4章 明天 その3
僕は、門宮を殺した。
それが、僕がどうしても忘れたかった真実だ。
あの時僕は、破砕機の運転スイッチを押し、起動させた。
門宮はそれに巻き込まれて、ぐちゃぐちゃになった。
ただそれを、呆然と眺めていた。
その日、僕と門宮は、2人で破砕機のメンテナンス作業をしていた。
門宮は破砕機の保護カバーを開け、中で破砕機の部品を取り付ける作業をして、僕はその外で交換した部品を掃除する作業をしていた。
その時、門宮は、付き合っている彼女について話してきた。
「いやぁ〜、実はあの子と別れたんすよ」
唐突な発言だった。
ついこの前までは、人生が楽しくてたまらない、とか喜んでいたのに。
「何かあった?」
門宮の様子がおかしかった。
そんな、淡々と別れ話をするようなやつでは無い。
僕はその異様さに気付いていながらも、話を聞いた。
「バイトと大学の勉強が忙しいから、一緒にいる時が少なくなったんすよ。なのに、こっちに休みを要求するんですよ、おかしくないですか?いやいや、俺の有給だって無限にあるわけないっしょ。それに、どーでもいい事ばっか、いちいち文句言ってきて、それで、だんだん、面倒になってきて」
いつも通りのうざい喋り方だった。
彼女と別れたらしいが、それほど落ち込んでもいないらしい。
そのまま門宮は、付き合っていた彼女に対しての愚痴を喋り続けた。
彼女と仲が悪そうな雰囲気は、門宮の話を聞く限り、感じなかった。
だがこうもあっさり、唐突に別れる事があるとは、恋愛とは僕には全く理解できない。
だけど、僕はこの時の話をいつも通りだと思ってしまった。
それが、間違いだった。
「本当に無駄な時間でした。なんであんなに夢中になってたんすかね?」
俯く門宮は、手に持った何かを見つめている。
言及はしなかったが、おおよそ彼女との思い出の物か何か、なのだろうと思った。
「取り付けは終わった?」
「はい」
この時の返事は、声が籠っていたが、僕は気にしなかった。
「それじゃ、回すよー」
門宮に、運転開始の合図を送る。
そして僕は破砕機の方を見て、そこに門宮が居ないことに気づいた。
破砕機から、離れているのか?
そう思った僕は、何のためらいもなく、スイッチを押した。
ぐちゃぐちゃ、ベギィ!ゴギッ!
――ちゃりん♪
血飛沫が舞い、肉と骨がすり潰される。
機械が過負荷で止まって、1枚の血塗られたメダルが床に落ちた。
その時に、鳴り響いた音が、僕に真実を突きつける。
門宮が何故、あの時「はい」と返事をしたのかは、分からない。
だが、どれだけ忘れようと思っても、この音が思い出させる。
ちゃりん♪
それが決して逃れられない、唯一の真実。
僕は、真実を忘れようと、自分の偽りの記憶を、真実だと思い込むように自己暗示をかけた。
あの時は何も無かった。
平穏な日常を過していた。
門宮からメダルを貰った。
それでも、門宮の死を、忘れる事は出来なかった。
だから、別の暗示をかけた、僕じゃなく、別の人が殺した事にした。
気の狂ったリーダーが、門宮を殺した。
僕はそれを見ていた。
僕もリーダーに殺されそうなった。
僕はこの件について何も関係無い。
全ては、僕が真実を忘れるための、偽りの記憶だったんだ。
僕は、ただ忘れたかった。
カツン、カツン。
破砕機の方に、何かが降り立った。
ひぃっ!
それは、破砕機にすり潰されて無惨な姿になった、門宮の下半身だった。
破砕機に巻き込まれ、えぐり取られた部分は丸ごと無くなっている。
門宮の下半身だけが、破砕機の前の血溜まりに立っている。
ごめんなさい。
ちゃりん♪
門宮は、メダルの音と共に僕の元に近づいてくる。
あの時、どうしてスイッチを押したのか?と、問い詰められている気がする。
止めて……。
ちゃりん♪
僕はその光景から目を逸らした。
だが、門宮が踏み出す1歩と共に鳴るメダルの音が、脳裏にその光景を鮮明に写し出す。
うずくまって耳を塞いでも、音
は止まない。
止めてくれ………。
ちゃりん♪
静まった空間に強く響く、メダルの音、それが告げるのは、後悔と自責から生まれた、罪悪感だった。
ごめんなさい……僕は罪から逃れようとした。
今も顔を上げることができない。
でも、門宮を殺した真実と、向き合って生きる事もできない。
見てはいないが、門宮は僕のすぐ側まで来たのだろう。
足音が聞こえなくなった。
その代わりに、ピシャッ、ピシャッ、と傷口から滴る血の音が聞こえて来る。
ちゃりん♪
いや、これは、メダルが落ちる音だ。
僕にはそう聞こえる。
辛い。
ちゃりん♪
生きていくのが苦しい。
ちゃりん♪
未だに生きている自分が、醜い。
ちゃりん♪
誰か、僕を、殺してくれ……。
「誰も、あなたを殺したりなんかしません」
罪悪感に押し潰されそうになった時、真っ暗な僕の心に、巧妙に射し込んできた、わずかな光。
明天の声だ。
その言葉に、すがるように、僕は顔を上げた。
見上げると、そこには僕を見ろしている明天がいた。
近づいてきていたはずの門宮は、破砕機に挟まったままだ。
何も近づいてきていない。
あれは、僕の想像……だったのか?
「これが、あなたの求めていた…いや、あなたが忘れようとした真実です」
…その通りだ。
だけど、やっぱり無理だ。
この真実から逃れる方法は無いんだ。
「いいえ、逃れる方法はあります。真実から逃れるために、あなたが用意した、もう1つの選択肢があるのです」
選択肢?
「私が、あなたの代わりに人生を生きます」
代わり?
代わり……だって?
……お前に…僕の、何が分かるって言うんだ!?
門宮を殺した、殺してしまった!
その罪悪感がお前に分かるのか!?
そもそもここは、僕の記憶や想像で出来た世界なんだろ!
だったら、お前も、僕の想像上の物でしかない!
そんなお前に、僕の気持ちなんて、分かるわけないだろ!
「………」
ここに至るまでにあった出来事、出会った人物、僕が抱いた感情……全てに意味があった。
僕は、死を願った。
お前は、僕の代わりなんかじゃない。
僕を殺しに来た死神だ。
そうなんだろ?
「私は明天…明日(あす)のあなたです」
明日の僕?
「そしてあなたは木野…昨日(きのう)の私です」
僕が昨日の自分?
どういう……事だ……?
「我々は同じ1人の人間なのです。あなたの過去は、私の過去でもある。だから、私の事をあなたは知らない」
同じ人間だって?
何で……歳も顔も違うのに。
「あなたが私をどう認識しているのかは分かりませんが、私はあなたの全てを理解している。自分の過去その物だから」
…納得はできないが、お前が僕の過去を理解していたのは事実だ。
だったら、今はどうなってる!?
現実は、現実の僕は、どうなっているんだ!?
「現実と、この世界が直接干渉することは、ありません。ここでどれだけ時間が経っても、何が起こっても、現実はあの忌々しい事故現場から、何も変わらないのです。まるで時が止まったかのように」
それじゃ…この世界の存在する理由は?
「何も変わらない、真実に絶望した、昨日までの自分として、死ぬか。真実を乗り越え、明日に生きる、新たな自分として生きるか。それを決めるための、世界なのです」
真実に、絶望するか、乗り越えるか、そんなのって…。
「私には、この真実を乗り越えて生きる覚悟がある。そしてあなたの事を誰よりも理解している。だからこそ、この悲劇からあなたを救いたいのです」
でも、僕は…これでいいのか?
分からない、けど、それが真実が逃れる方法なのか?
「今まで苦しかったでしょう?辛かったでしょう?私も同じ思いをしました。だから、もうこれ以上、苦しむ必要はありません。後悔もしなくていいです。あなたが背負った苦しみも、後悔も、全てを、私が乗り越えてみせる!」
あぁ…ありがとう。
そうか、僕は大きな勘違いをしていたようだ…。
明天は、死神なんかじゃない。
「これが1つの物語だったとして、その主人公は誰か、あなたに分かりますか?」
それは、明日の僕だ。
そして木野である僕は、過去の感情であり記憶、それを体現した存在、昨日の僕だ。
明天の覚悟を無駄にしないためにも、僕も決断をしなければならない。
全て託すんだ。
明天に、未来を、僕の人生を。
「それでいいんです。ですが、ここに居ては、また、あの音があなたに、真実を突きつけるでしょう。だから、音が絶対聞こえない場所へ、向かいましょう。私が案内します」
ありがとう……ありがとう…。
心がすっと軽くなった。
音が聞こえない場所。
この世界でそんな場所は1つしかない。
「そして、そこで、あなたは深い眠りにつくのです。そうすればもう、あの音が聞こえてくる事はありません。そうしてこの世界が崩壊すれば、後は、私があなたとして、現実を生きていきます」
頼み…ます。
僕は、安堵した心で電車に揺られていた。
音が聞こえない場所へ向かっている。
ようやくこの罪悪感から、逃れる道を見つけたのだ。
いや、逃れるのでは無い、託すのだ。
他人にではなく、明日の自分に託すのだ。
残酷な真実は変わらない。
それを起こした、僕の存在も変わらない。
変わるのは、僕の心だ。
僕は明天になるのだ。
絶望を乗り越えて生きていく、明日の自分になるのだ。
ほら、もう電車の走る音が消えた。
あと少しだ。
電車が止まった。
何も聞こえない場所に着いた。
この不気味な静寂を、最初は恐れたが、今はとても心地よい。
電車のドアが開いた。
電車から降りると、会社が見える。
目を瞑ろう。
会社も、真実も、何も見なくていい。
どこでもいい、静かに眠れる場所へ、歩いていこう。
疲れるまで、歩いていよう。
目は瞑ったままでいい。
……どれくらい歩いたのかな?
……………………今…歩いている?それとも立ち止まってる?
何も見えない。
何も聞こえない。
何にも触れてない。
何も感じない。
それでいい、あの音は聞こえないのだから。
眠ろう。
ありがとう……明天。
僕の代わりに、生きて……くれて。
おやすみ
………………………………。
…………………………うるさい。
ちゃりん♪
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