1章 忘れられた変死体 その2

 工場内は常に騒音が鳴り響いていて、うるさい。


 だがその日はやけに静かだった。いや、今はいつも以上に騒がしいはずだ。重大災害の発生、それに伴い慌てふためく職場の人。それでも僕は静かに感じたのだ。


 救急隊の人が破砕機に挟まった人の救助を試みているようだが、半身が潰されているであろう人を、一体どうやって救うのか。


 僕にはそんな事を気にする余裕などない。


 周りの音もきこえないほどに、思考を巡らせる。


「誰だ!昨日ここで作業していたのは!答えろ木野!」


 何があったのか問い詰められているが、僕は俯いたまま目を瞑った。


 落ち着け、これはきっと現実じゃない。昨日の事を思い出すどころか、現実否定を始めていた。


 それでも、目を開けたところで何も変わらない。


 乾いた血が付着したメダルが真紅に輝いて見える、まるでそれが現実を突きつけてくるように感じた。


 あの時付着したのは、油汚れじゃなくて血だったのか。


 そんな訳ないだろ、誰も怪我なんかしてない、血なんか一滴も流してない。


「木野!」


「…だから!そのっ!」


「よしましょう。今この精神状態で話し合った所で何も理解できません。今し方警察の方も到着しました。今の我々に必要なのは冷静になる事です」


「人が死んだのに落ち着けってか!」


 悲惨な現状を直視すれば、精神的におかしくなる。


 僕たちは事務所に戻って、後のことは警察に任せた。


 


 今日の仕事は無くなった。


 でも微塵も嬉しくない。


 人が死んだのだ。


 それもごく身近な人が。


 後に警察の調べで、遺体の制服から推測すると死亡したのは門宮と断定された。


 遺体の一部(上半身)が著しく損傷しており。死因は見ての通りだった。


 今もこれは事故死として捜索が進んでいる。


 僕も警察の人に色々な事を聞かれたが、何一つ証拠にならなかった。


 僕だけじゃない、この件については職場の誰もが何も知らなかった。


 1つ僕たちの発言と矛盾しているのは死亡推定時刻だ。それは昨日の14時31分。僕たちはその時間、通常通りの作業をしていたのだ。


 こんな大きな事故があったにもかかわらず、誰も気づかなかったのだ。


 僕も警察にその事を言われたが、絶対に違う。その時間、彼は僕にメダルを渡していたはずだ。


 それ以外、何も起きていない。


 あれから一夜明けた今でも、このことが事実だと受け入れられない。まるで長い夢を見ているようだ。


 警察に話さなかったことがある。いや話せなかったことだ。


 このメダルだ。


 何度見返しても、乾いた血が付着していることに変わりは無い。


 これを警察に渡せば、事故の証拠品になるかもしれない。いや、僕が疑われるだけか。そう考えると恐ろしくて、黙っていた。


 今日から仕事が再開する。


 僕は車で職場に向かう途中、運転中である事を気にせずに、何度もメダルを確認した。それは事実から目を逸らそうとしたからだ。


 だがいつ見ても、どんな角度で見ても、付着した血が真紅に輝いている。


「そんな訳が無い」


 だが真実はこのメダルが語っている。


 門宮は事故死。そのことを誰も覚えていない。


「でもどうして、門宮が…」


 僕は苦悶の表情で、車窓の景色を見た。すると、何か見覚えのある肖像画が描かれている小さな神社が、目に入った。


「こんな所に神社なんてあったか?あの肖像画はメダルの?」


 通勤中なのにその神社の側に吸い寄せられるように、向かって行った。今日はいつもより早く出て来てしまったので時間には余裕があった。


 そんな事よりも何故か、あの神社の肖像画が気になる。


 門宮から貰ったメダルに刻印された肖像画と同じものが、この神社の看板に描かれている。それだけの事だ。


 それがめちゃくちゃ気になる。


 深く考えもせずに、車を停め、賽銭箱の前に立っていた。


「やっぱり、同じ肖像画だ」


 メダルと比べても違わない、全く同じ肖像画だった。


 でもどうしてこの場所に?


 門宮は旅行先で買ったと話していた。この神社と何か関係があるのだろうか?


 考えながら、手に持ったメダルをじっくり見つめていた。


 すると足元にモフっとした感触がした。


 ちゃりりん。


 鐘のような音も聴こえ、下を見るとそこには、え!?犬!?


 通勤途中でよく見かける、あの場所の犬がいたのだ。不思議そうな顔をして、こちらを覗き込んでいる。


 鐘の音は首元にぶらさげたベルから聴こえたものだろう。


 だが如何せんこの状況は、僕にとっては悪い状況だ。


 何故かって?


 僕は犬猫アレルギーなんだよ!


 大袈裟に思えるかもしれないが、僕は動物の毛が目に入ると、目が溶けるんだ。


「うわっ!?」


 その場からすぐさま後ろに飛び退いた。その時、手に持っていたメダルを落としてしまったのだ。


 ちゃりん。


 しかもメダルは、僕の目の前にある賽銭箱の中に入ってしまった。


 最悪だ。どうにかして取らないと。他の人に、拾われたらマズイ。


 犬は飛び退いた僕に驚いて、キャンキャン鳴きながら山奥へ逃げていった。


「やってくれたな、あの犬」


 賽銭箱を覗き込んでいると、明らかにデザインが違う物、門宮から貰ったメダルがあるのが分かった。


 どうしよう。


 すると、神社の奥からのっそりと神主らしき人物が顔を出した。こんな所に人がいるのは驚きだ。


「客人ですか?」


 神主らしき人物は、透き通った男の声色で、焦げ茶色の袴を着ている。まるで歴史の教科書で見た江戸時代の人の格好をしていると思った。


 袖には、神社やメダルに描かれている肖像画のような模様も入っている。


 やばい、今僕は賽銭箱を凝視していた。ひょっとしたら賽銭泥棒か何かだと、疑われているのかもしれない。


 僕は挙動不審になりながら、視点が定まらない。


「あ、あの…」


 神主は僕の顔をじっと見つめながら、こう言った。


「?ひょっとしてその作業着、例の事故があった工場の職員の方ですかな」


「あ……はい」


 神主の顔が僕の瞳に鮮明に映る。その顔は凛々しく、目や鼻は細い。その被っているのは角頭巾と言うのだろうか、比喩だか頭の形がイカのエンペラに見える。


 抹茶色の袴の右胸辺りに、メダルや神社にあった物と同じ、肖像画のような模様が刻まれていた。


 だが1番特徴的だったのは、アイラインに黒い線が入っている事だ。それはまるでマジックで書いたように、太かった。歌舞伎役者か?


「それは災難でしたね」


「はい、今、色々と大変でなんです」


「従業員の方が1名、亡くなったとお聞きしました」


「ご存知でしたか」


「彼はまだ見ています」


「え?」


 神主は角頭巾に手を当てて続ける。


「いえ、分かるんですよ。あなたのそばに居て、ずっと見ていますよ」


 やばい、この人めっちゃ怖いこと言ってくる。


「そんな事!ど、どうして分かるんですか!?」


「いやねぇ、神仏の類に深く関わっていると、見えちゃいけないものまで見えてくるんですよ。ほら、彼はどうやら、この世に未練があるんじゃないんですか?ほら、今もあなたの肩に手を乗せて、苦しそうに呻いていますよ。どうします?」


 未練?何を言っているだこの人は、霊媒師か何かなのか?


 神主は僕を顔を真顔で、じっと見つめたままだ。僕の顔はだんだんと強ばってきた。


 門宮は幽霊として、今も僕を見つめている。


 そんなの。


 そんなのって。


 怖っっっっっわ!


「……おっと、まかさそこまで深刻そうに受け止めるとは。あなた真面目ですね」


「はい?」


「冗談ですよ、冗談。私に霊など見えませんよ」


 いや、冗談で済むか!人の死をなんだと思ってるんだ!?


 何だこの人!?


「少し魔が差しました。こうやって話しかけると、亡くなった方とどういう関係なのか、分かるんですよ」


 何言ってんの!?


「あ、あの!僕もう仕事があるので失礼します!」


 ヤバい人だ。


「だが、念の為、お祓いをしましょうか」


 すると神主は突然、手拍子でお経?の様なものを唱え始めた。


 ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち。


 一定のリズムの手拍子に合わせて唱えいる。そんなのありかよ。


 僕は見つめてくる神主の方を振り返らないように、車に乗り、その場を去った。


 良かった、逃げきれたようだ。


 賽銭箱に入ってしまったメダルの事を思い出した。


 何にせよメダルの事が他人にバレるのだけは防がなければならない。


 血の着いたメダルなんて、見つかったら、あの人が何をしでかすのか分からない。他の人に見つかってもダメだ。


 だがまたあの人と会うのは、絶対に嫌だ。


 神主が居そうにない、夜に来よう。


 でもそれじゃ、僕が本物の賽銭泥棒みたいじゃないか。


 ところで今何時だ?…やべ。


 僕はアクセルを踏みこみ、急いで会社へ向かった。


 


 何とか始業時間に間に合った。


 事務所に入ると、そこには昨日帰ったはずの警察がまだいた。


 事故の調査は既に終わっているはずだ。なのにどうして?


「木野、やっと来たか、警察の人から話があるそうだ」


 リーダーは眉間に皺を寄せ、明らかに嫌な顔をしていた。


 昨日で事故の話は終わったはずだ。


「話?」


「ここからは我々が、木野さん、こちらへ。昨日の事故の件ですが、殺人事件の可能性があります」


「殺人事件!?」


 警察の人に連れていかれる。事故じゃなかったのか。嘘だ、信じられない。


 もしかしたら、見つめられてる!?いやいやいや、無い無い無い無い、ありえない。


 会社の事務所から聴取室に向かう僕の足取りが、心拍数を上昇させる。


「いや、ほんとにおかしな話ですよ、人が死んでいるのに誰も気づかないなんて。あなた達全員、疑わしいんだけどね」


「…ほんとに、すみません。でも何も知らないんです」


「今はそれで済むんですけど。いずれは正直に話してくださいよ。誰かは知ってるのは事実なんでね……失礼します」


 警察に続いて、僕も聴取室に入る。そこには昨日は見かけなかった、意外な人物がいた。


「失礼します…って!あなたは!?」


「おや、いかがされました?」


 太い黒縁のアイライン、凛々しい顔と透き通った声、見覚えのある肖像画が描かれた服、今朝会ったヤバい神主じゃないか!?


「あの神社に居た!神主さんですよね!?」


「神主?私はこう見えても、刑事ですよ、人違いでは?」


 いやいやいやいや、無理があるって。あの歌舞伎役者みたいな顔は、誤魔化せてねぇだろ。忘れられるか、あんな事言っておいて!


 てか、僕より早くどうやってこの会社に来たんだ?どうしよう?このままじゃまともに話せそうにない。


 平常心を保てるかどうか分からないが、ここは何も知らないフリをしよう。


「すみません、人違いでした。まだ気が動転してるかもしれません」


「いやぁ、人が亡くなっておられますから、そうなるのも無理はないですね」


 口癖まで似てる気がする。


「自己紹介が遅れました。刑事の明天(あす)と申します。本日はどうもよろしくお願い致します」


 明天と名乗る神主?は頭を下げる。


「あっ僕は木野です。さっきの方から聞いたんですが、殺人の可能性があるとは、一体どういうことでしょうか?」


 渋らずに、思い切って聞いてみた。


 確かに疑われているのは怖いし、辛い。だが聞かれるのは時間の問題だ。


「はい、今回の事故なのですが。現場で働いている職員は誰も気づかず。事故が発覚し、我々が調査を開始したのは、その翌日だった。そして調査の結果、死亡事故と断定されましたが、1つ見落としている点がありました」


「それは?」


「被害者の遺体に複数の殴られた様な痕があったんですよ。それもかなり新しい」


「新しい、殴られた様な痕ですか?」


「えぇ、被害者は破砕機に入る前に打撲を受けた形跡があるんですよ。それはつまり、何者かによって暴力を受けた可能性を示唆しているんです」


「なんと…」


「工場長は、破砕機の投入口で打撲したのでは?と仰ってましたが、あの痕は人間の拳くらいのサイズでしたので、その可能性は低いです」


 門宮が何者かに殺された可能性がある。そんなはずない、あれは事故だ。


「信じて貰えないでしょうが、何度も言いますけど、僕は何も知りません」


「では知りたくないですか?」


「はい?」


「この事件の真相を」


「それは…知りたい……ですけど」


「だったら見に行きましょう。あなたの発言を疑っている訳では無いが、何か重要な事を忘れているかもしれません」


 正直、現場には行きたくない。辛いからだ。


 だが真相というワードが、どこか引っかかっている。確かめずにはいられなかった。


 もし門宮を、殺した犯人がいるとすれば、決して許される問題では無い。


「分かりました。同行します」


「いやぁ、どうも」


 いやぁ、だ。


 僕と明天は例の事故が起こった破砕機の前に来た。


 門宮の遺体は回収されたが。破砕機は、まだ血の跡が着いている。


 目を逸らしたくなる嫌な光景だった。事実では無いと、思いたい。


「一昨日、あなたはここで通常の仕事を行っていた。そうですね?」


「はい、掃除をしてました」


 明天に話した内容をまとめると、


 


・門宮が破砕機に巻き込まれる


・職員は誰1人、この事に気付くことなく仕事をしていた


・昨日の朝に門宮の遺体が見つかる


 


 こんな感じだ。


 そして僕の一昨日の行動は、


 


・門宮からメダルを渡される


・2時間残業をして清掃作業をする


・終業後、門宮と適当な話をして家に帰る


 


 以上だ。メダルの話は明天にはしなかったが、それ以外にも不明な点がある。


 僕は門宮が亡くなった時間以降で、門宮と会話をしているのだ。


「あなたは帰る前に被害者と話している。これは一体どういうことですか?」


「……分かりません、でも確かに門宮と話したんです!」


 僕の声は震えている。


 完全に、疑われてしまったのだ。最悪だ。これじゃ僕が犯人じゃないか。あぁ、頭痛が酷くなっていく。


「いやぁ、困りましたね。でもね、現場に入って新しい発見もありました。木野さん、これは見覚えがありますか?」


 明天は飛散した、血痕に円形の跡があるところを指さした。その形は、門宮から貰ったメダルと同じくらいのサイズだった。


 その円形の部分だけ、切り取られたように、血痕が付着してなかった。


 ドクンっ!と動揺で心音が一気に大きくなった。


「い、いっいい、いえ、分かりません!!!!」


 あそこは僕がメダルを拾い上げた場所だ。でも血なんて着いてなかった。


 ただ床の油汚れが着いていただけだ。


 見間違うはずが無い!平穏を装わなければ、メダルの存在を悟られないように。


「まるで何かが落ちていたような形跡があるのですが、困るんですよね、現場の物を勝手に持ち出されるのは、重要な証拠になる可能性もあるんですから」


「ま、まさが、ぼぼ僕が持ち去ったとととでも?」


 落ち着け!僕!その発言は致命傷だ!


「落ち着いてください。被害者も見てますよ」


 やっぱり、あの時のヤバい神主じゃないか!


 こんなのおかしい、絶対夢か何かだ!


「あ、あなたは何なんですか!?今朝から、僕をどうするつもりですか!?」


 声を荒らげてしまった。


 違う、僕じゃない!


「いやぁ、だって、あなた見えてますもん」


「僕には門宮の事は見えてないです!」


 忘れたい、こんなの事実じゃない。嘘だ。


「集団における、記憶改ざん、現場の状況と記憶の相違を直視し発生する。そしてあなたにしか見えなかったんですよ」


「何がです!?」


「この顔です」


 明天は服の右胸辺に描かれている、肖像画を見せてきた。


「肖像画とお思いでしょうが、それは違います、これはあなた自身です」


 僕?これが?


 それは、何とも形容し難い形をしていた。肖像画の人物はお面をつけている。それも、沢山の立方体の骨組みが、乱雑に組み合わさった、全体がやんわりとハートの形をしている、ような物だった。


 きっと上手く伝わらないだろう。


「肖像画じゃないんですか?」


「はい、これはあなたを写す鏡ですから。あなたを、ずっと見ていたんですよ」


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