第2話【第一章】
【第一章】
私、神矢忍は、陸上自衛隊の人員輸送車の荷台で現場到着を待っていた。
この輸送車内には私の他、七名の特殊部隊隊員が搭乗している。当然ながら、皆屈強な肉体と鋼鉄のような意志を持ち、今晩もまた、治安維持活動に従事している。
実は、これが私にとっての初陣だった。
全身を真っ黒な戦闘服で覆って、肘や膝には衝撃吸収材を挟み込んでいる。鍔のないヘルメットには夜間戦闘用のゴーグルが装備され、二十四時間、時間帯に関係なく戦闘が可能。
腰元にはコンバットナイフと三十八口径のオートマチック拳銃を差し込み、主要武器である自動小銃は荷台の壁に立てかけてある。
私の向かい側で、全く同じ格好ながら明らかに筋肉質の人物が、深い溜息をついていた。
私の直属の上官、丸山浩司・二等陸佐だ。五十代半ばとはとても思えない体格で、今日の作戦の指揮を執る。彼に命を救われた隊員は少なくない。
尊敬し、恭順の意を示すのに、これほどの人格者は珍しいだろう。
そんな彼が、唐突に口を開いた。
「おい池崎、娘さん、いくつになった?」
その問いかけに、車内の隅で丸山の反対側にいた隊員、池崎順二・一等陸尉が答える。
「あれぇ? 丸山二佐、うちの娘に惚れちゃったんですかぁ? 参ったな、二佐にお父さん呼ばわりされる日が来ようとは……」
「馬鹿言ってないで、見せてくれ」
「ああもう! 分かりましたよ!」
そう言いながら、池崎は懐から掌サイズの二枚貝のような機械を取り出した。
立体画像映写機だ。静止画のみならず映像も可視化できるので、未経験の場所での作戦には大変役に立つ。と、いう代物だったのだが。
「なんだ、随分大きくなったじゃないか!」
「ええ、二佐も人の親になれば自然と分かって――」
と言いかけた池崎を、私は慌てて押さえ込んだ。
「もがもが! なっ、なにするんだよ、忍ちゃん!」
「池崎一尉、言葉をかける時の相手の気持ちも考えてください」
「え? それが、忍ちゃんがアメリカ留学で学んできたことなの?」
今度の溜息は私のもの。確かに私はアメリカで犯罪心理学を受講していたが、学べば学ぶほど知らないことが増えていく。だからこそ、座学が実戦で役に立たないものだという諦めをつけて、予定より三ヶ月早く日本に帰ってきたのだ。
その理不尽な現実だったら、自分は誰よりも理解しているという自負がある。
流石に丸山二佐に及ぶとは端から思っていないけれど。
ちなみに、池崎の会話を無理やりぶった切ったのには理由がある。
丸山二佐は、若くして奥方を亡くしているのだ。子供はいなかった。
だからこそ、皆を代表してこう言いたいのだろう。
子供たちに明るい未来を残そう、と。
※
二十一世紀ももうじき終わり、新たな時代がやって来る。
世界中で同じ言葉が湧き上がり、さも時代の進展が素晴らしいことであるかのように吹聴されている。
はっきり言わせてもらうが、あんなのはとんだ茶番だ。
気楽に騒いでいる連中に、今世紀、すなわち二十一世紀の始まりがどのようなものだったか、しっかりと目に焼き付けてやりたい。
資源を巡る局地戦争、土地を取り合う地域紛争、核兵器使用に言及した独裁者の演説。
それが二十一世紀の、祝福されるべき中身だ。つまり、過去と何一つ変わっちゃいない、ということである。
この期に及んで、いったい誰が次の世代に希望を託せるというのか。
誰かがバトンを受け取ってくれるだろう――。
そんな楽観視できるものではないと、私は呆れながらも考えている。いずれ丸山にも尋ねてみたいものだ。
人生の伴侶を喪ったあなたなら、この虚しさが分かるだろうと。
どうやら、私はよっぽどヘンテコな顔をしていたらしい。唐突に、丸山二佐に呼びかけられた。
「神矢、大丈夫か?」
「はッ、えっと……。何が、でしょうか?」
「今日、我々がパトロールにあたる東京湾沿岸部は、麻薬や銃火器の密輸で沸き立っている。俺たちも敵も、使用するのは実弾だ。いざとなれば、敵を殺めなければならない。その覚悟はあるか?」
丸山二佐の表情は、実に険しい。だが、その小さな目の奥には、部下に対する心配や信頼といった光が見える。だからこそ、私は彼を尊敬しているのだ。
私はやや声を落として、大丈夫である旨を伝えた。丸山二佐は大きく頷き、私の肩を叩いて座席に戻った。ちょうどその時、輸送車の運転手が声を上げた。
《第一班、現着まであと二分》
「よおし、皆! 銃火器の最後の点検だ! 少しでも異常があれば、すぐに申し出るように!」
活き活きとした丸山二佐の一声。きっとそのお陰だろう、皆が冷静かつ冷徹な戦闘マシンに切り替わっていくのを、私は肌で感じた。自分の拳銃、自動小銃、また、人によっては手榴弾などをスーツの胸元に括りつける。
「素早く展開だ。我々は、不法移民者が乗りつけた中型船舶の制圧に当たる」
元々そんな船がなければいいのに、というのは池崎の言葉。
「あるんだから仕方ないだろう。お前も嫁さんも若いんだ。赤ん坊のためにも、慎重にいけよ」
「はいはい、分かってますよ」
丸山二佐は敢えて池崎をいじることで、場の雰囲気を和ませ、過度な緊張が生じないように配慮してくれている。私も、自分で無事に帰らなければと意識を高めていく。
《第一班、現着。状況開始》
こうして、私の戦いはスタートを切った。
※
池崎一尉に続いて、私は荷台のタラップを駆け下りた。
皆の横顔を、臨海工業地帯のランプが照らし出す。赤に、青に、緑色に。私は自動小銃のストックを肩に当て、片目でダットサイトを、もう片方の目で前方を見つめながら、素早く廃船に踏み込んでいく。
なにやらきつい臭いがした。これはアンモニアだろう。様々な薬品の精製過程で発生する気体だが、人体には極めて有害だ。これだからは閉鎖空間は油断ならない。
それでも丸山二佐の指示のない限り、ガスマスクを装着する必要はあるまい。視界が欠けてしまうのは、実戦において致命的だ。
上下左右に銃口を向けながら、狭い通路を進む。腕時計状の立体画像映写機を目線に上げると、この先には広大なスペースがあることが判明した。
自分たちは、ちょうどそのスペースに足を踏み入れようとしているところだ。
さっと、先頭を行く池崎が腕を上げる。一時停止のハンドサイン。
二番目を行く私も同じように腕を上げ、後方の四人に停止を促す。
それを見た丸山二佐もまた、無言で指示を出す。私と池崎の二人で先行せよ、とのことだ。
それに頷き返し、私が右に、池崎が左に展開。自動小銃のセーフティを解除する。私の背後に続いたのは丸山二佐だ。
学校の体育館ほどの床面積と高さがあり、ところどころにキャットウォークが走っている。照明機材はそこそこ明るく、高所から狙われると厄介だ。
私がそう思い、膝の曲げ方を変えようとした、まさにその時だった。
パン、と軽い発砲音がした。
「神矢! 伏せろ!」
丸山二佐が私の後ろ襟を引っ掴み、思いっきり引き倒した。と同時に、微かな鮮血が私の顔に飛散する。気づけば、池崎と丸山二佐の二人が仰向けに倒れ込んでいた。
「丸山二佐!」
私は一瞬でパニックに陥った。何が何だか分からないまま、フルオートで銃撃を開始。
斜め上方のキャットウォークで火花が散り、床面からは薬莢が落ちるチリチリという金属音が響き渡る。
きっと、使い物にならないと判断されたのだろう。私は半ば放り投げられるようにして、さらに後方へと追いやられた。
その場から撃とうとしたが、弾が出ない。
「えっ? 何!? くそっ、くそぉっ!!」
まさかちょうど弾切れで、しかも弾倉の交換を忘れるとは。今思えば正気とは思えないが……いや、実際に正気ではなかったな。
この期に及んで、私は一つ重要なことに気づいた。暗視ゴーグルだ。暗所へ攻め入るのだから、ヘルメットに装着しておくのは当然。さっさと使えばよかった。
しかし、暗視ゴーグル越しに見た緑色の空間もまた、不明瞭で物体の輪郭が明確でない。
「煙幕弾……!」
呻くような声音が、自分の混乱ぶりを明確に表している。
私は自動小銃のベルトを引きちぎるような勢いで振り払い、拳銃を抜いた。初弾を装填し、セーフティを解除。
「来るな、来るな、来るなあああああああ!!」
絶叫しながら、私は煙幕の内部へ向かって弾丸をぶち込んだ。十六発、全弾。
しかし、正体不明の敵はこの空間をフル活用して、チームの皆をどんどん撃ち倒していく。
私は弾が尽きたのにも関わらず、拳銃の引き金を引きまくった。その馬鹿さ加減が敵にも伝わったのだろう、誰も味方がいないはずの方向からタックルを受けた。
そのまま私は押し倒され、身動きが取れなくなる。しかし、敵は四方八方を見回すばかりで、私にとどめを刺そうとしない。
敵は素早く立ち上がり、勢いよく私の腕を引っ張り上げた。
「行くぞ、神矢」
その僅かな二つの単語は、実にスムーズで流暢だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます