翼のないリボルバー.44
岩井喬
第1話【プロローグ】
【プロローグ】
目の前に、二人の男が倒れている。二人共うつ伏せで、その表情を窺い知ることはできない。
双方、それなりに負傷して出血しているはずだが、夜闇と雨が邪魔をして生死を確かめることはできない。
いや、これは私の我儘、あるいは恐怖心によるものだろう。
警視庁直属の対テロ部隊に配属され、それなりに訓練と自己研鑽を積んできたつもりだが、この男たちのような信念、自らを追い込む壮絶さと比べられては、とても勝ち目はない。
幸か不幸か、雨が二人の出血を洗い流してくれている。そうでなければ、私はあまりの凄惨さに目を逸らしていたことだろう。
二人の男は互いに最善を尽くし、自らの秘めた最大限の力で互いに向き合った。
殴り合い、蹴り合い、殺し合った。
今日はこれから、天候は悪化の一途をたどる。すぐに救急車を呼ぶべきなのだろう。豪雨になる前に。
だが、私にはそれができない。矛盾するようだが、これこそ私の職務に科せられた一種の任務。――いや、違うな。これもまた私の我儘だ。
いずれにせよ、私にできることは、後続の警察組織の人間たちに虚偽報告をすることだけだ。
顔を上げると、二人のさらに向こう側にコンテナの山が見えた。なんのことはない、直方体状のよくある金属製のコンテナだ。
しかし、たとえそんなものだったとしても、今の私には恐ろしいものに思えてならない。
沿岸部から照らされた照明が巧みに陰影を与え、コンテナの山を、あたかも人骨のように浮かび上がらせているのだ。
考えてみれば、確かにこの二人の墓標としてはちょうどいいのかもしれない。
二人の政治的・宗教的価値観がいかなるものかは知らない。だが、もし本当に死んでしまったとすれば、治安維持機関に席を置く私としては、大変な減点を喰らうことになるだろう。
上空を観測ヘリが飛んでいる。ああ、これで二人の男は否応なしに移動せざるを得なくなった。
本来なら、救護班のヘリを待って二人を引き揚げさせるべきだ。
だが、機関の上層部はそうしない。それどころか、キャビンのスライドドアを引き開け、狙撃銃で二人を(もし私も含めるならば三人を)殺そうとしている。
私の中の、微かに残った正義感が身を震わせ、武者震いのような現象をもたらす。
本音を言えば、これは武者震いではなく恐怖心が生み出す身体の震えだったのだが……。
しかし、いや、だからこそ、私は束縛を逃れることができた。
どうしても、彼だけは助けなければ。
私はうつ伏せに倒れている二人の男のうち、手前の男の肩に腕を回した。
筋肉質でがっしりした骨格の身体を引き揚げるのには、実際に本当に苦労した。
《神矢忍巡査部長、こちら監視班、上空より目標を捕捉。狙撃銃による攻撃を開始します。早急にその場を離れてください》
「……」
《神矢巡査部長? いったい何を……?》
「見て分かるでしょう! 人助けよ!」
……って、分かるわけがないな。超凄腕で超凶悪なテロリストを支えようとしているのだ。少なくとも、警察関係者の人間たちに理解を求めるのは絶望的だろう。
私の社会的立場だって、相当危ういものになる。
それでも。それでもだ。
私はこの男の方にこそ、正義の天秤が傾いているように思われた。今だって思っている。
「ほら、立って、ヴィル! あなたは狙われてるのよ!」
「俺のことは、気に……するな……。まだヤツが完全に、死んだ……保証がない」
思いがけない力で私の腕を振り払い、男はコンテナの陰に引っ込んでしまった。
「どうしたんです、ヴィル・クライン!」
「ここで待ってろ」
すると意外なことに、ヴィルは震える手で十字を切った。死闘を繰り広げる相手――旗山二等陸佐がどんな神様を信仰していたのかはさっぱり分からない。
だが、そんな旗山に対してきちんと向き合おうという気持ちが、ヴィルからは感じられた。
その所作は意外なほど早く終わり、ヴィルは素早く狙撃銃の射線から身を引いた。
なんとか気を取り戻したヴィル。だが、ここからどうやって逃げるのだろう?
まさか、海上保安庁の巡視船を乗っ取るとか……?
いや、考えるまい。
結局、この戦いはヴィルの勝利で終わったのだ。彼に乞われない限り、私は同行すべきではあるまい。
私は荒っぽいアスファルトにゆっくりと膝をつき、勢いを増していく風雨に自らを晒しながら、だんだん遠ざかっていく巡視船を見ていた。
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