第4話


         ※


 階段の踊り場に、枠だけが残った窓がある。そこからヴィルは、そっと顔を覗かせた。安全だと判断したのか、私にも外を覗くようサインを送る。

 地面までの高さはざっと十五メートルほど。飛び降りて無事でいられる距離ではない。脚部の骨折くらいは覚悟しなければ。


 それより、さっきの振動は何だったのか? この廃船を改造してできた建造物に、陸地側から何かがぶつかってきたはずだ。そしてその状況は、この窓から把握することができた。


「なんとまあ、この国も変わったみたいだな」

「え?」

「よく見ろよ。狙撃されそうになったら引っ張ってやるから」


 なんだか子ども扱いされているようで癪だが、そんな苛立ちよりも興味関心の方が強かった。そして改めて顔を覗かせ、私は我が目を疑うこととなった。


「パ、パトカー!?」

「どうやら連中、無人のパトカーをこの船の居住区の入口に突っ込ませたらしい。おまけに大爆発だ。退路を断つ狙いがあったんだろう」

「これがGFの戦い方なの……?」

「まさか」


 ヴィルは肩を竦め、皮肉げに口元を緩めてみせた。

 

「この退路断絶作戦には、GFの連中らしい清廉さが欠けている。殺るならもっと確実で静かに仕掛けてくるはずだ」

「じゃあ、今私たちを攻撃しているのは――」

「そう、警察機関だろう。気の毒だな、こんなことをやっていたら、GFに無駄な準備時間を与えるだけだろうに」


 話しながらも、ヴィルはなにやら筒状の物体を組み合わせ、何かを作っていた。


「それってもしかして……?」

「アメリカに留学して軍事教練を受けていたって言うなら、見れば分かるだろう?」


 そうか。これは携行用無反動砲、すなわち短距離仕様のロケット砲だ。


「ところで神矢」

「なっ、ななな何!?」

「さっき言いかけたんだが、この国はもうあんたが信奉している日本って国じゃない。国家の振りをした格差社会の見取り図だ。それを知ってでも、あんたは俺と敵対するか? イエスだろうがノーだろうが、人質としての役割は果たしてもらうがな」


 そんな馬鹿な。それが、私が抱いた第一印象。しかし、ヴィルは私に反論を許さない。

 第二次世界大戦を含め、多くの戦乱を経て平和主義を徹底してきた日本。それが、弱者から利権を取り上げ、一部の富裕層の生活を潤す構造を作ってきた、と言うのだ。


「根拠は?」

「ん?」

「ヴィル、あなたが今の日本を否定的に見るエビデンスは?」


 するとヴィルはロケット砲を肩に担ぎ上げ、暇になったら話してやる、と一言。

 私がもっときちんとした話し合いを求めようとした時、ロケット砲の一段目が発射された。と、認識した頃には、私はヴィルの軽い足払いを受けて、仰向けに転倒していた。


「ひゃあっ! ちょ、ちょっと!?」

「二発目を装填してくれ。あと、後方からは爆炎が出るから、俺が撃つ前にちゃんと伏せていろ」


 ああ、確かにこれは留学先で習ったことだった。現場で役に立つ知識と無益な知識があるのは分かる。だがどちらにせよ、その知識を有効活用できるかどうかは、その知識の使用者の勘と経験によるところが大きいのだろう。


「おい、こっちは敵に居場所を晒したんだぞ。さっさと移動しなければならない。次弾装填を急げ」

「わ、分かったわよ、もう!」


 ここまで具体的な命令を貰わなければ、私は動けないような人間なのか。

 私は無性に自分自身に対して腹が立った。いや、そんなことは後から考えよう。飽くまでも私は人質なのだから。


         ※


 二発目を発射したヴィルは、無言でロケット砲を床に置いた。次弾は装填していないはずだが、万が一にも誤爆が起きないようにするための処置だろう。

 この二発のロケット砲は、散会した警官たちを殺傷することなく追い払った。


「神矢、移動するぞ。この旧式タンカーから脱出する」

「どうやって? 周囲は機動隊や警察の武装組織に囲まれてるし」

「俺だって考えなしに動いているわけじゃない。海岸線に出て、船に拾わせる」


 私ははっと眉を上げた。


「無理よ、そんなこと! 海上保安庁だって動いているし、海岸線に出た途端にハチの巣にされても文句は言えな――」

「そうでもない。俺が単独犯だと、この国の連中が思い込んでいるだけだ」


 つまり、誰かが手引きしてくれるということだろうか?

 そんな疑問が私の顔に出たのだろう、ヴィルは肩を竦めた。


「俺だって人間だ。超人じゃないんだぞ? 場合に応じて、仲間と連携を取っている」

「それを先に言って頂戴! 心細いったらありゃしない……」

「酷い言い草だな」


 ヴィルはやはり、引き攣った笑みを浮かべた。


「日本の自衛官が、敵の組織構成について心配してくれるとは。有難い時代になったものだ」

「はあっ? 私はそんな――」

「このまま階段を下りる。さっきと同じだ。ついて来い」


 そこから先は、簡単に言えばいろんなことがあった。

 潜伏中に発見したのだろう、ヴィルはパトカーの突っ込んできたのと反対側の出入口を目指していた。

 先ほどと同様に、中段蹴りを錆びた壁面に喰らわせる。


「神矢、敵の気配は?」

「この先に十名前後が待機中! やっぱりこの船、全方位から警戒されてるわ! ここは一端退いてから――」

「遅いな」


 だったらどうしろというんだ? 詰め寄ってやりたいのは山々だ。それを実行しなかったのは、私よりもヴィルの方が遥かに『強い』からだ。

 格闘戦能力はもちろんのこと、銃撃の精確さ、火器の扱い方、柔軟な思考能力、そのどれもが。


 ふと思う。

 こんなに『強い』のには、強烈というか、壮絶な経験があるのではないか。

 顔を上げると、ヴィルはやはりこちらに背を向けて何かを扱っている。


「それは何?」

「閃光手榴弾だ。煙幕弾に対処可能な装備は、全員がとっくに手にしているだろうからな」

「だから今度は閃光、ってこと?」

「それ以外にあるのか? 理由としては十分だろう。数では向こうが圧倒的に有利なんだからな」


 反論されたのには、いい加減怒りを覚えつつある。だが、きちんと理由まで説明してくれるところは評価せざるを得ないだろう。


「神矢、両腕で目を塞いでしゃがんでろ。光るのが一回だけとは限らないからな、俺がいいと言うまで大人しくしていろよ」

「もう勝手にして!」

「了解だ」


 私は船の残骸の位置まで戻り、壁面の内側でしゃがみ込んだ。

 直後船の外側から、音もなく、しかし視界が染め上げられるかのような凄まじい光が襲い掛かってきた。

 敵はこれを直視したはず。失明はしないだろうが、それでも一時的に視界を奪われたのは間違いない。


 少し間を置いて再度閃光が走り、同時に無線で通信が入った。


《神矢、聞こえるか?》

「ええ! 私は何をすればいいの?」

《自前の自動小銃を固定して掃射しろ! 高さはざっと地面から二十センチ!》

「そ、それって……」

《俺は好き好んで殺人を起こすような戦闘狂じゃない。敵を殺さずに行動不能にするんだ》


 その言葉は、さっきまでの私の想像とは全く異なるものだった。


「そんな! あなたは特A級のテロリストで、日本でも即射殺命令が――」

《だったら猶更だ。俺には明確に仕留めるべき敵が見えている。それ以外の連中は、俺やGFのことをまともに知らない。そんな連中の相手をするのに、わざわざ殺してしまうのは、ふむ――悪魔的かつ猟奇的、だな》


 それは戦いに臨むにあたって、あまりにも暴力性が過ぎる。

 そう言って、ヴィルは再度私に指示をした。これ以上どうなっても知るものか。


 スタタタタタタタッ、と、私はフルオートで弾丸を空気中に滑り込ませた。

 きっとヴィルは安全なところで、このタイミングを待っていたはずだ。


《撃ち方止め!》

「りょ、了解!」


 その鋭い命令口調に、私は慌てて銃撃をやめた。

 改めて船内から向こう側を見ると、多くの自衛隊員が足を押さえてのたうち回っていた。

 見たところ、衛生兵を呼んだり、這って現場を去ろうとしたりするばかりで、皆が完全に戦意を失ったのは明らかだ。


 すると、視界の外側から何かが投げ込まれてきた。大きさと形状、それに赤十字のマークが見て取れる。誰かが負傷者のために医療キットを投げ込んでいるのだ。って、まさか。


「ヴィ、ヴィル? あなたもしかして――」

《怪我人を放っておくわけにはいかんだろう。コンバットスーツが破けて病原菌が入ってきたら、目も当てられないからな》

「敵を助けているの?」

《こいつらは戦意を喪失している。敵っていうほどの脅威じゃない。それより――》


 僅かな電子音。気づいた私が立体画像映写機を見ると、こちらに全速力で接近してくる小型船の機影が映し出された。


《この船に飛び乗れ。一旦この現場からは離れるぞ》

「りょ、了解!」


 どうして自分がテロリストに従っているのか? そんなごく簡単な問いかけにすら答えられない。それだけ私は、ヴィル・クラインという人間に導かれることを望んでいたのだ。

 彼のことなど、ほとんど知らないにも関わらず。

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