第6話 名前はまだ無い
「熟年夫婦みたいよね」
「は?」
何言ってるんだ、という顔でお姉さんを見てしまった。いや、本当に何を言ってるんだ?
「えっと、お姉さんとイケメンの話?」
「はぁ? それこそ、何言ってんの?」
心外だと言わんばかりの表情で、お姉さんは顔の横で手をひらひらと振って言う。
「あんたたち二人のことよ。ここに来て半年だっけ? あいつ相手に名前呼ばなくても、アレとかソレで話通じてるじゃない」
「あー……」
なんと説明すればいいのだろう。
実は半年たった今も、僕はイケメンの名前を知らないのだ。名前を呼ばないのは知らないからというのと、基本的に二人しかいないため名前を呼ばなくても不便を感じなかったからだ。聞けば教えてくれるんだろうけれど、タイミングを逃しズルズルときてしまった。
ちなみに、お姉さんの名前は知ってる。撫で回されながら自己紹介された。そのとき記憶喪失で名前がわからないって伝えたら、こいつに付けてもらいなさいよ、って言われてそのままだった。
ここにいるだけなら名前無くても良いんだよな、と思ったものの、個人を認識するためにも名前は重要か。
「僕の記憶がないって話したでしょ? タイミングを逃して、僕の名前つけてもらうのも、名前を教えてもらうのも今の今まで忘れてて……」
お姉さんから素っ頓狂な声が上がる。ジトっとした目で僕を見つめ、お姉さんは不満そうに口を開いた。
「半年よ? 一週間くらいならバタバタしてたっていうのも分かるけど、半年も名無しのままなの? 名無しくん?」
「……はい」
おっしゃる通りです。僕もちょっと愚か者だなぁって思いました。
お姉さんの圧が怖くて思わず背筋を伸ばしてしまったけれど、異世界の生活は毎日驚きの連続で、名前なんてどうでもいいくらい刺激的だったのも本当だ。慣れたと言っても、毎日感心したり驚いたりすることがある。そんな毎日を送る中で、僕とイケメンにとっては名前の重要度が低かったのだ。
「よし、今日の任務よ」
待ってほしい。いつからお姉さんが僕に任務を課すことになったのだろうか。訳が分からないまま、勢いに押されて頷く。
「とても簡単な任務よ。あいつとあんたの名前を覚えて私に後日教えること」
「えぇ……」
「えぇ、じゃないわよ。これでも私、名前教えてくれるのを楽しみに待ってたのよ。それなのに全然教えてくれないし、仲間外れなんだわってしょんぼりしてたのに、まさかの無名って何? 待ってた私が馬鹿みたいじゃない」
すみません。返す言葉がない。
悪気はなかったけど、悲しませてしまったのは申し訳ない。助言してくれたのを無視した形だし、僕は心の底から反省した。
「ごめんなさい。名前もつけてもらうね」
「そうね、そうしてちょうだい。あいつがいつまでも付けないなら、私が勝手に付けちゃうんだから」
ウィンクしながらお姉さんがいたずらっぽく笑う。茶目っ気を見せ、もう怒ってないよアピールをしてくれる優しい人を、これからは悲しませないようにしよう。忠告もちゃんと受け止めて、行動に移そうと思う。
僕が笑ったのを見て、安堵した様子を見せたお姉さんは貰ったという果物を置いて帰っていった。
家に一人残された僕は、果物かー、と目の前にあるバスケットの蓋を開けるのをためらう。
この半年間、果物にはいい思い出がない。美味しいのは美味しいのだけれども、見目が悪すぎるのだ。どれも甘かったり、酸味を感じつつもさっぱりとした甘さをもたらすことが信じられないと思う見た目をしている。
例えば、メロンくらいの大きさで中身を食べるというものを半分に割ったら、そこから細くて赤い糸ミミズみたいなのがウネウネしていたのだ。反射で動いているだけで少ししたら止まると言われたけれど、それも食べると言われて正直絶望した。
でも覚悟を決めて食べたら美味しいから悔しい。本当に悔しい。
なんであの見た目からこの濃厚な甘みと桃のような芳香がするのか謎すぎる。悔しい。
きっと今回の果物も相当酷いものなのだ。あのゲテモノ食材を当たり前のように持ってくるお姉さんが、まぁ少し見た目は悪いけど味は保証するわ、って前置きしたんだから。怖すぎる。イケメンが帰ってきてから開けよう、そうしよう。
掃除や洗濯をしている間に、イケメンが帰宅していた。僕はまだ行ったことがないけれど、森の先にある街へ食材を卸しているそうだ。イケメンが卸しているのは魔獣の肉で、お姉さんの話では高値で取引されているらしい。それで、こんな奥まったところに住んでいるのに、生活する範囲で困った様子がまったく見られないんだなと思う。使いたいと思うものはだいたい揃っているし、不自由さがない。やっぱりイケメンの元に転がり込んで正解だった。
胸の内で、イケメン、と呼んで思い出した。僕には任務が与えられていたんだった。これからもイケメンって呼ぶと思うんだけれど、知っているのと知らないのは違うからな、と思いを新たに声をかける。
「さっき、お姉さんが来ててね」
「あぁ、これか? また珍しいものを置いていったな」
蓋を少し開けて中を確かめていたイケメンが言う。少しだけ蓋を開ける行為は、この世界では特に大切だ。中に入っているものが飛び出てくる可能性がある。触手ヌードルお湯淹れたて、のときみたいに。
そんなことを思いながら、そっちも気になるけど他にも気になることがあってね、と強引に話を戻す。
不思議そうに首を傾げるイケメン。絵になって悔しい。僕のこっちでの体も、成長したらそんな感じになりたい。まぁ、僕はタレ目だしキリッてしてないし、体つきもヒョロヒョロだから無理だけど!
「ずっと聞きそびれてたんだけど、名前を教えてほしいんだ」
「あぁ、そういえば教えてなかったか。不自由してなかったから忘れてた」
やっぱりそうだよね!
僕と同じ感覚でよかった。こういうところが似ているおかげで、共同生活は成り立っていたのだ。一緒にいて楽だと思うのもそれだよな、と。
「僕もなんだけど、お姉さんに名前呼ばずに意思疎通できるなんて熟年夫婦みたいって言われて」
イケメンがとても微妙な表情をしている。そんな顔もできたんだ。そんな表情してるのに銀髪がキラキラ輝いてキレイだなー、なんてどうでもいいことが頭を過る。現実逃避している場合じゃなかった。
「それで正直に、名前を知らないから呼んでなかった、って言ったらドン引きされて。あと、僕の名前もないって言ったら怒られた」
「あぁ、アイツはそう言うだろうな」
「というわけで。僕も認識を改めようと思うので名前教えて」
「サラガ」
すんなり教えてくれた。でも、なんかもう少し続きそうだったのに口を閉じてしまった。本当は名字的な何かがあったんだろうか。まぁ、教えてくれないってことは必要ないのかもしれないし、知らないほうがいいのかもしれないし。僕だって異世界転生しましたってのを黙っているんだからお互い様だろう。
「おぉ、サラガね。ありがとう、覚えた。そして、ここからが問題です。お姉さんが、名前つけてもらいなさいって」
「……誰に?」
「サラガに」
覚えたての名前を使ってみた。急に名前を呼ばれたからか、それとも指名されたからか、イケメンの肩がビクッと震える。
「誰の?」
「僕しかいないよね?」
フザケてんのか、とジト目でイケメンを睨む。動揺する気持ちは分かる。拾った犬に名前をつけなくちゃならない状況だもんね。命名するときって悩むよねー。完全に目が泳いでいる。
「今すぐって難しいと思うから、お姉さんと会うまでに決めてほしいんだ。教えるって約束したから」
「……善処はする。ところで、なにか覚えてたりすることはあるのか?」
「うーん、体に染み付いてることは覚えてるけど、それ以外はさっぱり?」
残念ながら少年の姿をしていても、この世界での記憶はゼロだ。だから嘘ではない。なんていったって、この世界で目覚めたら触手の森にいたんだからね! 地獄すぎる。
名前も古風と言われるような名前だったから、こっちの世界には合わないだろうし。この世界の標準的な名前って分からないし、いい感じのを名付けてもらいたい。
「そうか」
何も分からないと言ったら少し残念そうに見えるのは気のせいだろうか。でも、知らないものは知らないし。
僕は思考を中断し、目の前のバスケットを指差した。
「そうだ。中身ってなんだったの?」
「まだ開けてなかったのか?」
「いや、だって何が飛び出してくるか分かんないから一緒にいるとき開けようと思って」
「アイツもそこまで鬼じゃないから、危険物は持ってこないだろう」
そう思うけれども!
それとこれとは話が別だ。危険物じゃないにしても、ゲテモノ食材であることに変わりはない。胴体に大きな口がついてたり、手のようなものが四本あったり、たまに人要素が入ってるから怖いんだよ、ここのゲテモノ食材!
「まぁ、見てみろ」
ズイッと僕の方に寄せられるバスケット。覚悟を決めて開いて、僕は勢い良く閉じた。
中のものと目が合った。ぎょろりとでっかい目がこっちを見てた。球体が目だったような気がする。え、果物とは名ばかりの、なんかの魔獣の目だったりする?
「なに、今の」
「果物だな」
「へ? これが? 大きな魔獣からとった目じゃなくて?」
こくんと頷かれた。木に生ってるのか、土の上に生ってるのか分からないけど、これ単体で存在してるってことだ。信じられない。
もう一度覗いてみる。びくぅっと体が震えるくらい衝撃的な見た目だ。これがたくさん生ってるなんて、集合体恐怖症人が見たらぶっ倒れるだろうな。
「ちなみにどうやって食べるの?」
「これをこのまま蒸す」
「蒸す」
思わず繰り返してしまった。この見た目でまさかの蒸す。芋か何かなのか、この目玉。
固まってしまった僕を無視して、イケメンはバスケットを持って台所へ行く。多分蒸しているんだと思う。
目玉をあのまま蒸して美味しいんだろうか。まったく分からない。
そうこうしているうちに、蒸し上がった目玉が皿の上に鎮座していた。とてもシュールだ。目玉だけれど目玉じゃない果物だ。頭がおかしくなりそう。
フリーズしている僕を見かねて、イケメンが目の前の目玉に勢い良くスプーンを突き立てる。血が飛び散るなんてことはなく、スッと中に入ったスプーンにはオレンジ色のねっとりとしたものがすくわれていた。それをそのまま僕に差し出す。イケメンのアーンだ、破壊力がすごい。でも、先程のショックで脳が麻痺してる僕は、言われるがままに口を開いた。
やがて口の中に広がる優しい甘み。前の世界の何かに似ている。
必死に思い出せば、甘さ控えめのスイートポテトだ。蒸しただけでスイートポテトになる目玉!
さつまいもの味だけど、果物って言ってるから地中じゃなくてきっと木に生るものなんだろう、たぶん。土の中からたくさんの目玉出てくるのも怖いけど、木に生っていても同じかもしれない。どっちにしても精神力ゴリゴリと削られるよね。
「こんな見た目なのに、美味しくて腹立つぅ」
スプーンを渡されて、僕はガツガツと目玉のような果物を食べ始める。イケメンも目玉にスプーンを入れ、とろけるような甘味を堪能する。
「名前か……」
食べながら呟いてる声が聞こえたけれど、僕はそれを無視してお菓子に夢中なフリをする。どんな名前をつけてくれるんだろうと、ほんのちょっぴり期待しながら。
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