第5話 なみだめはいそう



 やはりスライムは一度攻撃をした後にはかなりの時間硬直するようで、こちらのことを見てはいるものの動こうとする気配はなかった。

 その隙に立ち上がった私は、小走りで近づいて思いっきり足を振り上げる。


「とぉー!」


 私に蹴り上げられたスライムが、勢いよく……いや、コロコロと転がる。

 キック力が幼児レベルで泣けるが、まあステータスのことを考えれば仕方ないのかもしれない。


「ぷぎっ!」


 コロコロと二メートルほど転がったところで止まったスライムは、怒ったような声を出した。

 身体を上下に揺らして威嚇のような行動をしてくるが、怖いというよりはむしろ可愛い。


 しかし、敵は敵だ。

 私は一気に近づいて、再び容赦なく蹴り上げる。


「てゃー!」

「ぎーっ!」


 コロコロと転がるスライム。

 HPゲージがないからよくわからないけど、なんか全然倒せる気がしない。


「てか……やばい……もう、疲れて、きた……」


 VITが1のせいだろうか。この数分の攻防で、私の体力は既に限界に到達していた。


「どう、しよ……スライム、にすら、勝てない、とか」


 声を出すと余計に辛い気もするが、むしろ声を出して気を紛らわせないと本格的にしんどさが襲ってくる気がする。

 なんてことをしている間にスライムの硬直時間が過ぎたのか、「ぷぎっ!」なんて私を馬鹿にするような声を出しながら突っ込んできた。


「……きっ!」


 もはや自分でも何と言ったのかわからないような腹の底から押し出されて出てきたような声と共に、迫りくるスライムにタイミングを合わせて蹴りをかます。


 何故蹴りを選択したのかというと、もはや避ける体力すら残ってないからだ。

 しかしそんな理由から繰り出された蹴りの威力などたかが知れていて、運よくスライムに命中はしたものの、その勢いに負けた私の身体は後方へと押し出されてしまった。


 当然軸足一本でその力にあらがえるはずもなく、そのまま倒れてしまう。


「いったー……」

「ぷぎ……」


 しかしそれはスライムも同様だったようで、私の蹴りに飛ばされたスライムは私から少し離れた場所で横たわる様にしてとろけていた。


「はぁ……はぁ……」


 座り込んだまま、息を整える。


 MMORPGの戦闘とは、こんなにも泥臭いものなのだろうか。

 疲れてもう体を動かせる気がしない。


 しかし、それはスライムも同じようで、先ほどから私たちはお互いに動かずに体力の回復に専念していた。


「でも、まだ、赤だ……」


 スライムの頭上に光るカーソルは、敵対を示す赤のままだ。

 正直、もうお互いに諦めてなかったことに───


「ぷぎぎー!」

「ちょ、そんないきなり!」


 甘いことを考えていた私を𠮟りつけるように、スライムが突然体当たりをかましてくる。


 当然座った状態でそれを上手に躱す体力も技術もない私は、とっさにスライムをキャッチする構えを取る。

 私の胸をめがけて突っ込んできたスライムに対し、両手を盾にして、その勢いを殺すように手前に腕を引きながら───


「いたっ!」


 スライムの身体が私の手に触れた途端に、バチンという軽快な音が鳴って両手に焼けるような衝撃が走った。


 両手の掌がピリピリと痛み、思わず涙が出そうになる。

 しかし、二十代も半ばの私がVRゲームでスライムに泣かされるとか笑い話にすらならないので、グッとこらえて涙をひっこめた。


「はぁ、はぁ、まじ、ゆるさん……」

「ぷぎ?」


 私の世界一勢いのない怒声に、スライムがこちらを馬鹿にするように首を傾げる。

 膝に手を付けながら立ち上がった私は、硬直で動かないスライムを一点に見つめて、狙いを定めて、気合を振り絞って蹴り上げた。


「あっ」

「ぎ?」


 漫画ならば、スカッという擬音が挿入されていることだろう。

 ものの見事に空振った私の蹴り足は、その勢いを殺されることなく明後日の方向へと力を与え、そのまま私の身体ごとバランスを崩して後方へと倒れ込んだ。


「いっ……たいんですけど!」


 私はいったい何度おしりを地面に打ち付ければいいのだろうか。


 逆切れする私にいっそ哀れだと言わんばかりの視線を向けてくるスライム。

 そんなスライムの姿を見て冷静になった私は、己の行動を振り返って顔から火が出そうなくらいに恥ずかしくなってきた。


(スライム相手に逆切れ……こんなとこ誰にも見せられない……)


 恥ずかしくてこの場を去りたいという気持ちもあるし、冷静に考えてもこのまま戦い続けてもスライムに勝てるとは思えない。


 つまり、今から行うのは戦略的撤退だ。一度街に帰って武器を買ってくるという、とても利口な戦略的撤退なのだ。決して、敗走などではないと断言させていただこう。



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