第5話


         ※


 私の胸中は複雑だった。ヴィル・クラインというテロリストの逃走に加担したから、ということは当然ある。しかし同じくらい私の心を乱していたのは、その場の雰囲気というか、静かなざわめきだった。


 ――お父さん。


「ん? 神矢、何か言ったか?」

「いえ、何でもありません」


 私の呟きが聞こえてしまったのか、ふん、とヴィルは鼻を鳴らした。ついて来るように私にハンドサインを出して、ひょいっと船に乗り移る。私もそれに従ったのを確認し、ヴィルは離岸するよう船に通信を入れた。


「神矢、お前は乗り物酔いはする方か?」

「は?」

「船に酔わないかと訊いてるんだ。作戦中に嘔吐されても困る」

「あ、ああ……。大丈夫です。海上警備訓練でも平気でしたし」


 ヴィルは一つ頷いて、船の前部に設置されたシートを引っ張った。


「後処理は任せろ。神矢、お前はキャビンに入れ。頭を低くしておけ」

「りょ、了解」


 私が慎重に歩み出そうとした、その時。私は慌てて身を縮めた。

 バルルルルルルルッ、という轟音が耳を聾したのだ。はっとして振り返ると、ヴィルが固定されたガトリング砲で、海岸線を掃射しているところだった。岸壁を形成するコンクリート製の足場が、情け容赦なく削られていく。

 サーチライトが交錯する中、硬質な破片がばらばらと降り注ぐ。


 警察と自衛隊の混合部隊は、ヴィルたちが不殺の精神の下で戦っていることを知らない。簡単に言えば、ビビっているのだ。


「おっと!」


 急に速度を上げた船の上で私は転倒し、そのまま転がるようにしてキャビンに入り込んだ。頭を何かにぶっつけて、しかし辛うじて拳銃を抜き、片膝立ちになった。


         ※


「おお、君が人質か! ようこそ、我が『スター・ファルコン』へ!」


 私は言葉を失った。正直意味が分からない。


「あ、あの、私、人質なんですけど……」

「もちろん知っているとも! ヴィルのやつも人が悪いな、お嬢さんのような人をさらってくるとは……。ま、そう緊張せずに、自分の家だと思ってゆっくりしてくれ」

「は、はあ……?」


 私に語り掛けているのは、ヴィル同様に背が高い男性。ただし、やや肉付きがいい様子。

 眼鏡をかけているのも、いいかにもインテリといった雰囲気を醸し出している。後方支援要員か。


「ヴィル、もうじきガトリング砲の射程から離脱する。キャビンに戻ってくれ」

《了解》


 からからとガトリング砲が空回りする音がして、間もなくヴィルが反対側の扉からキャビンに入ってきた。


「残弾だ。弾倉を確認してくれ。あとシャワーとベッドを借りるぞ、ロブ」

「おう、了解だ。着替えくらいは自分で用意してくれよ」


 ヴィルは振り替えずに、さっと片腕を掲げてみせた。


「ロブさん、っておしゃるんですね」

「ああ。ロブ・フィッツジェラルド。ヴィルとは迷惑をかけ合う仲でね。彼の戦いのサポートをしている。そういう君は、神矢忍・一等陸尉だね?」

「は、はッ!」

「安心してもらっていいよ、うちのチームは人質に親切だからね」


 私は、僅かに胸中のつっかえ棒が外れた気がしていた。ロブは、会話の相手を落ち着かせるオーラを発しているのだろうか? そんな疑問を抱いてしまうほど、ロブは紳士的で穏やかに見えた。

 ヴィルとは大違いだが、二人の過去を掘り返すのは得策ではあるまい。私は立ち上がって、すっかり火薬臭くなった自分のコンバットスーツを見下ろした。


「着替えかい? 君がシャワーを浴びている間に準備するから、心配しなくて構わんよ。ヴィルはシャワーが長いからな……」

「そう、なんですか」


 銃撃戦に巻き込まれてからこっち、私は自分がいかに緊張状態にあったのかを、否応なしに突きつけられた。だからこそ、簡単に言ってとても安心したのだ。久々に人の温もりが感じられた私は、我知らず嗚咽を漏らしながらロブに抱き着いていた。


「おっと! おいおい、落ち着いてくれよ、神矢一等陸尉。僕は君の父親でも兄貴でもないんだよ?」

「す、すびばぜん……」


 この期に及んで、私はようやく気づいた。ロブもまた、日本語が巧みだったのだ。英語でもよかったのかもしれないが、日本語で私を宥めてくれたことが、私の緊張緩和に繋がったのは間違いないだろう。


「取り敢えず、そこのソファにでも座ってくれ。何か温かい飲み物を取ってくる」

「はい……」


 私は、運航機材のそばにあるソファに腰かけた。すると、唐突に声をかけられて思いっきり尻から跳ね飛んだ。


「そこに座るな」

「うわっ!」


 ソファ横の手狭なスペースにラップトップパソコンが置かれ、誰かがそれを操作している。


「あと、大声を上げるな」

「はい……」


 従順であるフリをして、私は声の主を観察した。

 浅黒い肌に、真っ黒な髪。だいぶ痩せているように見えるが、高身長というわけでもない。

 純粋に、口の悪いガキンチョなのだ。英語で喋りかけてくるし。


 当然ではあるが、私は英語を話すことができる。ひとまず彼には、英語で語り掛けることにしよう。


「あなた、名前は?」

「答える義務、あるか?」

「そうね、義務はないけれど、答えてもらえると助かるわ。皆とのコミュニケーションも円滑になるでしょうし」

「けっ、うるせぇ」

「ふぅん?」


 私は自分の腰に両手を当てた。


「それじゃあ、私はあなたをジャガイモくん、って呼ぶことにするわね」

「は、はあ!?」


 ガタン、と音を立てて、勢いよく立ち上がるジャガイモくん。


「よく見ろよ、俺は人間だ! ちゃんとリエンって名前があるんだ!」

「へえ、格好いいじゃない」

「……」


 よし、反論を封じてやった。ここからタガログ語などで喧嘩を売られても勝ち目はないので、ミドルネームとファミリーネームは尋ねないでおく。


「で、私はこのソファを使いたいのだけれど、どうかしら? ご迷惑?」

「ああもう、勝手にしろよ!」


 ううむ、流石に彼が激昂して、この船の航行に支障が出るのはよろしくない。

 私は責任ある一人の大人として、浅くソファに腰を下ろすことにした。


 時折、リエンを一瞥すると、さっと顔を背ける気配がある。自分が美人か否か? などと深く考えたことのない私だが、なかなかどうして、悪い気はしない。


 何度かそんな遣り取りを繰り返した頃、ロブがマグカップを二つ持って入ってきた。


「乗り心地はどうだい、神矢?」

「快適ね。とてもテロリストの船とは思えないわ」

「だろう?」


 肯定しながら、ロブは私の隣に腰を下ろした。差し出されたのはホットココアだ。


「甘いものは苦手かい?」

「いえ」

「ならよかった。ブラックコーヒーにするかココアにするか、随分悩んだものでね。僕はブラックだが」


 さて、彼らが私やGFをどう見ているのか、大方掴めてきた。

 そろそろ指揮所に連絡を入れて、私のいる座標や船の速度を知らせようか。

 そうすれば、人質救出と犯人、及び共犯者の身柄確保という、一石二鳥の手が打てる。


 問題は、この船にステルス性能があるかどうかだ。まさかとは思うが、光学迷彩などを搭載していた場合、位置を捕捉できないうちに、海保の巡視船がこの船に一方的に沈められる恐れがある。


 というのは、この国の治安を預かる者としての、表向きの理由。

 私の個人的な本心は別なところにある。


 ヴィルは本当にテロリストなのだろうか?

 ただのテロリストなら、私を含めた敵に生命の保証などしない。しかし、廃タンカーでの銃撃戦を見るに、ヴィルは殺人に強い嫌悪感を抱いているように思われた。


 だとしたら、平気で部下を過労死させるような現代の会社役員よりも、よほど好感が持てるのだが。

 ……いや、今のは気の迷いだろう。繰り返すようだが、私は治安の守り人だ。私情を挟むわけにはいかない。


 私がココアで唇を潤した、その時のこと。


「おっと、ヴィルがシャワーを終えたみたいだ」


 ロブが言った。


「神矢。何か訊きたいことがあるなら早い方がいい。ヴィルは早寝早起きを信条としているからね」


 こくりと頷き、私は立ち上がった。

 リエンの後ろを通って、後部のシャワールームへと足を進める。


「ヴィル、いくつか訊きたいことがあるのだけれど――」


 その直後、私は絶句した。

 ヴィルは確かに変人だが、まさか素っ裸でシャワールームから出てくるとは。

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