第3話 小鳥遊佐世という人

 大勢の人が吐き出されて、同じくらいの人が電車に吸い込まれる。人種も性別も多種多様。若い人も高齢者もいる。新宿駅はまるで人間の見本市のようになっていた。

 もうひとつ前の駅で歩いたほうがよかったかもしれない。レイカは久しぶりに味わう人ごみの中をすり抜けながら事務所に向かう。

 キャッチを交わしつつ事務所まで歩くのは骨が折れる作業だった。

 事務所に顔を出せば、見慣れた髭面が見えた。大友社長だ。

 高校生ころからお世話になっているが、いまだに社長に見えない。現場監督と言われた方が納得できる顔面だ。

 誰かと話している大友にレイカは軽く声をかけた。


「社長、来たわよ」

「おー、良かった良かった。ほら、待ち人だぞ」

「はぁ、誰?」


 ぽんと社長に肩を押されて出てきたのは地味な女だった。レイカは見知らぬ人物に目を細めた。

 顔立ちは悪くない。美人と可愛いでいえば、可愛い系。レイカと並んで立てば、間違いなくいじめられていると思われるタイプ。

 その女の子がレイカに向かい口元を引き締めると、ぺこりと頭を下げた。


「初めまして、小鳥遊佐世と言います。レイカさんのマネージャーをすることになりました」

「は、い?」


 レイカは素っ頓狂な声を上げた。

 これから長いこと一緒にいることになるレイカと佐世の出会いだった。

 目の前で小鳥遊佐世と自己紹介した女性が頭を上げるまで、レイカは固まっていた。

 たっぷり五秒はあっただろう。この幼く見える女性が自分のマネージャーをするということを頭が受け入れられなかったからだ。

 ゆっくり顔をあげた佐世と目があって、レイカはやっと動けるようになった。


「はぁ?! ちょっと、どういうこと?」

「どうもこうも……そのまんまだ」


 佐世の隣に立つ大友に詰め寄る。レイカに詰め寄られた大友は肩をすくめるだけで、まともな説明はない。

 横目で佐世を改めて見る。

 色素の薄い髪の毛がポニーテールに結われている。ふわふわとした毛質が結っていてさえわかる。その下にある顔も童顔。

 20にもなっていないように見える子供に、マネージャーをさせるというのか。

 レイカの視線の鋭さに気づいたのか、大友が佐世の肩に手をおく。


「佐世は優秀だぞ。年だって、こう見えて……何歳だっけ?」


 セクハラで訴えられてもおかしくない距離感だが、佐世の顔に嫌悪感や驚きはない。慣れている様子に大友との付き合いの長さを感じる。レイカは見たことがなかったが、長年事務所にいたのかもしれない。

 佐世は冷静な声で、自分の年齢を告げた。


「23です」


 周りがこれだけピリピリしているのに顔色ひとつ変えていない。

 ただ、自分に視線が集まるのは嫌なのか、居心地が悪そうに身体を一度だけ揺らした。

 レイカの驚きの声が響いた。


「同い年なの?!」

「そうです」


 それでも佐世は表情ひとつ変えず頷くだけ。さっきからレイカ一人が驚いてばかりだ。

 年下かと思ったら、同い年。この幼さで。

 どちらかと言えば年上に見られるレイカからすれば、年下にしか見えない。

 信じられない気持ちのまま佐世の足元から頭までを見返す。


「見えないわ」

「レイカさんは大人っぽく見られそうですね」

「まぁ、どちらかと言えばそうね」


 でも言いたいことはそういうことではない。レイカはまだ事態を飲み込めていない。混乱のさなかだが、反射的に言葉を返していた。

 ため息を誤魔化すように天井を仰ぎ見る。ポンポンと言葉が返ってくるのを見ると思ったより緊張はしていないようだ。


(普通、新しくマネージャーとして紹介される方が、こういうとき緊張するのではないのかしら)


 レイカと初めて会う人間は大抵緊張している。小さい頃からそうだったから慣れてしまった。

 幼い頃は名家のお嬢様だったから。今になれば、芸能人だから。

 同じ業界の人間ならまだしも、一般人と呼ばれる人間からこうもフランクに対応されることに違和感があった。

 太鼓判を押すように、社長が佐世の肩をぽんと強めに叩く。合わせるようにして、佐世が頭を下げた。


「勤務態度もマジメだぞ」

「経験はありませんが、精一杯務めさせてもらいます」


 腕を組み難しい顔をしている自分と、必死に頭を下げる童顔の女。

 こうなると自分が佐世をいじめているような状況に思えてしまう。レイカは社長にもう一度問いかける。


「……本当に、この子をあたしのマネージャーにするの?」


 黙ったことで話は終わったと思ったのか、紹介を終え何処かへ行こうとしていた大友の肩を掴む。

 逃がす気はない。こんなに雑な紹介の仕方もないだろう。

 大友は苦いものを飲んだような顔をして、どうにか逃げようと肩をすくめて言った。


「早くマネージャーが欲しいって言ってたじゃないか」

「ただのマネージャーじゃなくて、仕事ができるマネージャーって言ったのよ」


 言い逃れのような言葉に、レイカは社長の耳に口を近づけた。

 確かにマネージャーが欲しいとは言ったが、誰でもいいとも言っていない。

 連れてこられた佐世にはまったく関係のないことだから、なるべく彼女に聞こえないように早口で話した。

 社長はなおも逃げようと貧乏ゆすりのように足を動かす。


「佐世は気も利くし、細かいところにも気づく。前のマネージャーみたいなことにはならん。あとはレイカとの相性だけだ」


 社長はちらりと佐世に視線を送る。レイカもつられたように視線を向けたが、キョトンとした顔のまま少し首を傾げるだけだ。

 前のマネージャーは一番忙しいときを狙ったように辞めていった。そういう状況にならないだけで助かる。

 レイカは一回目をつむった。落ち着こう。別に悪い状況じゃない。欲しかったマネージャーができそうじゃないか。そのマネージャーがどんな人間なのかはさっぱりわからないのだけれど。

 佐世とレイカが向かい合う中で、硬直し始めた空間に大友が手を打ち合わせた音が響く。


「今日はもう遅いから、解散な!」

「ちょっと!」


 鋭く呼び止めるも返ってきたのは視線だけだった。


「佐世、レイカを家まで送ってやってくれ」

「はい、わかりました」


 大友の指示に佐世は素直に頷く。まさしく社会人らしい反応だ。

 その反応に大友は満足気に頷くと、笑顔を顔に浮かべ、ひらひらと手を振る。


「詳しいことは、佐世に伝えてある。仲良く話すんだぞー」


 ケラケラ笑いながら奥に消えていく。レイカを驚かすことができて満足しているようだ。

 足取りの軽さから、このあと飲みでも行くのだろう。

 人のことにはうるさいくせに。レイカはその背中を睨むしかできなかった。


「……行きますか?」


 大友がいなくなったあとも、レイカは扉を睨みつけていた。

 会ったばかりの人物に優しく声を掛けられ、隣を見れば車の鍵を片手ににっこりと佐世が微笑んでいた。

 この状態で笑顔でいられるあたり、根性はあるらしい。それかすごく鈍いか。

 とにかく、もう帰ろう。そう思って頷いた。


「ええ。お願いするわ」

「車は下に用意してあります。これからは基本的に私が運転して移動になります」

「あなた免許持ってるのね」

「東京以外じゃ、高校が終わるくらいに取りますよ」

「そう」


 佐世に誘導されながら、足を進める。

 寝耳に水だったが、新しいマネージャーができたのだ。良いと思うことにしよう。

 レイカは自分に言い聞かせる。

 仕事ができないなら、辞めてもらえば良い。仕事ができるなら、自分が望んだマネージャーそのものだ。

 何も悪いことはない。


(あとは、レイカとの相性だけ、ね)


 大友の言葉を思い出す。

 相性など仕事にはいらない。レイカが欲しいのは、ただ誠実に仕事をしてくれることだけなのだ。

 目の前の女性がそれを叶えてくれることだけを祈った。


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