第4話 逆鱗

 伯爵の暗殺作戦以降、特別強襲偵察隊の主任務は非正規戦となってしまった。暗殺、拉致、破壊活動。他国への武力介入なんかもやらされた。本来的な意味で言えば正しく特殊作戦を遂行していると言える。だけど俺の心は徐々に均衡を保てなくなっていった。そんな自覚がある。


「眠れないのですね?」


 国王不在の時に内廷に呼び出されて、ジェニファーを抱いた。嫌いなのに今や女の身体の柔らかさと、肌の温もりが俺にはどうしても必要だった。ジェニファーは俺を胸に抱き寄せて子守唄を歌い始める。それが酷く心地いい。そしてそれで眠りに落ちることを俺は恥じた。








「なあ殿下。お前んちって旦那が嫁の尻に敷かれているのか?」


 陸軍省で内勤中、ランチの時間に俺はエリザンジェラに国王夫妻の普段の様子を伺ってみた。


「なんだ藪から棒に。そんなことはないぞ。母上は陛下を敬い尽くす淑女の見本のようなお方だ。傾国のように政治に口を挟むこともない。まさに国母たるにふさわしいお方だ」


 淑女は不倫なんてしないんですよ。言葉をぐっと飲みこむ。それに政治に口を挟まないというのも眉唾だ。伯爵暗殺作戦を俺に押しつけたのはジェニファーの手腕だ。あそこにいる全員を見事に掌で転がしてみせた。


「国母ねぇ。たしかにそういうカリスマはあるよな」


 俺たちが召喚された当初、家に返せと大騒ぎになったことがある。異世界転生がラノベでいくら流行ってても現実に起こればそうもなる。荒ぶる生徒たちに国王や大臣たちはオロオロしていた。だがジェニファーは違った。彼女は騒ぎの中心にいた浅見とその一派たちを一瞬で魅了して静かにさせたのだ。そのあとは彼らのチート能力が発揮されて、皆が異世界生活を楽しむようになり帰ろうという機運は起きなくなったが、間違いなく勇者一行を制御しているのはジェニファーの手腕に他ならない。今でも勇者の浅見はたまに王妃に謁見しているという。


「まあそれは当然だ。うちは尻に敷かれているわけではないが、母上の影響は大きい。もともと母上は女王になるはずだったのだ」


「え?そうなの?」


 あいつなら余裕でやれるだろう。


「母上は王室の家長だった。だが自分はそんな器ではないと辞退し、傍系の王族だった父上を婿に迎えて王に据えた。父上は善政を布いているので結果的にその判断は正しかったと思う」


 そんな事情がおありでしたか。実に納得がいく。国王はジェニファーの機嫌を損ねると王位を失いかねないわけだ。権威なき王。だから神経質だったんだな。


「だがそうだな。政治には口を挟まないのだが。私が覚えているだけで1回だけ口を挟んだことがある」


「1回?」


 回数が具体的なのがなんか怖い。


「ああ。だからよく印象に残っている。私が知る限りたった1回だけ口を挟んだ。お前が最初に特別強襲偵察隊を設立したときのことだ」


「あの時に?」


「ああ。実は軍部は兵士の出向を拒絶したんだ。将軍たちは猛反対だった。軍は勇者に協力はしても、その風下に立つことはない。我々は勇者たちの玩具ではないとな」


 ごもっともな意見だ。だが俺の要求はすんなり通った。どういうことだ?


「軍部は意固地になっていた。国王の命令も無視してきた。だが母上が一言『やらせてみてもよいのでは?』そう言った。それで兵士の出向が決まった。その後は実際にお前が大成果を上げたもんだから軍部は母上のことをさらに尊敬することになったのだ」


 俺は唖然とした。彼女の掌に転がされている自覚はある。だがそれは俺が自分で起こした行動の時点からそうだったのだ。ジェニファーはずっと前から俺に目をつけていた?ジェニファーが不倫関係に俺を追い込んできたのは、貴族女性のお遊びみたいなもんだと思っていた。自分で言うのもあれだが俺は顔が良くて、その上前人未到の成果を上げた英雄だった。王妃と言えども良からぬことを欲望してもおかしくはない。だけど前提が狂った。俺はジェニファーがこの関係に飽きるまでの付き合いだと割り切っていた。なのに俺が成果を上げる前から彼女はバックアップしていた。なんだこの言いようのない不快感は。


「だからだな。お前への叙勲を父上が嫌がったのは。母上の命令が結果として大功績を産んだのだ。女が政治的成果をあげれば男は面白くあるまい」


 違う。エリザンジェラは男の気持ちがまったくわかってない。男は女におねだりされて、仮に仕事で成果を出せばとても喜ぶような愚かな生き物だ。じゃなきゃキャバクラなんぞにおっさんたちが貢ぎにいくわけもない。国王が嫌な目で睨んでいたのは嫉妬だ。妻が他の男に期待を寄せてそれが果たされてしまったのだ。男のプライドはズタズタだろう。だから伯爵暗殺作戦の時も俺に命令しておいて、俺が拒否ったらすぐに引き下がったのだ。ジェニファーがいなければ国王は気分良く俺を見送ってくれただろう。


「お前の才能を見抜いていた母上はすばらしいレディだ。そう思わないか?」


 思いたくないです。だがいつ彼女は俺の才能を見抜いたんだ?いやいつ俺に目をかけた?俺は思い出す。ジェニファーと最初に目があった瞬間を。










 召喚されたばかりの俺はただただ状況に流されるばかりだった。ただレナオの手をずっと握っていたことだけは覚えている。そして俺たちに与えられたチートを判定する水晶の間に通された時だ。


「怖いよ。私もし役立たずだったらどうなるの」


 俺たちの番が回ってくるまでにすでにあらかたの上級職は出揃っていた。浅見は勇者となり有頂天になっていた。


「大丈夫だ。その時は俺がなんとかする。だから安心して」


 そう言って怖がるレナオを水晶の前に送り出した。ぎりぎりまで俺は傍にいた。水晶を挟んで向こう側にジェニファーがいた。彼女が水晶の制御を行っていたそうだ。そしてレナオは超上級職の【聖女】を引いた。レナオはホッとしたような顔をしていた。


「次の方。こちらへ」


 ジェニファーの甘い声が聞こえた。俺は水晶の前に立つ。ジェニファーと目が合った。彼女は微かに笑みを浮かべていた。


「まれびときたりて。おうじしいしたてまつれ。ああ、なんじりゅうりせよ。すさぶるたましいおもむくままに。まひとはめざめん」


「なんです?」


 古語みたいな雰囲気に翻訳されたので内容がよくわからなかった。


「なんでも。ではどうぞ手を」


 俺は言われるがままに手を水晶に置く。出てきたステータスは平凡。ジョブは最下級の兵士。そしてそのとき俺の手にいつの間にか斧が握られていたのだ。


「斧?なにこれ?」


 俺以外にも剣とか槍とか盾とかなんか煌びやかなチート装備を貰った奴らはいた。そういうやつらのステータス欄にはちゃんとチート装備として登録がされていたのを見ている。だけど俺のステータス欄には斧はなにも書かれていなかった。


「おいおいなんだよそのだせぇ斧はよう!木こりにでもなったか!」


 浅見一派の笑い声が響いてくるそれは伝染して生徒たちの笑いを誘う。そのうち俺のステータスが低いことに国王や大臣たちも気づいて彼らも笑いだした。だけどジェニファーだけが笑っていなかった。俺の斧をじっと見ていた。


「なんです?」


「なにも」


 彼女はすぐに視線を反らした。そしてこう言った。


「ただの斧ですわね。お大事になさってくださいまし」


 そう言って彼女は女官を呼びつけて、代わりに水晶の制御をやらせた。そして本人はまだ残りの生徒がいるのにもかかわらず水晶の間から出て行ってしまった。


「おい!お前がそんなうすぎたねぇ斧なんて出すから王妃様が下がっちまったじゃねえかよ!このFランが!」


 そう言って俺は殴られた。そしてそこで気絶してしまったのだ。














「なあこの斧どう思う?」


 俺は斧を召喚してエリザンジェラに見せた。


「ただの斧にしか見えん。特別な能力もないのだろう?」


「仰る通り。切れ味はいいけど。逆に言えばそれだけ」


 そしてステータスシステムにもこの斧は表示もされていない。もっとも俺はステータスシステム自体に懐疑的な立場をとっている。胡散臭いというのが印象だ。この世界の人間も、生徒たちも当たり前のように受け入れているが、俺にはステータスなんてものが何かの首輪か枷にしか思えないのだ。


「何を話しているんですの?」


「「うわっ?!」」


 気がついたらそばにジェニファーがいた。楚々として愛らしい笑みを浮かべている。周りの兵士たちも彼女をぽけーっと見ている。みんながジェニファーに夢中だ。


「令勅の斧について話していました。異世界人は超常の力を世界から与えられるはずなのにこの斧には何の力もないそうなのです」


「そうね。ただの斧ですもの」


 ジェニファーはなんでもないことの様に言った。だからこそ違和感を感じた。なぜそう断言できる?彼女はこの斧について何かを知っているのか?


「だが切れ味はよいのだろう?令勅。このステーキの肉少し硬いのだ。貸してくれ」


「ああ。いいぞ」


 俺は斧をエリザンジェラに渡そうとした。その時だった。


「触れるな婢女!!」


 ジェニファーが思い切りエリザンジェラの顔を張り飛ばしたのだ。エリザンジェラは床にうずくまる。顔を抑えてガチガチと震えている。それほどまでにジェニファーの顔は恐ろしい形相だった。


「それは卑しき穢れた女ごときが汚い手で触ってよいものではない!」


 なんだこの怒りようは。自分の娘だろう。なのになんでこんなただの斧に怒り狂うんだ。そしてジェニファーはエリザンジェラに近づき、その髪を引っ張り上げる。


「きゃあ!いたい!母上やめて!やめてください!」


「うるさい売女。わめくなさえずるなほえるな。分を弁えろ。お前は今罪を犯そうとした。わたくしに感謝なさい。お前があの斧に触れる前に止めてやったのだからな」


 そして手を放して床に倒れたエリザンジェラの背中をヒールのかかとで何度も何度も踏みつける。


「いたい!いやぁ!母上!お母さん!やめて!やめてよぉ!」


 エリザンジェラは泣きわめいている。だけどジェニファーはちっとも止まらない。俺は慌ててジェニファーを後ろから抱き寄せて止める。


「放して!この淫売は万死に値するのですわ!酌婦だって客の物には触りもしないのに!よくも!」


「いいからやめろ!おい!ぼーっと見てるな!殿下を遠ざけて医務室に連れていけ!!」


 俺は周りの軍人たちに指示を出す。駆けつけた彼らはエリザンジェラを抱えてジェニファーから遠ざける。そのまま食堂を出ていった。


「これはあなたさまのためでもあるのですわ!令勅さま!あなたさまがあんな汚らわしい女に御自ら罰を与えずにすむようにわたくしが代わりに罰したのに!」


「言ってることの意味がわかんねーよ!とりあえず落ち着け!斧はもう閉まった!だれにも触らせない!それでいいだろう!」


 暫くジェニファーは怒りの形相を浮かべていたが、すっと真顔になり。


「わかりましたわ。あなたさまがそうおっしゃるならあの売笑も許して差し上げますわ」


 ここで反論して機嫌を損ねても面倒なので俺は話を打ち切ることにした。ジェニファーは女官と護衛を連れて食堂を出ていった。残されたのは散らばった俺たちの食事だけ。


「お前の方が百倍ビッチだろうが」


 俺はそう呟くことしかできなかった。











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