第4話 天下無敵のアイドルさま


 窓の外は憎たらしいほどの青空だった。

 二階にある喫茶店の窓からは、人目を気にせず外を見ることができる。あちらから見られることもない。お冷に口をつけながら人間観察を続けた。

 店内には人もまばらで、それぞれの席が区切られていることもあり、プライベートな時間を満喫できる。


(小さい頃から変わらないわね、ここは)


 いわゆる藤間家御用達の喫茶店だ。

 最初に来たのは長兄の明につれられてだった。明は年の離れたレイカを可愛がってくれて、パフェを奢ってくれたりした。不思議と寿とはそういう記憶がないのだが。 


「寿くんはお小言担当って感じかしら」


 レイカは小さく呟いて、思ったよりしっくりきたことに頷く。

 明が甘やかす担当ならば、寿は口うるさく注意してくる担当なのだろう。年齢が近い分、目に付きやすいのもあったのかもしれない。


ーーピロン。


 スマートフォンの着信がなり、画面を確認する。メッセージアプリに「そろそろ着く!」と元気の良い文章が届いていた。

 簡単なスタンプだけ返し、もう一度窓の外を見た。

 レイカが優しい記憶にまどろんでいると、足音が近づいてくる。顔を上げれば、もう、すぐそこに彼女は立っていた。


「よっ!」


 待ち人ーー芸能界でできた友達である結愛は、深く被ったキャップから形の良い唇を二カッと笑わせて手を上げた。

 彼女の表も裏も知っている身として違和感はない。

 しかし、アイドルとしての彼女しか知らないファンにしたら違和感のある映像だったろう。なんと言っても完璧アイドルさまなのだから。

 レイカは対面に座った結愛に小さくため息をついた。


「外でその気軽さはどうなのかしら?」

「誰も見てないし、平気だってぇ……見てても、そこ込みでアイドルにするくらいの気概はあるし?」


 一応、彼女の立場を考えて言ったつもりだったのだが、結愛としてはすでに分かりきっていることだったらしい。

 キャラ作りの大変さを知っている身として、彼女のプロ根性は凄いと思う。

 もし、この場面が記事になったとしても、彼女はアイドルを確立させた受け答えをするさのだろう。


「それで、レイカの新しいマネージャーはどうよ?」

「どうもこうもないわよ」


 注文を終えるとすぐに切り出された話題にレイカは肩を竦めてみせた。

 時間のないアイドルさまは、すぐさまメニューを手に取ると素早く食べたいものを注文していた。

 結愛は悩んだりはあまりしない質で、彼女が注文で迷っているのを見たことがない。もちろん、撮影されるテレビなどでは可愛らしく悩む様子を知っている。

「うーん、どうしよっかなぁ。迷うなぁ」などと、わざとらしく言っている姿は、レイカにしてみれば違和感を通り越して不気味でしかない。

 メニューを閉じた結愛がレイカに向かって唇を釣り上げた。


「なに、完璧なマネージャーなんでしょ?」

「確かに仕事はできるわよ。すごく」


 レイカは結愛の言葉に肩をすくめた。

 この情報の速さも彼女の怖いところだ。

 佐世がレイカのマネージャーになって、まだ一ヶ月も経っていない。その間に結愛と仕事が被ることはなかったし、TV局ですれ違うようなこともなかった。

 メッセージアプリでマネージャーができたことを伝えていたが、この様子ではそれ以外の情報も入っているだろう。

 レイカは手元にあるメロンソーダに口をつける。


「相変わらず、甘党ね」

「ここでくらい、好きなのを飲みたいもの」


 甘いもの好きのイメージがないことはレイカだって、分かっている。ストローを回せば、カランと一つ氷が鳴った。


「朝のお迎えは完璧。言ってきたものはきちんと買ってくるし」

「いいじゃん」


 結愛は机の上に肘を着いて両頬に手を当てて聞いている。

 まさしくアイドルポーズ。この友人は自分が可愛くいることに対して余念がない。

 結愛の言葉に頷く。佐世は思ったよりもずっと、仕事ができる人間だった。

 幼く見えることが心配だったが、それさえうまく使って人の懐に入る。

 彼女が来てから仕事は格段に増えたし、内容もスムーズに、リラックスしてできるようになった。レイカが求める以上のマネージャーだ。

 レイカは机の上に片肘をつき頬を支えながら、言葉を続ける。


「それどころか、気を利かせて前好きって言ったものも買ってきたり、現場の差し入れをしたりしてるのよ」

「へぇ、スゴイじゃん。何が不満なのさ」

「不満ってわけじゃ……なんていうか、初めてとは思えないのよね」


 そう、初めてと聞いていたのに、あまりに完璧すぎて変なのだ。

 朝もキッチリしているし、前の日の疲労具合からレイカの好物を買ってきてくれたりもする。

 時間に遅れることもない。その上、いつの間にか仕事を取ってくる。営業の電話をしているのは何度か見たが、いつ相手と会っているのかレイカには検討がつかなかった。

 レイカの言葉に結愛は大きな瞳をさらに大きくするように見開いた。


「初めてなの?」

「そう。今まではうちの事務所で事務をしてたらしいんだけど」


 佐世を認識したのは、この間が初めてだ。レイカは今の事務所に所属して長いが、事務の方に顔を出したことはない。


「ふぅーん、不思議なこともあるもんだ」


 結愛がくるくると手元のストローを回す。彼女が選んだのはフレーバーティー。

 今はライブに向けて身体を絞っているらしく、甘さ控えめのものだ。

 一口飲み込んでから、結愛はニッと悪い笑顔を浮かべた。


「で、レイカさまは、そんなマネージャーが怖いわけだね」


 ずばりと言い切られたことに、レイカは肩をすくめる。

 正解。だけれど、怖さで言えば、今、そんなとこまで見抜く結愛のほうが余程怖い。


「疑うのは良くないと思うのだけれど……なんというか、不安が一番近いのかしら」

「まぁ、そこまで仕事ができると、同じ業界で働いてたんじゃないのかと思うよね」


 そうなのだ。それが一番レイカが心配していること。

 社長の後輩だというから、その心配は杞憂なのだろうけれど。

 狭い業界だけれど、他の場所で働いていた人間がスパイのように入り込むこともある。レイカのスキャンダルのいくつかは、そう言ったものがいくつかあった。


「そう、ね……そう言うのが、一番近いのかもしれないわ」


 小さく頷く。結愛は相変わらず人の言いたいことを当てるのがうまい。おそらく人の感情を読むのが上手なのだ。

 だからこそ、アイドルなんて人気が一番の仕事で、好きなように動きながらトップを走り続けられるのだろう。


「でも、それなら、簡単でしょ?」

「簡単?」


 レイカは結愛を見つめる。彼女をただのアイドルと思っているとろくな事にならない。

 結愛を天下に押し上げたのは、彼女の才能だけではない。彼女のマネージャーの鬼のようなサポートがある。

 それを身近で見てきた結愛は、人に対してシビアだ。


「だって、切ればいいだけじゃない」


 予想できた一言に、それでもレイカは息を呑んだ。

 人を切る。辞めてもらう。言うのは簡単だけれど、するのは難しい。気が進まない。だけれど、しないといけないときもある。


「そうね。それはそうだけど」

「でしょ? 信用できるなら、とことん仕事してもらって。できないならーー」


 結愛が言葉にしなくても、レイカには続く部分がわかった。

 頷く。結局、この世界は人のなのだ。

 レイカが信用できると思ったら使う。信用できなかったら切る。それだけ。


「火のない所に煙は立たぬって言うじゃない」

「火のない所でも、炎上するのが、今の世の中よ? レイカさま」


 レイカは言葉に詰まった。確かに、思うところがないわけでもない。


「そっちはどうなのよ? 天下のアイドルさま」


 大きく息を吐いて、空気を変えるようにレイカは結愛に切り出した。

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