第30話【エピローグ】

【エピローグ】


 意識を取り戻した時、私の目の前には文字が並んでいた。

 日本語だ。私宛の非常時用連絡網が写っている。医師が確認のため来室するので、そのまま待っているように、とのこと。

 こんな立体映像を見られるということは、きっと私は何某かのヘッドギアを装備しているらしい。


 ゆっくりと深呼吸をして、身体に異常がないかを確かめる。軽く四肢を動かしてみると、右腕の肘と肩の間あたりに鋭い痛みが走った。

 そうだ。私は旗山の口に手榴弾を投げ入れようとして、右腕に噛みつかれたのだ。

思わず悲鳴を上げそうになったが、ぐっと歯を食いしばって耐えた。すぐに痛みは引いていき、再び私は呼吸以外することがなくなった。


「はあ……」


 すると、私の脳がきちんと作動するのを待っていたかのように、ヘッドギアに新たな文字列が表示され始めた。

 現在時刻、午前三時十三分。現在位置、東京都港区・緊急医科学治療センター。入院者、神矢忍・二等陸曹。搬送者、丸山浩司・二等陸曹。


 突然の情報開示に、頭を落ち着ける暇がない。私は誰だ? 何をしている? 確か、さっきは目の前が真っ白になって――。


「あ」


 私はようやく気がついた。


「ヴィル……? ソフィ、ア……?」


 小声で呼んでみるが、応答はない。その代わり、だんだん感覚が再起していく。

 そうか。私とヴィル、それにソフィアの三人は、海上プラットフォームに出て、最終的にロブを殺害したのだ。


 これもまた任務の内なので、『ロブを殺害した』と語ることに特に抵抗はない。

 だが、ヴィルは、ソフィアは?

 少なくともこの二人の身の安全は確保したいのだが。


 暗いヘッドギアの中で、上下左右に眼球を動かしてみる。ふむ、目にも異常はない。

 そうする間に、再び視野に新たなメッセージが表示された。医師が到着したらしい。

 ガシュン、という音がして、私の視野を左右に切り分けるようにしてヘッドギアが展開。軽く背中を持ち上げられて、かちり、とヘッドギアが左右に取り払われた。


「うっ……」


 私は思わず目を瞑った。腕がまともなら瞼の上に翳しているところだ。


「照明を四〇パーセントカット。間接照明に。あと、アイマスクも」


 バリトン風の男性の声に、女性の明瞭な声が『はい』と続いた。ゆっくりと部屋全体が暗く、落ち着きのある褐色へと変わっていく。

 慎重に瞼を開くと、右側に男性医師が、左側に女性の看護師二人が立っているのが見えた。一人はアイマスクを持っているが、私は軽く首を左右に振って、不要だというジェスチャーをする。


 ほのかに甘い香りがするが、これはきっと心を落ち着ける効能があるのだろうな。いろんな患者がいるだろうから。薬物をキメて暴力衝動丸出しの輩とか。


 そう考えると、私のような自衛官をよくもまあ受け入れてくれたものだ。

 素手で人を殺すこともできるというのに。いや、私に経験はないが。

 今更ながら、私は自分がベッドに仰向けで寝かされていることが分かった。

 

 そんなことを考えていると、このまま再び眠りに入ってしまいそうだ。

 何か――何か大切なことを考えていた気がする。眠気という不定形な障害物を押し退け、その『大切なこと』の正体を私は探っていく。


 ってそんなこと、決まっているじゃないか。


「ッ!!」


 私はがばっと起き上がり、ヴィルとソフィアが今どこで何をしているのか、教えてもらうべく目を見開いた。が、出てきたのは言葉ではなく、掠れて不快な喉の感覚。それに、化石の間を拭き去っていく風音のような空虚な響きだけ。


「ああ、無理なさらずに、神矢二曹」


 医師がそう言うが早いか、看護師が栄養剤を混ぜた液体のチューブを差し出してきた。

 せめてもの謝意を示そうと、私は軽く首を上下させる。受け取って蓋を外し、少しずつ口に含んでいく。


「神矢忍・二等陸曹。早速で恐縮ですが、お会いになりたい方がお待ちです。この部屋は完全な密室とし、我々にも会話内容は把握できかねるものとなっています」

「は、はあ」


 やっとのことでキャップを外し、私は袖で口元を拭った。あまり上品とは言えない所作だが、そうでもしないと次の水分を摂取することができない。

 誰が話に来てくれたのかは判然としないが、まずはきちんと喋ることができるようになってから迎えるべきだ。


「これがナースコールです。お客様をお迎えする準備ができましたらお知らせください。万が一、問題が発生した時にもね」

「ぁ……はい」


 医師は眼鏡の奥から優しげな視線を寄越し、軽く頭を下げて退室した。

 がしゃん、と分厚い金属板が噛み合い、僅かに白煙が漂う。


「さて、と……」


 喉の渇きは、意外なほどさっさと失せてしまった。ありがたいことではあるが、こちらが喋れるということは、面会人もそれだけ喋るということを意味する。

 そうして与えられた情報量を、私は今の頭の調子で整理できるだろうか? 理論的に捉えることができるだろうか?


 面会人とやらをこれ以上待たせるのも気が引ける思いだった。が、たとえ相手が味方だったとしても、というより今の状態で誰かと会話する、ということができるだろうか?


         ※


 ごくり、と唾を飲む間に入室してきたのは、私の上官だった。


「大丈夫か、神矢?」

「あっ、あ……丸山浩司・二等陸佐……!」


 私は呆然としてしまって、何を尋ねようとか、確認しようとかいう理性が完全に消し飛んでしまった。

 いた。味方がいた。私は一人じゃない。


「おいおい、突然泣き出さないでくれよ神矢。まるで俺がお前を叱責しているようじゃないか」


 両手をポケットに突っ込んで、丸山二佐は穏やかな笑みを浮かべた。

 そう。彼らの認識からすれば、私はテロリストに人質にされ、ようやく救出された特殊部隊員なのだ。


 しかし実際は、ロブ以外のテロリストたちは私を殺傷しようとはしなかったし、自分たちにとっての正義の下で戦っていた。(正当化できるかどうかは甚だ疑問だが)。

 その戦い、ヴィルの人生を懸けた弔い合戦に、なんだかんだで私も参戦し、ヴィルの手伝いをした。いや、いっそ『怪物じみた旗山にとどめを刺した』という意味では、手伝いや脇役以上の活躍をしてしまったのかもしれない。


 いくら嘘で誤魔化そうとしても、きっとあの場、海上プラットフォームでのことは、間違いなく私を叱責するネタになる。国防の任務を続けるには、あまりにも致命的だ。


 いや、それならそれでいいのかもしれない。

 十数年前から、日本も銃社会になっている。どこかの訓練所のコーチくらいなら務まるかもしれない。


 そして何より。


「きっと親父さんも天国で喜んでいるよ。神矢、君は立派に自分の役目を果たしたんだ。しかしなあ、そのしかめっ面は何だ? 身体がどこか痛むのか?」

「……」

「神矢?」

「えっ? ああ、すみません……」

「ああ、こちらこそすまんな。意識が戻って早々に事情聴取をするようになっちまった」


 後頭部に手を遣る二佐。すると何の拍子にか、薄手のコートの背部から何かが散らばった。子供向けのパズルゲームのパーツのようだ。


「おっと!」

「あっ、大丈夫ですか?」

「お、おう、すまない。お前は寝ていろ」


 私に手を触れることを完全に拒否するように、二佐はさっさとパーツを収集し終えた。


「さて、少し早いが、俺は本庁に戻らなけりゃならん。今回のヴィル・クラインの一連の事件は、調べれば調べるほど奇妙だからな。取り敢えず神矢!」

「は、はッ!」

「医者の言うことはちゃんと聞けよ。心配には及ばないだろうがな」


 そう言って、二佐はすぐさま踵を返し、私の意識が戻ったことを皆に知らせる、と言いながら後腐れなく退室した。


「……ふぅむ」


 丸山二佐が見舞いに来てくれた。それは素直に嬉しい。

 だが、いくらなんでも会話が少なくはなかっただろうか? まるで――何かを私に託そうとしている様子ではなかったか。


 私は左手を顎に当て、何があったのか考える。

 視線をあちこちに飛ばしながら、ああでもない、こうでもない、と暗中模索がしばし続いた。

 しかしながら、ヒント、いや、解答はすぐそばに落ちていた。


「なんだこれ?」


 ベッドのシーツに隠れて見えなかったが、割れた板状の『何か』である。

 もしかして、二佐が退室時に落としたおもちゃのパーツの一片だろうか? しかしこの薄いエメラルドの輝きは、どちらかと言えば。


「立体画像映写機……?」


 二佐はわざわざこれを渡すために、私の見舞いという体を装ってやってきたのか?

 もし、ヴィルたちに関する情報であれば、是が非でも拝見したいところだ。私が携帯端末をタップするのと同じ要領で、軽く映写機に触れてみた。


 そこに現れた人物は――。

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