Revenge of the Blood
岩井喬
第1話【プロローグ】
【プロローグ】
目の前に、二人の男が倒れている。二人共うつ伏せで、その表情を窺い知ることはできない。
双方それなりに負傷して出血しているはずだが、夜闇と雨が邪魔をして生死を確かめることはできない。
いや、これは私の我儘、あるいは恐怖心によるものだろう。
警視庁と防衛省が共同で旗揚げした、政府直属の対テロ部隊。私はこれに配属され、それなりに訓練と自己研鑽を積んできたつもりだ。しかしこの男たちのような信念、自らを追い込む壮絶さに比べたら、私など到底勝ち目はない。
幸か不幸か、雨が二人の出血を洗い流してくれている。そうでなければ、私はあまりの凄惨さに目を逸らしていたことだろう。
二人の男は互いに最善を尽くし、自らの秘めた最大限の力で互いに向き合った。
殴り合い、蹴り合い、噛みつき合った。
今日はこれから、天候は悪化の一途をたどる。すぐに救急車を呼ぶべきなのだろう。豪雨になる前に。
だが、私にはそれができない。矛盾するようだが、これこそ私の職務に科せられた一種の任務。――いや、違うな。これもまた私の我儘だ。
いずれにせよ私にできることは、後続の警察組織の人間たちに虚偽報告をすることだけだ。
顔を上げると、二人のさらに向こう側にコンテナの山が見えた。なんのことはない、直方体状のよくある金属製のコンテナだ。
たったそれだけの風景。そんなものだったとしても、今の私には酷く恐ろしいものに思えてならなかった。
沿岸部から照らされた照明が巧みに陰影を与え、コンテナの山を、あたかも人骨のように浮かび上がらせているのだ。
考えてみれば、確かにこの二人の墓標としてはちょうどいいのかもしれない。
二人の政治的・宗教的価値観がいかなるものかは知らない。もっと言えば、二人の素性のどれほどを知っているのか、自問自答するばかりだ。
だが、もしここで誰かが死んでしまったとすれば、治安維持機関に身を置く私としては、大変な減点を喰らうことになるだろう。
上空を観測ヘリが飛んでいる。ああ、これで二人の男たちは否応なしに移動せざるを得なくなった。
本来なら、救護班のヘリを待って二人を引き揚げさせるべきだ。
だが、機関の上層部はそうしない。それどころか、キャビンのスライドドアを引き開け、狙撃銃で二人を(もし私も含めるならば三人を)殺そうとしている。
私の中の、微かに残った正義感が身を震わせ、武者震いのような現象をもたらす。
いや、違うな。これは武者震いではなく、恐怖心による震えだ。
しかし、いやだからこそ、私は束縛を逃れることができた。
どうしても、彼だけは助けなければ。
私はうつ伏せに倒れている二人の男のうち、手前の男の肩に腕を回した。
筋肉質でがっしりした骨格の身体を引き揚げるのには、本当に苦労した。
《神矢忍・二等陸曹、こちら監視班、上空より目標を捕捉。狙撃銃による攻撃を開始します。早急にその場を離れてください》
「……」
《神矢陸曹? いったい何を……?》
「見て分かるでしょう! 人助けよ!」
……って、分かるわけがないな。超凄腕で超凶悪なテロリストを支えようとしているのだ。少なくとも、警察関係者の人間たちに理解を求めるのは絶望的だろう。
私の社会的立場だって、相当危ういものになる。これで、もう周囲の人々の期待に応えることは完全に不可能になった。
それでも。それでもだ。
私はこの男の方にこそ、正義の天秤が傾いているように思われたのだ。
「ほら、立ってヴィル! あなたが狙われてるのよ!」
「俺のことは、気に……するな……。まだヤツが完全に、死んだ……保証がない」
思いがけない力で私の腕を振り払い、男はコンテナの陰に引っ込んでしまった。
「どうしたんです、ヴィル・クライン!」
「ここで待ってろ」
すると意外なことに、ヴィルは震える手で十字を切った。死闘を繰り広げた相手がどんな神様を信仰していたのかはさっぱり分からない。
だが、そんな相手に対してきちんと向き合おうという気持ちが、ヴィルからは感じられた。
その所作は意外なほど早く終わり、ヴィルは素早く狙撃銃の射線から身を引いた。
なんとか気を取り戻したヴィル。だが、ここからどうやって逃げるのだろう?
もしかして、海上保安庁の巡視船を乗っ取るとか……?
いや、考えるべきではないな。
結局、この戦いはヴィルの勝利で終わったのだ。彼に乞われない限り、私は同行すべきではあるまい。
私は荒っぽいアスファルトにゆっくりと膝をつき、勢いを増していく風雨に自らを晒した。そして自分が撃たれるその瞬間まで、だんだん遠ざかっていく巡視船を見ていた。
これは半分がでたらめで半分が正夢なのだが、当時の私には、そんな冷静な判断がつくはずもなかった。
これで、私の人生は終わる。それから視界が一瞬で真っ暗になった。ああ、私は死んだのか。
※
私はゆっくりと目を開けた。特にこれといった、過激な感情は我ながら察知していない。そもそも、今の今まで私の眼前で戦いを繰り広げていた男たちは何者なのか、それすら分からない。
いずれにせよ、今日は私が出動する日だ。ローテーションで決められている。
日の出前の夏の日。さて、作戦会議の前にシャワーを浴び、制服を着用。偽装道具一式の入ったトランクを担いで自室を出た。
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