第15話「俺には、君しかいないんだ」

 アカデミー・ルミエールの空中庭園は、まるで天空の楽園のようだった。浮遊する小島に築かれたこの庭園では、重力魔法によって水が逆流する噴水や、虹色に輝く花々が咲き誇っている。エリオット(エロイーズ)は、この幻想的な景色を眺めながら、ルーシー(ルシアン)を待っていた。


 風の精霊たちが、エリオットの周りを軽やかに舞っている。彼女の不安な心情を感じ取ったのか、時折優しく頬をなでるように近づいてくる。


「ルーシー、遅いな……」


 エリオットが呟いた瞬間、背後から声が聞こえた。


「やあ、エリオット。ルーシーを待っているのかい?」


 振り向くと、そこにはガエル・シエルダンスが立っていた。彼の周りには、いつもの風の渦が漂っている。その姿は、まるで空そのものが彼を包み込んでいるかのようだった。


「ああ、ガエル。そうだけど……どうかしたのか?」


 エリオットの問いかけに、ガエルは少し困ったような表情を浮かべた。


「実は、ルーシーに話があってね。でも、なかなか二人きりになれなくて……」


 ガエルの言葉に、エリオットは思わず身構えた。彼女の心の中で、不安と焦りが渦巻き始める。


(まさか、ガエルはルーシーに……)


「どんな話だ?」


 エリオットの声には、少し緊張が混じっていた。ガエルは、遠くを見つめながらゆっくりと口を開いた。


「俺は、ずっとルーシーのことが好きだったんだ」


 その言葉に、エリオットの心臓が大きく跳ねた。風の精霊たちが、彼女の動揺を感じ取ったかのように、より激しく舞い始める。


「そ、そうか……」


 エリオットは、必死に平静を装おうとした。しかし、その声には明らかな動揺が滲んでいた。


 ガエルは、エリオットの反応に気づいたようだった。彼は、少し寂しそうな笑みを浮かべる。


「君も、ルーシーのことが好きなんだよね」


 その言葉に、エリオットは驚いて目を見開いた。


「え? い、いや、それは……」


 言葉を濁すエリオットに、ガエルは優しく微笑んだ。


「隠さなくていいよ。君たち二人を見ていれば、わかるさ」


 ガエルの言葉に、エリオットは言葉を失った。彼女の頬が、徐々に赤く染まっていく。


「でも、ガエル。お前がルーシーを好きな気持ちは、その……」


 エリオットの言葉を、ガエルは静かに遮った。


「いや、それでも駄目なんだ。俺には、ルーシーの本当の姿を受け入れる勇気がない」


 その言葉に、エリオットは息を呑んだ。


「本当の姿って……」


「ああ、俺は知っているんだ。ルーシーが本当は男の子だってことを」


 ガエルの告白に、エリオットは言葉を失った。風の精霊たちが、彼女の周りでより激しく舞い始める。


「でも、どうして……」


「偶然見てしまったんだよ。君たちが中庭で魔法の練習をしているとき……・でも、そのことをきみたちには言えなくて……ずっと秘密にしていた」


 ガエルの目には、悲しみの色が浮かんでいた。


「俺は、今でもルーシーのことが好きだ。でも、その気持ちと、ルーシーの本当の姿を受け入れることの間で、ずっと葛藤していた」


 エリオットは、ガエルの言葉に深く考え込んだ。彼女自身も、自分の本当の姿とルーシーへの想いの間で揺れ動いていたのだから。


「ガエル……」


「だから、エリオット。君が、ルーシーの全てを受け入れられる人なら……俺は身を引くよ」


 ガエルの言葉に、エリオットは驚きの表情を浮かべた。


「でも、それじゃあガエル、お前は……」


「大丈夫さ。俺には、空があるからね」


 ガエルは、寂しげな笑みを浮かべながら、空を見上げた。彼の周りの風の渦が、徐々に大きくなっていく。


「ガエル……」


 エリオットが声をかけると、ガエルは再びエリオットに向き直った。


「エリオット、君とルーシーを幸せにしてやってくれ。俺は……少し旅に出るよ」


 ガエルの体が、ゆっくりと宙に浮き始める。風の魔法を使って、彼は徐々に高度を上げていった。


「待ってくれ、ガエル! どこへ行くんだ?」


 エリオットが慌てて叫ぶ。ガエルは、もう地上から数メートルの高さにいた。


「心配しないでくれ。俺は……自分の気持ちを整理する時間が必要なんだ。きっとまた戻ってくるさ」


 ガエルの姿が、雲に覆われ始める。彼の声が、風に乗って届く。


「それまで、ルーシーのことは頼むよ」


 最後の言葉と共に、ガエルの姿は雲の中に消えていった。エリオットは、しばらくの間、空を見上げ続けた。


「ガエル……」


 風が優しく頬を撫でる。まるで、ガエルが別れの挨拶をしているかのようだった。


「エリオット? 何があったの?」


 突然聞こえたルーシーの声に、エリオットは我に返った。


「ルーシー……」


 エリオットは、ルーシーの顔をじっと見つめた。そこには、彼女が愛してやまない人の姿があった。男であれ女であれ、その全てを受け入れたいと強く思う。


「ルーシー、俺は……いや、私は……」


 エリオットの言葉が途切れる。彼女の体が、風に包まれるように揺らめき始めた。


「エリオット……?」


 ルーシーの驚いた声が響く中、エリオットの姿が少しずつ変化していく。金髪が伸び、体つきがより女性的になっていく。


「私は、あなたの全てを受け入れたい。そして、私の全てを見せたい」


 エロイーズの姿となったエリオットが、震える声でそう告げた。


 ルーシーの目に、涙が浮かんだ。彼女もまた、自分の変身魔法を解いていく。


「エロイーズ……私も、あなたの全てが愛おしい」


 ルシアンの姿となったルーシーが、そっとエロイーズの手を取る。


 二人の周りを、風の精霊たちが祝福するように舞い踊った。空中庭園の花々が、二人を祝福するかのように一斉に開花する。


 遠くの空で、一筋の風が強く吹いた。それは、ガエルの最後の贈り物のようだった。


「俺には、君しかいないんだ」


 ルシアンの言葉に、エロイーズはそっと頷いた。二人の新たな物語が、今始まろうとしていた。

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