2章 犬と老婆 その1


 門宮の事故死、それはリーダーの仕業だった。それを知った僕も工場長に殺さそうになったが、明天(あす)に助けられた。


 彼は僕にとっての命の恩人だ。


 だが僕が見たのは、賽銭箱を持ち去る、明天の姿だった。


 その賽銭箱の中に、僕の求めているメダルが入っている。


 明天を追わなければ。あのメダルは僕の真の姿を移すと、明天は言っていた。


 実際、あのメダルに刻印されていた肖像画は、奇妙な面を着けた僕だったのだ。それが僕の姿だった。


 メダルだけでは無い。明天が居る神社も、明天の着ている服にある紋様も、奇妙な面を付けた僕のことを表していた。


 明天の事も何も分かっていない。


 明天は一体何者なんだ?


 神主?それとも警察?霊媒師??


 『見られている』、この発言は何を表しているんだ?


 命の恩人とは言え、不可解な点が多い。


 そして、これは現実の出来事なのか?


 確かに、明天の言っているのはデタラメのように思えるが、実際に門宮を殺した犯人はリーダーだった。


 僕はこの事実を認めたくないと強く思い、僕を含めた工場内の全ての社員の記憶を改ざんした。


 そのせいで、門宮の遺体の発見が遅れてしまい、誰にも解けない事件が完成した。


 でも本当にそんな事が有り得るのだろうか?


 それを確かめるためにも、今はそのメダルを見る必要がある。


 明天は日が沈みかけた、薄暗い森の闇に紛れて、走っていった。


 しかし、どうやって追えば。


 そう考えていると、


 ちゃっちゃっ♪


 っと、賽銭箱を揺らしているような音が聞こえてきた。


 今も山の中を走っているのか。


 そう思った僕は、賽銭箱の音を追いかけることにした。


 間違いなくそこにいるはず。


 でもどうしてだろう、追っていると言うよりは、誘われているような気がする。


 それでも僕は、その音がする方へ生い茂った草木をかき分け進んだ。


 


 どのくらい進んだのだろう。


 暗闇の山の中、今自分がどこにいるのかさえ、分からない。


 それでも、


 ちゃっちゃっ♪


 っと音は聞こえてくる。


 その音から離れたり、近づいたりしている。


 明天は何故、街ではなく、山奥へ逃げるのか?


 そう思っていると、音が止んだ。


 視界が悪い。


 辺りを見回しても明天のいた痕跡など分からない。


 しまった。これでは、探しようがない。


 ちゃりん♪


 硬貨を落としたような音が再び聞こえてきた。


 後ろ!?


 僕はすぐ振り返った。


 ワン!


 お前は!神社にいた犬!


 この近くに住んでるのだろうか。


 だが今は明天を探さなければ。


 この犬に構っている暇などない。てか、僕触れないし。


 ワン!


 ちゃりん♪


 そう思っていると、またしても硬貨の音が聞こえていた。


 もしかして、この犬の首輪から聞こえてくるのか?


 大人しく座っている犬の首輪には確かに、硬貨のようなものが何枚か付いていていた。


 目を凝らしてよく見てみると、それは門宮から貰ったメダルと同じサイズに見えた。


 まさか!?


 アレルギーのことなど忘れて、そのメダルに手を伸ばそうとした、その瞬間、この時間帯にしては不自然な光が後ろから差し込んできた。


 光に照らされて、メダルの表面が顕になった。僕の目に映ったのは、飛び散って付着したような、真っ赤な鮮血だった。


 間違いない、これは門宮から渡されたメダルだ。


「どちら様?」


 後ろから甲高い掠れた声が聞こえて、僕は光源の正体を察した。


 誰かいる。声から想像するに年老いたお婆さんだろう。


「あの…僕は………ぁ」


 何を驚くことがあろうか?


 振り返れば、そこには腰の曲がった老婆が、手元の懐中電灯を照らしているだけだ。


 その灯りで見えるのは、せいぜい顔くらいだろう。


 そう、それだけなのだ。驚くことなど何も無い。


 なのに、どうして。


「その……顔は」


「顔?」


 あの面は、僕が着けていたあの奇妙な面じゃないか!


 どうしてこの人が?


 『面をつけた人は、この世にまだまだ存在します。あなたにもその人たちが見えるはずです』


 明天の言葉を思い出した。


 これが面をつけた人。本人に自覚は無いのだろう。だが僕にはハッキリと見えた。


 となると、この人も僕と同じように嫌な記憶を忘れようとして、周囲の人間の記憶を改ざんしているのだろう。


 明天の言う通りならね。


「顔に何かついてる?」


「い、いえ何でも。あ、僕はその……」


 とはいえ、一体どんな記憶を改ざんしたのだろう?


 てか、いつの間にか犬がいなくなってる。


 今はこの人よりも、メダルを首に着けた犬を追いかけるべきか。


 いやでも、面をつけたこの人をこのまま放置しておくわけにもいかない。


 僕にしか面をつけた人は分からないから。


 それ以前に、こんな夜中に山の中にいるなんて完全に怪しまれてるよな、僕。


「僕は木野です。この山に虫取りに来たんです」


「虫?」


 パッと思いつく理由がこれしか浮かばなかったが、多分問題ないだろう。


「えぇ、カブトムシを取りにね」


「まぁ、それで夜にわざわざ山の中に?危ねぇのぉ、暗ぉて、何も見えまぁ?」


「目はいい方なんで。それより僕こそ驚きましたよ。ご老体には、この山中の道は堪えるでしょう?」


「ガキの頃から、山にゃよー行きょおるから、慣れとるんじゃ。こがなー所にカブトムシなんか、おりゃあせんぞ。はよ帰んな」


 帰ろうにも帰れないんだよ。この人も犬の事も、このまま放っておくわけにはいかない。


 そうだ、お婆さんと犬は何か関係があるのだろうか?


 ペットだったりして。


「ところで、さっきの犬はあなたの飼い犬ですか?」


「犬?」


「はい、さっきまでここにいた」


「……」


 急に黙り込んだ?


「あ、ご存知ないなら僕はこれで」


「あんた、ここで犬を見たってのかい?」


「いや、だからさっきまでここに―――」


「どこに行ったん!?」


「え!?」


「ななじゃ!なながおったんか!?」


 なな?あの犬の名前か?


「ななって言うんですか?」


「あぁ、そうじゃ。中型のビーグル犬で、この山で行方不明になったんじゃ!だから、ワシは毎日毎日探しとった!」


「犬種とかは、よく分かんないすけど、さっきの犬で間違い無いんですね?」


「さっき?何のことを言っとるんか分からんが、ここいらで犬の見たんじゃな?」


「えぇ、まぁ、そういう事になりますね」


「そうかい」


「ちょっと!どこに行くんですか!?」


 と言ったが、この流れなら当然か。


 お婆さんは山奥へ歩み出した。


「ななを探す。やっぱりここにおったんじゃ」


「だったら、僕も手伝います!」


「いらん世話じゃ、とっとと帰んな」


 そうはいかない、その犬には僕も用があるんだ。正確には、ななの首につけてるメダルだけど。


 確信は持てないけど、面が付いた理由もそこにあるんじゃないのか。


「なら別々で行動しましょう。ななを見つけたら報告しますよ」


「帰れと言うておろうが、年寄りの気遣いは素直に受け取らんか」


「だったら、帰りながら探しますよ」


「ほんまに、最近の若いもんは……」


 上手く言いくるめたが、帰るつもりなど毛頭ない。


 お婆さんが、見えなくなったところで僕は、山奥へ進み出した。


 お婆さんの言ってる事は正しい。


 夜の山は本当に何も見えない。


 自分が何処にいるのかさえ分からなくなる。


 だけど僕は、あのメダルで自分の姿を見なければ。


 そうしないと真実の自分は分からない。


 けど、考えてみたら、面をつけたお婆さんが見えたんなら、僕の面は既に無くなっているのではないか?


 明天はそうとも言っていた。


 それでも不安は拭えない、絶対に見ないと納得できない気がする。


 それと、なながどこにいるのか、僕には分かる。


 ちゃりん♪


 やっぱり聞こえた。


 この音の方に行けば、ほら、いた!


 例え暗くても音を辿れば、ななは見つかるんだ。


 ハッハッ!


 おーい、ちょっと待って!また逃げられる!


 何で毎回少し止まってから走り出すんだ?


 また見失った……。


 ?あれは懐中電灯の明かりか。


 という事は、あそこにお婆さんがいる。


 今度は明かりに近づいた。案の定、そこに居たのはお婆さんだった。


「なな、いましたよー」


「アンタまだ帰ってなかったのかい?」


「首にメダ―――」


 ん?ちょっと待てよ。


 仮にあの犬が本当に、ななだったとして。


 どうして、明天が持って行った賽銭箱の中に入っていたメダルを付けているんだ?


 明天はあのメダルの存在を知らないはず―――いや、本当は知っているのかもしれない。


 明天に関しては分からないことだらけだ、知っててもおかしくは無い。


 それをわざわざ賽銭箱から取り出して、ななの首輪に付けたのか?


 意味が分からないぞ!?


「メダ?」


「あ、えっと、ななは首にメダルを付けているんですか?」


「なわけないじゃろ」


「そうですよね」


 だとすると、やっぱり明天が付けたんだ。


 謎だ、だがそれでいい。明天の考えてる事を今は理解できない。


 それが分かった所で、やることは変わらない。


 ななを追わなければ。


「付いて来てください」


「おい!待ちなさい!」


 僕には聞こえる。なな(メダル)の音が。確信がある。


 ちゃりん♪


 きっとそこに居るんだ。


 お婆さんは僕の後を追って来る。


 それは愚かな若造の行動を心配してか、なながいる可能性に賭けているのか。


「あんたには、一体何が聞こえてくるんだい?」


「いいから、付いて来てください」


 


 だがこの先に待っているのは、お婆さんにとって、思い出したくない現実だ。


 それはきっと、ななに関係しているものだと思う。


 それをお婆さんに突きつける覚悟が僕にはあるのか?


 いや、そうだとしても、面を付けたまま、現実から目を逸らして生きていく方が、ダメだと思う。


 それと、これは予感なんだが、ななは、恐らく、もう……。


 


 音を追っていくと、山の中でも道路に近い場所に着いた。


 木々の奥には既に道路が見えていた。


 そこの幹の大きな気の根元に、ひらがなで、なな、と彫ってあった。


「これって……」


 ピキリ!


 お婆さんの面にヒビが入った。


 これはななの墓だ。


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