小さく首をかしげてきた。


 本当に、いいアイデアが思いついた。

『彼ら』の力をうまく使って、あいつらに復讐をしてやれる。





 川村たちのこと、絶対に許さない。

 中学のクラスで大きな顔をして、いつも偉そうに人を見てバカ笑いをしてる。茶髪で派手な顔をして、何かあると必ず誰かに命令して、自分の方が上の立場にいるってことを常に確認していないと気が済まない。


 あいつらにされたことは、きっと一生忘れない。

 クラスの男子に命令して、人のことを『ブス』と呼ばせてみたこともあった。その他にも、何度も人の下駄箱に偽物のラブレターを入れて、呼び出しに応じるか試したこともあった。


 一番酷いのは、『罰ゲーム』として、わたしに告白をするよう男子に命令したことだ。

「なあ相沢、今は好きな人っているか?」

 昼休みくらいにそんな風に声をかけてくる奴がいた。最初は少し心が動いたけれど、すぐに教室の隅で川村たちが笑っているのにも気付いた。


「相沢、お前のことが好きなんだ。付き合ってくれ」

 放課後になると告白される。

 でも、そこでOKをしたら大変なことになる。きっとその時の言葉を録音されて、また笑いの種に使われるのがわかっていた。


 合計で八人もやられた。

 他のクラスのろくに話したこともない男子まで連れてきて、わたしに告白させる。


「ごめんなさい。ウチは親が厳しいから、そういうのはちょっと」

 どうにか角が立たないよう、理由をつけて丁寧に断り続けていた。

 その度に、相手がホッとしたような顔をする。

 それが辛くて仕方なかった。


「相沢の奴。男を振るとか何様なんだろうね」

 川村たちがそう話しているのも聞こえてきた。わたしの耳に届いているのも構わずに、告白してきた男子と一緒にこちらを見てはゲラゲラ笑う。でも睨み返すこともできなくて、ただじっと気づかない振りをすることしか出来なかった。


 だんだん学校に行くのも嫌になって、家に引きこもる日が続いた。

 そんなある日に、『彼ら』と出会ったのだ。


「アナタは、『ニンゲンのダイヒョウ』に、えらばれました」と。





『彼ら』の力を借りる際には、注意すべき点がある。

 それは、『彼ら』の力を悪用してはいけないということ。


 お金儲けに使ったり、自分の嫌いな人間を破滅させようとしたり、気になる異性を自分に振り向かせようとしたりするなど。

 そういう私利私欲のために使おうとすれば、『彼ら』の怒りを買う。


(だから絶対に、不用意にあいつらと関わろうとするな)

 サカガミの奴からは、何度もそうやって注意された。


 そしてもう一つ、気を付けないといけない点がある。

 それは、命令を出していいのは、一人の相手につき『二回目まで』が限度ということ。

 もしも、『三回目の命令』を出してしまうと、大変なことになる。


(お前にも見せてやる、『三回目を食らった奴』がどうなるのかをな)

 サカガミに連れられて、町にある施設に入った。その先にいたものを目にして、しばらくは震えが止まらなくなった。


(あいつらの力を悪用しようとした奴も、ああいう目に遭わされる。そうやって『粛清』された奴らを、もう何人も見てきた)


 本当に、とても怖かった。

『彼ら』の力は、あまりにも大きすぎるから。『彼ら』から敵とみなされて、攻撃しようと思われたら、絶対に逃げることもできない。わたしはなんて運が悪いんだろうと、しばらくはただ震えるしかできなかった。


 でも、本当は違うのだと気づかされた。

 全て、『先生』のおかげだ。


 力を悪用するのは危険なこと。でも、それにはちゃんと抜け道がある。

 しっかりと理由を付けることが出来れば、自由に『彼ら』の力を使うことができる。


「あなたたちは、人間の世の中を良くしたいって思ってるんでしょ? だったら、すごくいい考えがあるの」

『彼ら』のメッセンジャーに笑いかけ、一緒に来てくれるように頼む。


「この世の中を悪くしている考えというものがあるの。それは『ルッキズム』って言ってね。人の顔の綺麗とか醜いとか、そういう判断で人の価値を決めたりすることがある。そのせいで一部の人たちだけが幸せになれて、他の人が損をするようになっているの」

 切々と訴えると、『彼』はしっかりと聞き入ってくれた。


「だから、それを変えたいと思う。そのために『試してみたいこと』があるの」

 これが、『彼ら』の力を使うためのコツ。


 大義名分があればいい。

 世の中のためという、しっかりとした理由があれば。


「じゃあ、わたしについてきて」

 言うと、『彼』は承諾してくれた。


 いったん電車に乗って町を出て、かつての中学校に足を運ぶ。今日はまだ平日の昼なので、普通の生徒は学校に通っている。

 わたしは制服姿で校舎の中に入り、川村たちのいる教室の前まで進んでいった。


『彼』は、ちゃんとついてきてくれた。

 廊下の窓から空を見上げると、しっかりと彼の姿が見える。窓を開けてあげると、ゆっくりと傍まで移動してきてくれた。


 教室の方へと目を戻す。開いたドアから中の様子が見え、川村たちが窓辺の方に集まっているのを見つけられる。相手もわたしを見つけたようで、こちらを指差して笑っているのがはっきりわかった。


 きっと、不登校だとか馬鹿にしているんだ。

 そうやって笑っていればいい。

 今からとても、面白いことになるから。


「じゃあ、お願いしたいの」

 傍らにいる『彼』に向けて、やるべきことを伝える。

「あそこにいる女の子。あの子は自分を美人だと思ってて、周りの人を傷つけてもいいと思っている。だからそういう悪い考え方を、あなたの力で変えて欲しい」


 きょとんと、『彼』は川村の方をじっと見る。

「だからお願い。これからこの学校にいる生徒全員に、あなたの力を使って欲しい」

 顔が笑ってしまわないよう、表情に気をつける。


 川村の方をまっすぐ見据え、はっきりと指示を口にする。

「これから学校の全員が、『あの子の顔を醜い』と思うようにして欲しい」





 なんて清々しいんだろう。

 本当に、『彼ら』の力は絶大だった。

 わたしが指示を出したことで、簡単に世界が変わってしまった。


 取り巻きだった女たちも、教室の中にいた他の全員も、川村を一瞬見ただけで顔をしかめた。とても嫌なものを見たような顔をして、すごく気持ち悪そうにしていた。

 その日はそれだけで帰ったけれど、これで終わりではもったいない。


「また、続きをお願いしたいの」

 公園で『彼』に声をかけ、一緒に中学の方へと行く。

 あくまでも世の中のためだと前置きをして、考えておいた復讐を実行する。


「あの子は、自分の体が臭いと感じるようにして欲しい」

 川村の取り巻きだった三人の女にも、それぞれ罰を与える。


「あの子は、お風呂に入るのが嫌いになる」

 一人目と二人目はこんな感じ。


「あの子は、毎日のお昼ごはんをトイレで食べるようにする」

 三人目にはこういう指示。しっかり孤独を味わえばいい。


 一週間くらいで、随分と学校の中が様変わりした。

 二日置きくらいに訪ねて行って、その度に川村たちの様子を見てやる。あの女王様だった川村も今は完全に地位を失って、教室の隅で肩を小さくしているのが見えた。


 他の奴はどうしてやろう。

 わたしに嘘の告白をして困らせた男子。あいつらは、恋愛傾向でも操作してやろうか。ずっと年の行ったおばさんだけを好きになるとか、素敵な人生を送らせてやろうか。


 学校を出て、空の方にいる『彼』を見上げる。姿を見ると心の中が澄み切ってきて、本当に大好きでたまらない気持ちになる。


 本当にわたしは、神様に愛されたんだ。

 そんな実感を覚えて、深々と息を吐いた。


 そうして、正門を出ようとした時だった。


「お前、何やってんだよ」

 突然後ろから足音がして、鋭い声が投げかけられた。


 ゆっくりと振り返ると、見知った人間が立っていた。

 わたしより少し年上の、ちょっと中性的な顔立ちをした男。いわゆる美形の部類だと思うけれど、いつも上からの物言いをしてくるから好きになれない。


 サカガミ、と心の中で呟いた。


「お前、こんなところで何やってんだ。『あいつら』の力を悪用したらダメだって、何度も注意しただろうが」

 距離を詰め、サカガミは周囲を気にするように声を落とす。すぐに頭上へと顔を向け、『彼』の姿がどこにあるかと探していた。


「問題ないですよ。これは全部、『世の中のため』のことなので。ちょうどいいサンプルがこの学校にいたから、ここで試していただけなんです」

『彼ら』に対するのと同じ、大義名分を聞かせてやる。


 サカガミは小さく喉を鳴らし、「お前な」と顔を歪める。

 傍らを見ると、『彼』が空の上から降り立ってきた。


「馬鹿。そんな上っ面の理屈なんかで、『あいつら』は簡単に騙されるような奴じゃない」

「別に、騙してなんかいませんよ」

「あいつらはそう思ってない。現に、俺は今日あいつらから、お前がやってるのが『正しいこと』なのかって、直接聞かれたばっかりなんだよ」


 サカガミの言葉を聞き、咄嗟に『彼』の方を見る。

 急に、体の内側が冷たくなった。


 ゆっくりと、傍らから『彼』がこちらに迫ってくる。ただ近づくだけでなく、通りかかった生徒を一人巻き込んで、自分自身を運ばせていた。


「アナタに、カクニンしたいです」

 傍までやってきて、『彼』はサカガミに声をかけた。


 嘘でしょう、と眉根を寄せる。


「このヒトのしたことは、タダシイことですか?」

 はっきりと、疑いの言葉が発せられた。


「ちょっと」と、咄嗟に声を出す。

 サカガミの方に目をやり、助けを求める。


 何も言わず、サカガミはただ表情を歪めていた。質問が出されたことで顔を青ざめさせ、辛そうにわたしの顔を見る。


「ちょっと」ともう一度サカガミに向けて声を絞り出した。

 その次の瞬間、傍らにいる『彼』が体を蠢かせた。


「リョウカイ、しました」


 サカガミは肩を落とし、頭をうなだれさせた。

「ちょっと待って。本当に違うの。これは本当に世の中のためで」

 口にするが、直後に『彼』は全身を大きく広げた。


 甲高い声が発せられる。

 一瞬、目の前が真っ白になった。


 どのくらいの時間が経ったのか。自分ではよくわからない。大きく息を吸い、素早く周囲を見回した。


 今、確かに『力』を使われた。

 一回目。それで数秒意識が途切れた。


「待って」と声に出し、『彼』の方へと踏み出す。


 間髪入れず、再び『声』が発せられた。


 また、頭の中が真っ白になった。

 全身が粟立つ。意識がはっきりすると共に、体中に冷気が駆け巡り、足元の感覚まで覚束なくなってくる。


 二回目。

 本当にもう後がない。


「待って。『先生』と話をさせて。そうすればきっと」

 声を張り上げるけれど、聞く耳を持ってくれなかった。


 そしてまた、『彼』が全身を大きく広げた。


 体に震えが走る。サカガミの方を振り返り、うなだれている姿を両目で見る。

「ねえ」と叫びかける。

 でも、サカガミは顔を上げようとしなかった。


「お願い。助けて」

 あとはただ、縋りつくしか出来なかった。


 そうして、『三回目』の声が発せられた。





 耳を塞いでいたかった。

 目の前の全部から心を閉ざし、何も見なかったことにしたい。


 坂上さかがみ千晶ちあきは両手の拳を握りしめ、何度も大きく呼吸を繰り返す。

 しきりに真横から、『動物』の鳴き声が聞こえてくる。それが鼓膜に届く度に、吐き気を催しそうになってくる。


「馬鹿野郎」と呟くしかなかった。

 あんなに忠告したのに、あっさりとまた『脱落』しやがった。


 こんなのはもう、慣れたはずだ。今までにもう、何度も見てきた。

 相沢蘭子で何人目になるか。だからもう、やるべきことも理解している。町の外なのが厄介だが、またいつものように『施設』に運ぶしかない。


 だけどもう、うんざりだ。

「これから、また探しに行くんだろ」

 傍らにいる『奴』に対し、千晶は声を絞り出す。


 こいつらがこの二年以上、ずっと繰り返してきたこと。自分は無力なままそれを見て、その度に同じ結果が出続けた。

 だが、もういい加減にして欲しい。


「また、『補充』に行くんだよな。それで『二十人目』を探しに行くんだろ?」


 相沢みたいな奴はもう真っ平だ。二度と、こんな奴は連れてこないでほしい。

 今度こそは、失敗しない仲間が欲しい。


「『二十人目』が必要になるなら、俺の言う通りの奴を連れてこい」

 真っすぐに『奴』の姿を見据え、千晶は声を発する。


「今から言う条件を満たせる奴。次に連れてくるのは、そういう奴だ」

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