2-1.悪の組織【真なる闇】
「集まってるか?」
がらりと戸を開け、若い男が室内に現れた。薄暗い部屋にはすでに数人の男女が集まっている。空気は重く、何かが始まる前の緊張感が漂っていた。
「ゼロ殿が最後でござるな、ドプフォ」
太った黒衣の男がラーメンをずるずると啜りながら口を開いた。彼の口元からスープが垂れ、見た目にはだらしなさしか感じないが、その存在感は異様に強い。外見のだらしなさとは裏腹に、独特の威圧感が部屋を支配していた。
「まったく、遅刻癖を直した方がいいぞ、小僧」
和服を着た童女が冷たく睨む。外見は幼いが、その言葉に込められた重さはまるで老獪な支配者のようだった。
「まあまあ、そんなに遅れたわけでもありませんし、会議を始めましょう」
燕尾服を着た執事然とした青年が、落ち着いた口調で会議の開始を促す。彼の一挙一動には無駄がなく、緻密に計算された動きがブレーンとしての役割を物語っていた。
「で、なんでまた急に呼び出しなんだ」
最後に現れた男、ゼロが椅子にどかっと腰を下ろす。その不遜な態度に、童女はため息をつくが、ゼロは一切意に介さない。
「相変わらず未熟な小僧よ……」
童女の冷ややかな言葉を無視し、ゼロは執事に目を向けた。「で?」とでも言いたげに手を軽く振って続きを催促する。
「ええ、どうやら我々『真なる
執事は冷静に説明を始めた。
「目標は強力な魔術の痕跡を持つ者、仮に「紋章の女」とします。今、山中の教団施設に滞在していることが確認されています。戦闘員の皆さんにはその排除、または確保をお願いしたいと思います」
その瞬間、室内の空気がさらに重くなった。何かが動き出す予感が全員に伝わり、場の緊張が頂点に達する。
ゼロは冷たく笑う。
「邪魔者か……面倒なことだが、まあ、楽しめそうだ」
その言葉に童女は冷たく目を光らせ、隣の黒衣の男はドプフォ、と笑い声を漏らす。
「よかろうですぞ! このTD戦闘員3名、命をかけて標的を潰しますぞ!」
得意げに声を張り上げた男の姿に、童女はため息をつき、机の下から彼のスネを蹴り上げた。「なんでお前がリーダーぶってんだ」とゼロが冷たく言い放つと、男は苦笑しながらコポォと悲鳴を上げる。
そんな様子を見ていた執事は、苦笑いを浮かべつつ、再び話を進めた。
「さて、それでは詳細に入ります。敵の位置と時間を考慮して、迅速に行動してください」
執事が作戦の説明を始めたが、ゼロは手を振って軽く遮った。
「わかった。俺たちが出れば問題ない。早く終わらせようぜ」
ゼロの冷たい声に、全員の視線が集中する。次の動きが明確に決まった瞬間だった。
「標的を見つけ次第、始末しろ。それで全てが終わる。詳細は執事(バトラー)から各自に伝える」
その言葉に全員が「つまりいつもの仕事だな」と得心した様子で、影の中に消えていった。
***
バシャバシャと顔を水で洗う。
今日あったことが全て悪い夢なら、どんなにいいか――そう思う。しかし、制服はズタズタになっているし、魔獣(?)が遺したカケラが手元にある。現実逃避を試みても、証拠はあまりに現実的だ。
「悪の組織、ねぇ?」
真田が言っていたことがもし本当なら、この体に起きた変化もそいつらと関係しているかもしれない。だが、どこかでまだ信じられない自分がいる。
「いや、小学生でも今どき、悪の組織なんて信じないだろ……」
自分にそう言い聞かせながら、頭の中では証拠を否定する理性が働く。だが、心の奥で理解している。無視するには、あまりにも現実味が強すぎるのだ。
「まずは、妹に頼んでこの制服を直さないとな」
ズタズタになった制服を手に取り、居間へ向かう足は重い。さっきまでの戦いの余韻が、体の奥深くに残っているのを感じる。傷自体は浅いものの、疲労はじわじわと全身に押し寄せていた。
「遅いデス」
リビングに入ると、黒髪をショートに切りそろえた妹、浅霧 千影(あさぎり ちかげ)が、頬を少しふくらませ、不満げに俺を迎えた。腕を組んだ姿勢は、俺を待ち続けていたことを物語っている。
「悪かったよ、バイトだったんだ」
俺は疲れた表情のまま肩をすくめ、ちゃぶ台の前に座る。制服のボロボロ具合を改めて確認し、千影に差し出した。
「これ、直しといてくれ」
千影は黙って制服を受け取り、じっとそれを見つめる。彼女の裁縫の腕前はすでにプロのレベルで、いわゆる「お針子」としては異次元のレベルだ。彼女が制服を修繕してくれるおかげで、俺は毎回喧嘩やトラブルに巻き込まれながらも、何事もなかったかのように学校に通える。まるで魔法がかけられたかのように、彼女の手にかかると制服は新品同様になるのだ。
「またボロボロじゃないデスか。……いったい何をしてたんデス?」
千影が制服をじっと見つめ、心配そうに眉を寄せる。
「いや、まぁ……ちょっとしたトラブルだよ」
俺は曖昧に答えた。さすがに「魔獣と戦った」なんて話は妹にできるわけがない。そんな馬鹿な話、誰が信じるんだ?
千影は少し疑わしそうな顔をしていたが、それ以上追及することなく黙って制服を受け取ると、いつものように裁縫道具を取り出し、手際よく針を動かし始めた。
「明日には仕上げます」
千影はそう言いながら、真剣な表情で作業を続ける。その集中力には毎度驚かされる。何でも器用にこなす妹に感謝しているが、ふと心の中で「こんな状況に彼女を巻き込みたくない」と思う自分がいる。
立ち上がり、ポケットの中のカケラを確認する。赤く鈍い光を放つそのカケラが、俺の思考を再び現実に引き戻す。
冷たく輝く赤いカケラ。これを見つめると、まるで否応なく現実の重さが頭に押し寄せてくるようだ。
「なんにせよ、魔獣は本当にいたんだ」
独り言が、つい口から漏れる。あの戦いが現実なら、悪の組織の存在も間違いなく現実だろう。信じたくはないが、無視することもできない。
「めんどくさいな……」
すべてを放り出して、なかったことにしてしまいたい。そんな衝動が一瞬だけ俺を支配する――が、その時思い浮かんだのは、真田の顔だった。
冷たい言葉を交わしつつも、昔からずっと俺を支えてきた幼馴染。彼女が危険な目に遭う可能性を考えると、放り出すわけにはいかない。
「……そうも言ってられないか」
俺はカケラを握りしめ、深く息を吸った。そしてポケットからスマホを取り出し、真田にメッセージを打つ。
「話がある。今夜、会えるか?」
送信ボタンを押した瞬間、既読がつき、すぐに真田から返事が届いた。
「いいよ☆ アパートの前でね!」
メッセージは、いつもと変わらない真田らしい明るさがあった。
しばらくすると、黒塗りのリムジンがアパートの前に静かに停まった。住宅街には場違いなその車も、俺にとってはもう見慣れた光景だ。やがて後部座席のドアがゆっくりと開き、真田みくが姿を現す。
「こんばんは」
真田は軽く笑みを浮かべ、いつもの調子で俺に声をかけてきた。派手な車に優雅な佇まい。もう驚くこともない。真田がこんなヤツだってことは、俺はとうの昔から知っている。学校では地味な優等生を装っているが、その正体は超お嬢さまだ。
「またそのリムジンかよ」
俺は半ば呆れたように言ったが、内心では特に気にもしていない。真田にとって、この豪華な生活が「普通」であり、俺たちが共有する日常の一部に過ぎないのだ。
「まあね。今日の予定、急に入ったからさ」
彼女は肩を軽くすくめ、俺の横に並ぶ。普段の学校生活では地味な眼鏡をかけているが、今夜の彼女はいつもと違う。まるで別世界から来た住人のように見えるが、それでも歩きながら話すと、俺の幼馴染みの真田みくそのものだ。
「で、話って何?」
真田の言葉に、俺は意を決して口を開く。
「真田、この間の魔獣の話だけど……」
「もしかして、出会ったの? そんな話、どこからも聞こえてこないけど」
真田の情報網にかからない魔獣――その存在が異常だ。俺が目にした赤い世界、そこに潜む異様な力は、どこにも報告されていない。
「そっか……、知らないならいいんだ。ただ、もし狙われるとしたら、真田だろ?」
真田は、超お嬢さまでありながら、超一流の魔法使いでもある。
――いや、だからこそ狙われる可能性が高い。
「そうだね、多分そう……」
真田は不意に襟元をめくる。首筋に刻まれた紋章――【巫女の紋章】が見えた。
それは翼のような文様の中心に、月を象った意匠が美しく輝いている。
紋章魔術――生まれつき体に刻まれるその模様が、使用できる魔術の才能を決定する。紋章の形状や濃淡によって、その力は大きく異なる。そして、真田の巫女の紋章は、歴史上でも類を見ないほど強大な力を持っている。
「なに? もしかして心配してくれてるの?」
真田は首を少し傾けて、くすりと笑った。普段の落ち着いた顔とは違い、どこか妖艶で俺をからかっているようだ。その笑顔には、俺が彼女を守れるはずがないという前提があるかのように感じた。
顔が熱くなるのを感じ、俺はすぐに目をそらす。
「そんなことないけど……俺なんかが守れるとも思ってないし」
右手の甲にある、パーツの欠けた牙のような紋章を見つめる。真田の強大な「巫女の紋章」に比べて、俺のものはどれほど弱々しいか……。
「そんなことないよ、どどめにはどどめの力がある。まだ、気づいてないだけでね」
真田は微笑を浮かべながら俺の手元を見つめる。彼女の言葉には、どこか深い意味が込められているように思えた。
「俺の力……ね」
苦笑いを浮かべながら、俺はまた自分の紋章に目を落とす。真田の言葉にどう反応すべきか分からなかった。
真田の巫女の紋章は、代々受け継がれてきた強大な力を象徴している。彼女の力は本物だ。それに比べて、俺の紋章は……。
「紋章はね、その人の本質を映すものなの」 真田は、俺の視線を感じ取ったのか、自然に説明を始めた。
「私の『巫女の紋章』は、月と翼を象徴している。これは天と地、二つの世界を繋ぐ巫女としての役割を表しているの。だから、私はこの世界と霊的な世界の間に立ち、均衡を保つために存在しているの」
真田の言葉には、自信と覚悟が宿っている。彼女は自分の力を理解し、その役割を果たしてきたのだろう。だが、その自信は容易に手に入れられるものではなかったはずだ。
「……俺の紋章には、そんな大層な意味なんてないだろ。欠けてるし、力もほとんどない」
右手の甲に刻まれたかすかな紋章を見つめながら、俺は自嘲気味にそう言った。
「どどめ、欠けているからって、その力が弱いとは限らないよ。むしろ、欠けた部分が埋まった時……君の力は目覚めるんじゃない?」
真田は柔らかく微笑みながら、言葉を続けた。
「埋まる……?」
彼女の言葉がすぐには理解できなかった。欠けた部分が埋まる――それは一体どういう意味だろう。
「君の紋章は、まだ完成していないのよ。それがどういう意味かは、私にも分からない。ただ、一つだけ言えるのは、君が持つその不完全な力が、いつか完成する時が来るってこと」
真田は俺をじっと見つめながら、そう告げた。
彼女の言葉を聞いて、少しだけ安心したような気がした。だが同時に、漠然とした不安が胸に広がっていく。自分の不完全さが、いつか完成する――その言葉が、現実のものとして受け入れられる気がしなかった。
「いつか分かるよ。君自身が、その答えを見つけることになるから」
真田は静かに立ち上がり、俺を見下ろすように言った。
その時、彼女の執事がそっと耳打ちをし、真田は申し訳なさそうに手を合わせた。
「ごめん、そろそろ行かなくちゃ」
「悪い、忙しかったよな」
俺は手を振り、リムジンが静かに走り去るまで見送った。
「俺の……答え」
この先、何かに答えなければならない時が来る――そんな予感が胸の奥で静かに膨らんでいた。
***
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます