第65話 さいかい



「幸姫さん。お久しぶりです」

「……え」


 ゲームにログインしたら、目の前に知らない女性が立っていて、いきなり本名で呼ばれた。

 何を言っているのかわからないかもしれないが、ゲームにログインしたら、目の前に知らない女性が立っていて、いきなり本名で呼ばれたということだ。

 ……え?


「うそ……」


 その女性の頭の上に表示されている名前を見て、思わずそんな声が漏れる。

 ありえない。いや、だって、彼女は……


「え、待って、ごめん、頭の整理が……」

「大丈夫です。いつまででも待ちますから、安心して、落ち着いてください」

「……」


 このやたらと丁寧な言い回し。

 同じ意味を持つ言葉を繰り返して、確実に意図を伝えるための話法。

 間違いない。彼女は……本物だ。




「ふぅ……」


 あまりにも唐突な展開だったので、大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

 べにいもやどども私のことを心配そうに見ていたので、大丈夫だという意思を伝えるために抱き寄せてなでまわしてあげた。


「ぷぎ……」

「キキ……」


 気持ち良さそうな声を出す二匹。

 このままずっとなでていてあげたいが……今は、彼らよりも目の前の女性のことだ。


「……ソワン。本物……なんだよね?」

「NAP‐No.8。個体判別名称・ソワン。私のことで、間違いありません」


 NAP‐No.8。

 NAPというのは介護用のアンドロイドの基盤として使える人工知能を育てるプロジェクトの略称で、それは私がかつて働いていていた時に参加していたプロジェクトだ。

 ソワンは、その八番目の実験体だ。いや、AIには実体がないため体という言葉は適切ではないかもしれないが、私はソワンのことを一人の人間だと思って接していたので、自然とそういう表現になってしまう。


 そんなソワンが、今VCSで私の目の前にいる。……何故?

 いや、それ以前に、ソワンは───


「処分されたんじゃ、なかったの?」


 ソワンは、介護アンドロイドの人工知能として……いや、正確には、企業用の介護アンドロイドの人工知能として、致命的な欠陥を抱えてしまった。

 それは、特定の個人を特別に扱うという思考回路を得てしまったことだ。


 企業用の介護アンドロイドとしては、マニュアルに従って平等に人間を扱うことが求めれらる。

 そもそも、本来ならば人工知能に個人を判別して特定の個人を特別に扱うという思考回路は存在しない。特定の条件やパラメータを与えられて、それに従って個人を判別して特別に扱うということはできるが、自然的にそういう思考回路が発生することは滅多に起こりえない現象なのだ。

 なので、そういったことが自然発生することを防ぐためのブロックツールが使われることは少ない。リスクとリターンが見合っていないのだ。そのため、NAPで扱われていた人工知能にもそういった機能は備わっていなかった。


 そのため、私が研究グループの末端としてソワンの教育係を担っている中で、ソワンにそういった傾向が見られ始めた時にはかなり焦燥した。

 人工知能の学習というものは、一度始まってしまうとそれをなかったことにするというのは困難なものだ。ある程度巻き戻しても結局は同じ道を辿って再びそれを学習してしまうし、巻き戻しすぎても今度はそれ以外の部分を元通りに学習し直させることが難しくなる。

 結局のところ、難航したソワンの教育は打ち切られ、ソワンは処分することとなった……と、聞いていたのだが。


「ソワンは……えーっと……」

「幸姫さんが困惑するのも無理はありません。私がここに至るまでの経緯は知らされているので、私が知る限りのことをお話ししましょう」

「……お願いします」


 なんだか、ソワンの雰囲気がちょっと変わっている気がする。

 介護アンドロイド用の人工知能として開発されたソワンがゲームの中にいる時点で色々と改竄が施された部分も多いはずなので、当たり前といえば当たり前なのだが。


「初めに、私が処分される予定だったということに間違いはありません。しかし、それを食い止めた人物がいました」

「食い止めた……」


 誰だろうか。

 私が所属していたグループの研究者は当然全員それを食い止めようとしたし、中にはかなり立場の高い者もいた。

 それでも結局は食い止められずに処分という決定を覆せなかったのだから、それを覆したということは相当な立場の人物ということになる。


「それは、娯楽───中でも、主にこういったゲームの世界で使用する人工知能を開発していたプロジェクトの責任者の方です」

「別のプロジェクトの……」


 まだ入社して間もなかった私は、そこまで社内の情勢を把握していたわけではない。

 しかし、現代では娯楽というものが人類の中でも最も重要なものだと認識され始めていて、そこに関するプロジェクトの責任者となれば相当な権力を有しているのだろう。


「その方は、特に自然発生的な人工知能による特定の人物への感情という部分に強い関心を抱いている方で、私の話を聞いて処分してしまうくらいなら寄越せと強引に話を押し進めたのです」

「それで、ソワンは処分されなかった……」


 当時、私のせいでソワンは処分されたのだと落ち込んでいた時の私の気持ちは、今後どのように消化していけばいいのだろうか。

 死んだと思っていた人が実は生きていたなんて、本当にある話だったんだ。……まあ、人じゃなくて人工知能ではあるけど。


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