第28話
※
「ヴィル、後ろっ!!」
私の悲鳴は、海風に巻かれて消え去った。
その間に何があったのか。私は自分の脳内をフル回転させることを強いられた。
眼前に展開されたのは、生々しく恐ろしい光景。ヴィルによって死亡が確認されたはずの旗山が生き返り、ヴィルの背後に跳び蹴りを喰らわせたのだ。
ヴィルはそれを読んでいたような機敏さで、回避することを考えたに違いない。奇妙なのは、同時にソフィアを逃がそうとしたことだ。
アンドロイドにも、『準基本的人権』というものは付与されている。だが、それは飽くまでも『準』に過ぎず、ましてやヴィルは生身の人間なのだから、ソフィアを逃がす必要などなかったはず。
それでもヴィルが選んだのは、自分ではなくソフィアだった。
ヴィルはまだ、ソフィアの戦闘能力を頼りにしているのか? だとしたら、旗山と会敵した時点でソフィアを前線に立たせるべきだった。
そうでもないとすれば、いったい何がヴィルの言動に影響したのだろう。
結果として、ヴィルの右肩を掠めるようにして旗山の足はコンクリートにめり込んだ。
掠めたといっても、それでヴィルが無傷であるとはとても言えたものではない。首筋の筋肉から右の肩甲骨まで、広く損傷した恐れがある。
それでもヴィルは右腕でソフィアを押し退け、左腕で肘鉄を旗山に叩き込んだ。
「他人と同じ手を使うなよ、あんたは隊長だろう……?」
ヴィルはこちらを向きながら、旗山に語りかけた。
しかし『同じ手』とはどういうことだ? まさか……!
「あっ! 旗山も仮死薬を……?」
「それ以外に何を使うんだ、神矢? 俺もまんまと騙されたよ」
ヴィルは辛うじてソフィアを私に押しつけた。自分の代わりに、私をソフィアの保護役にとしたのだろう。
私がぐっと頷くと、微かに口元を上げて旗山へと向き直った。
「ふ、ふふ、ふふふふふ……」
不気味な笑い声を漏らす旗山。ただでさえ大熊のような体躯をしているのだから、さらに恐怖を煽るような言動は慎んでもらいたいものだ。
旗山は、まるで人が変わったかのような姿をしていた。いや、人間であること自体、止めてしまったのかもしれない。その印象が、本能的恐怖が呼び起こす。
「グワァアアアアアア!!」
旗山は前傾姿勢で両腕を広げ、ヴィルに猛突進をかけた。
私の位置からは、ヴィルの口が悪態をつく形で動くのが見えた。ヴィルは素早く拳銃を抜き、ダンダンダンダン、と連射。あれだけ負傷していながら、全弾を同じ位置に撃ち込むとは。
ヴィルが発した四発の弾丸が集中したのは、旗山の左肩だった。すると呆気なく、旗山は体勢を崩して首をぶるぶると震わせた。方向感覚を失ったようだ。
恐らく旗山は仮死薬のみならず、人体強化薬も飲めるようにしていたに違いない。あの真っ赤に充血した目を見れば、一目瞭然だ。
それよりも、旗山は卑怯だというのが私の思うところだった。仮死薬はヴィルも使ったからおあいこかもしれない。だが、人体強化薬を飲んだのは旗山だけ。戦闘は『格闘同士』から『格闘対銃撃』に変質していた。
しかし、その銃撃も長くは続かない。拳銃一丁に込められる弾丸は、精々が十五、六発。
案の定、ヴィルの拳銃は旗山に致命傷を負わせることなく弾切れを迎えた。
それに、旗山とて馬鹿ではない。ヴィルの放った弾丸は、ほとんどが旗山の腕の筋肉にめり込んだだけ。頭部で両腕を交差させた旗山に、拳銃程度の小火器が通用するはずがない。
「ふっ!」
せめてもう一発、とでも思ったのか、ヴィルは拳銃を旗山に向かって放り投げた。
短く唸りながら旗山はこれを弾く。そして再び、しかし先ほど以上の速度でヴィルを追い始めた。
お互いの立場が交代させられる。向かってくるヴィルを待ち構える旗山、という構図ではなく、その逆。つまりヴィルは、旗山の突進を受け流さなければならないのだ。
もしかしたら、人体強化薬の効果が切れるまで時間稼ぎをするつもりなのかもしれない。だったら……!
「おい!! おい、こっちだ怪物!! 神矢忍はここにいるぞ!!」
その瞬間、この場にいる全員が驚嘆するのが感じられた。見えたわけでも聞こえたわけでもない。飽くまで第六感のようなもの。
だが、それでいい。ヴィルならすぐに私の意図するところを感じてくれるはずだ。
「かっ、神矢!? 貴様、いったい自分が何をして……!」
振り返ることなしに私を𠮟りつけるヴィル。だが、ここで躊躇していたら彼は死ぬ。
自分のために、彼のために、ソフィアのために、私が戦わなければ。
私は防弾ベストの上から装備していた物体を手に取って、ピンを抜いた。閃光手榴弾だ。
ようやく私と視線を合わせたヴィルに、その形状をしっかりと見せつける。これからこいつを使うぞ、と。
「はっ!」
間一髪、ヴィルはサイドステップで閃光手榴弾を回避。その先にいるのは、言うまでもなく旗山だ。多少動きを緩慢にさせることはできるだろうが、負傷させるにはまったく以て及ぶまい。
だが、いい。それでいい。
見事に爆光から逃れたヴィルが、豪雨に負けじと叫び声を上げる。
「ここだ!! ヴィル・クラインはここにいるぞ!!」
そう言いながらも、彼の挙動はテンポよく続いていく。
それに合わせて、私も次の武器を用意する。今度も手榴弾。いや、対人殺傷用の手榴弾だ。こいつの爆圧を以てすれば……!
どしん、どしんと地団太を踏む旗山。そいつの足元に向け、私はそっと手榴弾を転がした。訓練中の、無音のカウントダウンの感覚を思い出す。
「三、 二、一!」
最後に零、と言い切る間もなく、手榴弾は炸裂した。旗山が築いた、クレーターのような窪みの真上で。
元来、手榴弾というのは、爆風によって金属片を撒き散らし、周囲にダメージを与えるというもの。今の屈強な旗山に通用するかどうかは不明瞭だ。
だが、一つだけ明らかなことがあった。戦闘中に生じたクレーターのことだ。
ただでさえ脆弱化した海上施設のヘリポート。十分なメンテナンスが行われてきたとは思えない。そこで手榴弾を起爆すれば、旗山の足元は間違いなくぐらつく。そこで一押ししてやれば、そのまま旗山を海面まで叩き落とすことができる。
問題は、それをどうやってヴィルに伝えるか、という点だが――。
「ええい、面倒だ!! ソフィア、伏せていなさい!!」
私は背負っていた自動小銃を取り出し、セーフティを解除。雨で濡れた目元をぐいっと拭って、我ながら無謀な戦いを仕掛けた。
「うあああああああ!!」
自動小銃をフルオートでぶっ放しながら、旗山に突撃を敢行した。
どこかで誰かが、馬鹿野郎、止めるんだと叫んだような気がしたが、そんな言葉に付き合ってはいられない。
「私だって……私だって戦えるんだ!!」
旗山は、クレーターに片足を突っ込んだまま身動きが取れないでいる。それに、自動小銃の威力は拳銃のそれとは比較にならない。
自動小銃が弾切れを起こした時点での旗山は、ほぼ四肢を動かすことができない状態に合った。
私は自動小銃までも捨て去り、一つだけ残った火器、殺傷用の手榴弾を取り出してピンを抜いた。その右手を真っ直ぐに突き出し、跳躍して旗山の胸板に押しつける。
……はずだったのだが、思いの外高く空中に舞い上がってしまった。
もうどうとでもなれ。
私はまるで、バスケットボールの選手がダンクシュートを決めるかのような姿で手榴弾旗山の口に叩き込んだ。
片腕くらい、くれてやる。私にだって、そのくらいの覚悟はあるんだ。
そう思ったが、旗山は私の腕を食いちぎるようなことはしなかった。軽く歯を立てて振り払ったのだ。
「ぐあっ!!」
それでも、その痛みは想像を超えたものだった。私は無様にヘリポート上を転がり、落下防止用の鉄柵に衝突する。あまりに痛すぎて、右腕以外の四肢の自由さえ利かない。
ここで左腕を動かせたのは、まさに僥倖だった。旗山の口に放り込んだ手榴弾の爆風から、私を守ってくれたのだ。
ゴオオオオン、と、どこか哀愁を帯びた咆哮。それと共に、頭部のない旗山の遺体はその場で膝をつき、クレーターの底が抜けるのと同時に荒波へと落下していった。
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