第29話


         ※


「ぐっ……」


 右腕の肘上あたりを押さえ、私はうずくまっていた。

 今更ながら、当たり前のことを思い出す。私が就いているのは、人命を懸けたとても危険な職種なのだと。


 呼吸が荒い。そして胸に左手を当てる。

 落ち着け。落ち着くんだ、神矢忍。こういう事態に陥った時のことまで考えて、厳しい訓練を続けてきたんじゃないか。今の状況を悲観することはない。


 しかし――しかし、だ。

 情けない話だが、私は激痛で呻き声を止めることができなかった。最早、自分の頬を流れていくのが何なのかも分からない。涙か、鼻水か、それとも雨滴なのか。


「畜生……、ちく、しょう……」


 だんだん視界が利かなくなってきた。痛かろうが、そうでもなかろうが、やはり自分は死んでしまうのだろうか。これでは、両親に会わす顔がない。こんなところで死にたくはない。けれど……。


 ふと豪雨が和らいだような気がして、私は瞬きを繰り返した。右腕も左腕も、動かす気力は残っていない。どうにか首を曲げて、雨滴を代わりに受けている何者かを視界に捉えた。


「……ソ、フィア……?」

「うん、そうだよ、忍。少し待って」


 するとソフィアの左腕が、がちゃがちゃと音を立てて展開した。


「ソフィア、あなた、何、を……?」

「あたしのケーブルをあなたの腕に巻いて、弱い電力で締めつける。骨まで傷ついてる可能性もあるけど、出血を止めるくらいならできるし、だったら。あたしの身体を少しだけ貸してあげられれば――」


 ソフィアが何を言っているのか、さっぱり分からない。

 ただ、どうやら瀕死の私を助けようとしてくれているようだ。それより、確かめたいことがある。


「旗山、は……。旗山二佐は、どうなったの……?」

「ヘリポートの真下に落ちていったよ。人体強化をしたことは、見ていれば分かったよね。旗山は何度も何度も海上プラットフォームにぶつかった。そして、海面に叩きつけられた。高度差は約二〇〇メートル。これではどうしたって、生きてはいられないよ」

「そう……」


 私は溜息をついた。確かに、ここ数日は溜息をつく機会が多かった気はする。だが、それが安堵によるものだったのは初めてかもしれない。


 ソフィアなら、救急信号を誰かに発することができる。ヴィルや私はテロリスト扱いされるかもしれない。だが、だったらこっちだって、グリーンフィールド部隊に関する情報を暴露したっていい。私たちを罰することができるというなら、やってみろ――。


 そう思った私が、ごろりと仰向けになった直後のこと。

 はっと息を呑んで、ソフィアが振り返った。素早くケーブルを格納する。直後、真っ白な照明が私たちの視野いっぱいに広がった。


 唐突に、そしてようやく私の聴覚は再起動した。

 これは、ヘリの爆音だ。航行速度重視で、搭載火器を少なめにしたモデルのヘリ。主に人員輸送に用いられる型式だ。間違いなく味方である。


 ふっと、私は頬が緩んだ。しかしソフィアは、酷く緊張しているように見える。

 どうしたというのだろう?


「ん……?」


 私もまた、強い違和感を覚えた。

 私たちを救助に来たとするには、あまりにも現場到着が早すぎる。まるで、ここでヴィルと旗山の決闘が行われると、前もって知っていたかのようだ。


 すると、ヘリからやたらと威勢のいい声が聞こえてきた。この場には相応しくない、明るくて自信に満ちた声音だ。


《ようヴィル! ソフィアも元気そうだな! 神矢さん、大丈夫か? 出血多量でなけりゃいいんだが》


 この声、まさか……!


「ロブ……? あなた、ロブなの?」


         ※


 私の声は酷く掠れていたが、どうやら向こうは聞き取ってくれたらしい。


《おう、俺だ。ロブだよ。ちょいと任務があってね、君たちのところにやってきたんだ》

「おいロブ! まさかこの期に及んで、俺たちをただ回収するつもりで来たんじゃないだろう?」

《おう、流石ヴィル! 理解が早くて助かるぜ! 俺がGF司令部から受けた命令は、お前たち三人の抹殺だ》


 がちゃり、と硬質な音がする。ヘリのコクピット下部に取りつけられたガトリング砲が、こちらに狙いを定めている。

 ヴィルは機転を利かせ、とても重要なことをロブに尋ねた。


「リエン! 乗ってるんだろう? この大馬鹿野郎を止めてくれ! お前ならこいつを素手で殺すことだって――」

《あー、それなあ》


 私には、コクピットでかぶりを振るロブの姿が見えた。


《リエンは死んじまったよ。俺が死んだと見せかけて海中に放り出された時にな。ま、そもそもあいつは俺の作戦上、大した存在ではなかったんだが》

「……」


 言葉を失うヴィル。しかし今の彼に勝ち目はない。腕力も脚力も、いつもより遥かに落ちている。


《いい物件だったけどなあ、リエンのヤツ! 少年兵上がりであれだけ電子機器を操っていたんだ。人間何に向いているかなんて、分からんもんだぜ。えぇ?》


 おどけた口調で、憚りなくリエンを見下すロブ。

 これには流石のヴィルも、自分を抑えることができなかった。

 凄まじい怒声、否、咆哮を上げながら、ヘリに向かって駆け出したのだ。右の拳をぎゅっと握り締め、殴りかからんとする。


《ふん、馬鹿が!》


 パパパパッ、と何かが広がった。それこそ、私たちがさっきまで使用していた煙幕弾だ。

 いや、待てよ? 私たちを殺害しに来たというなら、どうして実弾を使わないんだ?

 確かにロブは、GF司令部から受けた命令は私たちの抹殺だと言っていた。その点に虚偽はなさそうだ。


 だったらどうしてこの場で殺そうとしないんだ? 確かに、ヘリの兵装であるガトリング砲を使ってしまったら、遺体がぐちゃぐちゃになって確認に手間取るかもしれない。だが、そこは私とヴィルのDNA鑑定、及びソフィアの残存部品の回収作業を経て十分可能なはず。科捜研の力を借りれば造作もない。


 もしかして、ロブは独断で私たちを殺そうとしているのか?

 そう思った矢先、私のそばにヴィルが転がり込んできた。


「がはっ!」

「ヴィル! 何やってんのよ、もう!」

「すまない、少し、な」


 何が『少し』だ。大方キャビンに掴まろうとして、ロブに殴り飛ばされたのだろう。

 そんな私の考えをよそに、ヴィルは不安げなソフィアと目を合わせた。


「やれるか、ソフィア?」

「できることをやるだけ」


 そう言って、ソフィアはそっと私を支えていた医療用チューブを左腕に格納し、右の掌をすっとヘリの方に向けた。

 もしかして、ヴィルはソフィアが何らかの行動を取りやすくするために、特殊な発信機をヘリに貼りつけてきたのかもしれない。

 白煙の中、どうやってそれが見えたのか? 本当は見えていない。推測だ。それでも遠からず近からずといったところだろう。

 そんなことを考えている間に、ソフィアの右腕が奇妙な変形を始めた。


 これは――何だ? ソフィアは何をしようとしている? 

 指先から徐々にソフィアの黒い骨格が露出し、五本の指が先端を合わせていく。

 金色の光が、右肩から右手の指先へと流れていく。

 次にソフィアが右手を開いた時、そこにあったのは指ではなく、一つのパラボラアンテナ状のユニットだった。


 私がそれを分析している間にも、光はどんどん明度を増し、ヒュンヒュンと空を斬りながらアンテナが回転していく。

 ソフィアの右腕部の外部装甲は、どんどん右肩の上方へと押しやられ、さらにそこにある装甲板を包み込むようにしてずらしていく。


 次の瞬間。

 ソフィアの右腕のパラボラに全ての光が凝集し、球体を形成。そして即座に放たれた。

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