第88話 しんどい、うるさい
「さて、基液の前準備はここまでね。ここから熱をかけていって、30ヘルンを超えると基液の崩壊が始まるわ」
「崩壊?」
「ええ。前回、基液ごとに制限時間があると言ったでしょう?あれは、基液が崩壊しきる前にポーションとして液体を安定させなければならないから、それまでの猶予から逆算して素材アイテムを溶かしていられる時間って感じなのよ」
「なるほど」
その説明だけでは仕組みはよくわからないが、そこはまあ別によくわからなくてもいいだろう。大事なのは、制限時間があるという事実だ。
「そしたら熱をかける前に、素材アイテムの方の前準備をしておくわ。今回はアガラ草を溶かすだけだから、アガラ草を粉末機にかけて粉末状にしておくのが必要な前準備ね」
「わかりました」
『機械がやってくれるんだねー』
「使い方は簡単。ここに素材アイテムを入れるだけよ」
デラキナに言われた通り、アガラ草を調合台に取り付けられた粉末機に投入する。
素材アイテムを粉末状にする作業を機械がやってくれるのは、非常に助かる……というか、手動で粉末にすることはできるのだろうか。少なくとも乾燥させる作業が必要だし、それならば外で咄嗟に調合をするというのは結局現実的ではないという話になるのでは。
なんて私が思っていたのを察してか、デラキナは粉末機が謎の轟音を響かせるのを見つめながら声を張り上げた。
「最悪、ここまでしなくてもみじん切りにするくらいでも大丈夫よ!ただ、それだと素材アイテムが溶けるのに時間がかかってしまうの!粉末状にすれば、ほとんど一瞬なのだけれど!」
そう叫びながらもちゃんと聞こえているか不安げなデラキナに、こくこくと頷いて返事をする。
溶かすのに時間がかかるというのはそれだけ消失時間も厳しくなっていくということなので、余程のことがなければ素材アイテムは粉末状にするべきだろう。
やがてその轟音が静まると、デラキナが粉末機の受け取り口から粉末状になったアガラ草を取り出した。
「粉末機は音がうるさいのが難点だけど、そこにはもう目を瞑るしかないわね」
「そうですね……びっくりしました」
『私なんてさっきまでミュートにしてたよー』
私も、そんな機能があれば間違いなく使って……そして、デラキナの言葉も聞こえていなかっただろう。
「それじゃあ、これで前準備は終了。荒基液を使った調合は本当に簡単だけど、気を抜かないでやってね」
「はい」
『幸姫がんばー』
紗音の応援を受けながら、デラキナに誘導されて大釜の表側へと立つ。もちろん、踏み台の上だ。
大釜の表側には捻り回せる円柱状の突起が二つと、0から100を示すメーターが一つあった。
「そこに温度調節器が二つとと温度メーターがあるでしょう?」
「あります」
「右が加熱、左が冷却の装置よ。右の加熱装置は右回転、左の冷却装置は左回転させることで、パワーが上がっていくわ。温度を調節する時は、ムラができないようにかき混ぜ続けるのも忘れないように」
「はい」
「温度メーターは、現在の基液の温度を示しているけれど、ムラがあると正確な温度を示してくれないわ。それに、反映されるのも少し遅いから、ギリギリを狙いすぎるのは良くないわね」
「わかりました」
「ただ、今回は関係ないけれど、素材をそのまま入れた時の基液に馴染むのにかかる時間は温度が高いほど早いから、そこはギリギリを狙った方が良い場合もあるわね」
『大変そーだねー』
まあ、最後のアドバイスに関してはまだ考えなくてもいいだろう。
それよりもまずは、今回の調合を成功させること。基液の温度を上げて、粉末状にしたアガラ草を入れて、冷ます。それだけだが、しっかりと成功させていかなければ。
「いきます」
「ファイトー」
『ひゅーひゅー!』
気合を入れるために宣言をしたからか、二人が私を調子付けるために声援を送ってくれる。
とは言っても、やることは加熱装置を捻っておたまでかき混ぜるだけだ。しかしその過熱具合がわからない私は、まずは少しだけ捻ってからかき混ぜてみた。
「……っ」
『全然上がってないよー?』
紗音の野次の通り、温度メーターは僅かに上昇していくだけだ。そして、おたまが大きい分基液の抵抗が強くてめちゃくちゃ腕に負担がかかる。
ちなみに、デラキナはあえて説明をしなかったのだろうが、アガラ草の軟点は30だ。つまり、基液の崩壊が始まるのと同じタイミングで入れて良い。だから焦って温度を一気に上げる必要はない。のだが……
「……ーっ!」
『幸姫ー?……幸姫さーん?』
必死にかき混ぜている割には亀のような速度でしか温度が上がっていかない私の手間に、紗音が呆れたように声をかけてくる。
そしてついには、デラキナからもゴーサインが飛んできた。
「ゆきひめちゃん、そこまで慎重にならなくてもいいのよ?正直、こんなの失敗しようがないくらいだから……」
『言われてますぞー!』
「……わかりました」
私は一度かき混ぜる手を止めて、加熱装置をさらに捻る。そしてさらにもう捻り。
そして、かき混ぜる。
「……んいーっ!」
『幸姫、こっち見てー』
「はぁっ……んっ!」
『幸姫、幸姫、こっち……って、ストップストップ!温度!』
「んぇ?」
紗音に言われて温度メーターを確認してみると、いつの間にか温度メーターが指し示す数値が50まで上がっていた。
慌てて加熱装置を止め、どう考えても私の非力が原因で全然かき混ぜられておらず温度のムラができてしまっているはずなので、改めておたまでかき混ぜていく。
「んっ!……うーっ!」
『幸姫!こっち見て!幸姫!』
「……ゆきひめちゃん、やっぱり大変?」
「いえっ……大丈夫、ですっ!」
『きゃーっ!かわいーっ!』
紗音が何やら興奮している。うるさいので、監視機能をOFFにしてやろうかな。
なんて冗談はともかく、自分の身長より大きいおたまで液体をかき混ぜるのは相当きつい。私でなくとも、相当な重労働のはずだ。
……いや、この世界では見た目じゃなくて筋力ステータスで腕力が決まるから、STRが1の私にとっては重労働なだけだった。私より小さくても、STRが100あればコーヒーをスプーンでかき混ぜるくらいの感覚でできるのかな。
「うん、そろそろいいんじゃないかしら」
「ふぅ……はいぃ……」
『……幸姫、リアルでもあの大釜買わない?』
紗音が何やら馬鹿なことを言い始めてしまった。買ったところで、何を作るというのか。
いや、そんなことはどうでもよくて、今は基液の温度だ。改めて確認してみると、それは40の少し手前を指し示していた。
「攪拌が、甘いと……結構、あてに、なりませんね……」
「そうね。そうなのだけど……ゆきひめちゃんは、もうちょっと筋力を上げた方が良いかもしれないわね」
『いやいや先生!幸姫はこれがいいんですよ!』
「上げます。頑張って上げます」
『ダメー!幸姫はこのままー!』
うるせー。
このまま紗音の変なセンサーに引っかかり続け得ると、現実でも何かとんでもないことを要求し始めそうな気がする。というかさっき既にしてた。これは非常にまずい。
図鑑埋め、頑張ろう……
なんて茶番をしている場合ではなかった。
一度踏み台を降りて、用意してあった粉末状のアガラ草を持ち、再び踏み台に乗る。
そして、粉末状のアガラ草を基液の中にぶち込んで、冷却を開始しながら、おたまでかき混ぜ……かき……しんどい。
「……ゆきひめちゃん、もう少しの辛抱よ」
『幸姫がんばれー!負けるなー!』
「うーっ」
『幸姫っ!本当に、可愛いよっ!』
なんか妙にムカついてきた……絶対筋力鍛える……
「もう十分だと思うわ。一気に冷ましちゃっても大丈夫よ」
「はいっ……」
『おつかれさまー』
ふー……
これ、最大七分とか絶対無理だ。
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