第16話「私の呪いは、本当に解けるのだろうか?」

 エリオットとルーシーは、アカデミーの秘密の練習場で話し合っていた。


「ルーシー、最近、この生活に疲れを感じないか?」エリオットが息を吐きながら言った。

 ルーシーは少し考え込んでから答えた。


「正直、感じているわ。毎日、本当の自分を隠すのは辛いの」

「俺もだ。特に、クロエやノエルと親しくなってからは、嘘をつき続けることがますます辛くなってきた」


 二人は沈黙し、互いの言葉の重みを感じていた。


「でも、私たちには理由があるわ。私の使命も、あなたの呪いも……」ルーシーの声が震えた。


 エリオットは静かに頷いた。


「確かにな。でも、俺たちはここで多くのことを学んだ。魔法だけじゃない。友情や信頼の大切さも」

「そうね……」


 ルーシーは窓の外を見つめた。


「でも、もし本当の姿を明かしたら、みんなは私たちを受け入れてくれるかしら?」


 エリオットは真剣な表情でルーシーの手を取った。


「俺たちには、クロエもノエルもいる。そして何より、俺たちには互いがいるんだ」


 ルーシーは微笑んだ。


「あなたの言う通りよ。少しずつでも、本当の自分を見せていく勇気を持つべきかもしれないわね」


「ああ、一緒に乗り越えていこう」


 この会話が、二人が本当の姿を明かす決心をする第一歩となった。



 アカデミー・ルミエールの図書館は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれていた。古代の魔法書が並ぶ書架から漂う神秘的な香りが、エリオットとルーシーの鼻腔をくすぐる。二人は、クロエが発見した古代魔法の書を前に、息をひそめていた。


 エリオットの指が、黄ばんだページをそっとめくる。風の精霊たちが、その動きに合わせて周囲を舞い始めた。


「ここだ……」


 エリオットの声に、ルーシーが身を乗り出す。彼女の琥珀色の瞳が、古代文字が刻まれたページを必死に追う。


「王家の呪い……そして、異国の王子の運命……」

「私たちのことだわ……こんなところに予言されているなんて……」


 ルーシーの呟きに、エリオットは顔を上げた。二人の目が合い、そこには不安と期待が交錯している。


「私の呪いは、本当に解けるのだろうか?」


 エリオットの問いかけに、ルーシーは深く息を吐いた。彼女の周りを漂う雷が、少し乱れる。


「……わからないわ。でも、可能性はあるはずよ」


 ルーシーの言葉に力強さはあったが、その目には迷いの色が浮かんでいた。


 クロエが、二人の間に立った。彼女の周りに漂う霧が、優しく二人を包み込む。


「二人とも、希望を捨てないで。この本には、きっと答えがあるはず」


 クロエの言葉に、エリオットとルーシーは小さく頷いた。しかし、その表情には複雑な思いが浮かんでいる。


 エリオットは、窓の外に広がる夕暮れの空を見つめた。そこには、彼女の故郷である月の国「ルナリア」の姿が、幻のように浮かんでいる。


(あの日、父上が私に……)


 エリオットの心の中で、過去の記憶が鮮明によみがえる。



 エリオット……いやエロイーズの7歳の誕生日。華やかな宮殿の中で、父王が厳かな表情で近づいてきた。


「エロイーズ、お前に大切な使命を与える」


 父王の手から放たれた光が、幼いエロイーズの体を包み込む。


「この魔法……あるい意味では呪いかもしれない……は、お前を守るためのものだ。男の姿でいる限り、どんな病も寄せ付けない」


 エロイーズは、自分の体が変化していくのを感じた。しかし、それと同時に、大切な何かを失ったような喪失感も味わった。


「なぜ……?」


 幼いエロイーズの問いかけに、父王は悲しげな表情を浮かべた。


「ルナリア王家に伝わる予言がある。やがて月の輝きを持つ王女が、星の国との架け橋となる。しかし、その道のりには多くの困難が待ち受けている」


 エロイーズは、その言葉の意味を完全には理解できなかった。ただ、自分の人生が大きく変わったことだけは、はっきりと感じ取っていた。



 エリオットは、自分の手をじっと見つめた。その手は筋肉質で、確かに男のそれだった。


(父上、私は本当に、この魔法……呪いから解放されていいのでしょうか? ……でも、私は……)


 一方、ルーシーも自分の過去と向き合っていた。彼の心の中に、故郷の雷の国「フルガル」の姿が浮かぶ。



 フルガル王国の宮殿は、まるで雷雲の塊を彫り上げたかのような威容を誇っていた。巨大な雷光柱が天を突き、その周りを青白い電光が絶え間なく駆け巡る。宮殿の内部は、外観とは対照的に静謐な空気に包まれていた。


 密談室の扉が重々しく開かれる。ルシアンは、背筋を伸ばして中に入った。部屋の中央には、雷の模様が彫り込まれた円卓が置かれ、その向こうに父王が厳かな表情で座っていた。


 ルシアンは、父王の前に跪いた。彼の赤褐色の髪が、僅かに震えている。


「ルシアン、お前にはフルガルの未来がかかっている」


 父王の声は、厳しくも愛情に満ちていた。その言葉に、ルシアンの心臓が高鳴る。


「エーテリアに潜入し、和平の糸口を探れ。そのためには、身分を隠さねばならぬ」


 ルシアンは、一瞬息を呑んだ。しかし、すぐに決意の表情を浮かべる。


「わかりました、父上。この身、フルガルのためならば」


 ルシアンの声に、揺るぎない決意が滲んでいた。しかし、その心の奥底では、不安と戸惑いが渦巻いていた。


(4歳の頃から続けてきた変身魔法の訓練……。まさか、本当にこの日が来るとは)


 父王は、静かに立ち上がり、ルシアンに近づいた。その手には、古代の魔法書が握られている。


「これは、我が国に伝わる最高位の変身魔法だ。お前の魂そのものを変容させる」


 父王の手から、青白い光が放たれる。その光が、ルシアンの体を包み込んでいく。


 ルシアンは、体の中で魔力が渦巻くのを感じた。それは、今まで経験したことのない強烈な感覚だった。彼の体が、少しずつ変化していく。


 髪が伸び、顔立ちが柔らかくなる。体つきも、しなやかな女性のものへと変わっていく。ルシアンは、自分の中の何かが失われていくような感覚と同時に、新たな何かが芽生えるのを感じていた。


 変身が完了すると、父王は大きな鏡を持ってきた。


「見るがいい、ルシアン。いや、これからはルーシーだ」


 鏡に映る自分の姿に、ルシアンは息を呑んだ。そこには、見覚えのある少女の姿があった。幼い頃から何度も練習してきた姿。しかし、今回は違った。この姿が、これからの自分なのだと実感する。


 戸惑いと決意が、ルシアンの心の中で交錯する。鏡に映る少女の瞳に、複雑な感情が浮かんでいるのが見てとれた。


「ルーシー……私は、ルーシー」


 その言葉を口にした瞬間、ルシアンは自分の声の変化に驚いた。柔らかく、少し高い声。しかし、どこか懐かしい響きがあった。


「よくやった、ルーシー。お前の任務は今日から始まる。フルガルの未来は、お前の双肩にかかっているのだ」


 父王の言葉に、ルーシーは深く頭を下げた。その姿は、もはや少年のものではなく、凛とした少女のものだった。


「必ずや、父上のご期待に添えるよう努めます」


 ルーシーの声には、決意と共に、かすかな悲しみが混じっていた。これから始まる新しい人生への期待と、失われていく自分への別れ。それらの感情が、彼女の心の中で複雑に絡み合っていた。


 密談室の窓から差し込む陽光が、ルーシーの姿を照らす。その光の中で、彼女は新たな使命と共に、未知の世界へと一歩を踏み出そうとしていた。



(あれから3年……私は、本当に国のためになれているのだろうか?)


 ルーシーの問いかけに、答えはない。ただ、エリオットの姿が、彼の心の中でますます大きくなっていくのを感じる。


「ねえ、エリオット」


 ルーシーの声に、エリオットは我に返った。


「なんだ?」


「エリオットの呪いが解けて、私の任務も完了したら……私たちはどうなるのかしら」


 その問いに、エリオットは言葉を失う。二人の周りを漂う風と雷の精霊たちが、不安げに舞い始めた。


「それは……」


 エリオットの言葉が途切れる。彼の心の中で、様々な思いが交錯する。


(ルーシーのことを、どう思っているんだ? 友達以上の存在なのか? それとも……)


 クロエは、二人の様子を見て、そっと微笑んだ。


「二人とも、答えは自分の心の中にあるわ。それを見つける勇気さえあれば」


 クロエの言葉に、エリオットとルーシーは顔を見合わせた。そこには、不安と期待、そして言葉にできない感情が浮かんでいる。


 図書館の窓から差し込む夕日が、二人の姿を優しく照らす。その光の中で、エリオットとルーシーは、自分たちの過去と向き合い、そして未来への一歩を踏み出そうとしていた。


 呪いの解放への道のりは、まだ始まったばかり。しかし、二人の心の中には、確かな希望の光が灯り始めていた。


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