マジックトレーダー

猫街ミミ

第1話 詐欺師

「なあ、あんた。この魔法は一体どんなことができるんだい?」

 剃ってない髭、小太りで恰好はみすぼらしい男が俺のテントの中でそう訊ねてきた。

 密室に近いこのテントではろくに風呂に入ってないであろう男の体臭が充満し、鼻でまともに呼吸ができない。油断して鼻で吸い込んだ時には強烈な酸っぱい臭いが鼻を刺し、胃液が暴れ散らかす。

 けれど、彼はお客様だ。俺の魔法を買いに来たお客様。お客様を目の前に吐くなぞ言語道断。その気持ち悪さを顔に出すのもNGだ。

 俺は、口で大きく息を吸いこみ、覚悟を決める。

 これは商談だ。待ちに待った商談だ。

 ベルダンにやってきて初めてのお客様だ。粗相を犯そうものなら、この街で商売なぞもう不可能だろう。

「お客様、お目が高い。これは遺跡魔法と呼ばれるものです」

「遺跡魔法?」

 男、もといホームレスは欠けた歯を覗かせながら首を傾げた。

「知りませんか?遺跡魔法」

「知らんな。俺は生活に役立つ魔法が欲しいんだ」

 ホームレスはそういって右腕を伸ばしてみせた。

「見てみろ、この力を」

 ホームレスは伸ばした右腕にグッと力を込めた。腕には血管が浮き出、汗が流れ始めた。そして、みるみるうちにその汗がドロドロとした粘性のある液体へと変わっていった。色は透明から緑へ。その緑の液体は遂に右腕全体を覆い尽くし、あまりにあまった液体はボタボタと床へと落ちていった。

 突如として床に落ちていた液体がジューっという音と共に蒸気を上げ始めた。俺はその音につい驚いてしまい、「おわっ!」と声を挙げてしまった。

「どうだ、知っているかこの魔法」

 蒸気が晴れると、そこにあったはずの液体は消えていた。残ったのは所々に空いた穴と焦げた跡であった。

 ああ、と俺は冷静にその魔法を判断した。

 俺はこの魔法を知っている。昔、親方に教えられたものと性能が酷似している。

 コホン、と息を払い俺はホームレスに向かって問うた。

「毒魔法ですね?」

 ホームレスは一瞬驚いた顔をした後、「そうだ」と答え頷いた。

「いやー、私初めて見ましたよ、毒魔法。いや、これは強烈。たった数滴であるのに、これほどの威力を誇るとは。お客様もさぞ自慢の魔法でしょう」

「いや」

 とホームレスは首を振った。

 そしてホームレスは沈んだ表情をしたまま、俯いてしまった。

「……何か嫌なことでもあったのですか」

 背格好、体得している魔法、体臭。これだけのピースが揃えば、何があったのかは想像に難くない。けれど、俺は彼自身の言葉を聞きたかった。彼がどう思い、どう苦しんできたのかを知りたかった。

「無理にとは聞きません。ただ、お辛いことがあったのでしょう。その気持ち、私にはわかります。同じようなことが私にもありました。数年前、たまたま商人から買った魔法を体得した結果1年間ずっとトカゲの姿になってしまいました。騙されたのです。ドラゴンになれる魔法だなんて言われ、ろくに試しもせず買ってしまった。私はそれで当時の仕事を辞めざるを得なくなりました。人々からは後ろ指をさされ、明日を生きるのも難しい日々でした。きっとあなたもそういった人生を送ったのでしょう」

 俺は、自分で言って悲しくなり、涙が溢れてしまった。

 ホームレスは顔を上げ、俺の顔をじっと見た。それは仲間を見る目。同類を見る目であった。

 ホームレスも少し涙ぐむと、1つ咳払いをして語り始めた。

「俺も同じようなもんだ。この毒魔法は元々香水魔法として売られていた。ひとたび発動すればフローラルな香りが立ち上り、異姓を魅了すること間違いなし。そう言われて俺は買ってしまった。その結果がこれだ。やれ臭いだの、やれ気持ち悪いだのと散々な言われようだ。女房と娘にも逃げられ、職も半ば追い出されてた形で辞めてしまった。クソ、俺はただ女をいろんな女を抱きたかっただけなんだ!チクショウ!」

 ホームレスは途中から叫ぶようにまくしたてた。俺はその話をうんうんと頷きながら聞き届けた。

 数十分にわたる彼の後悔はさぞ辛いものだったのだろうと察せられた。

 だから、俺は彼を救いたい。そう純粋に思えた。

 なら、俺ができることはただ一つ。

「お客様、あなたの後悔を消すことが私にはできます」

「ほ、本当か?」

 ホームレスは目を輝かせながら、俺の目を覗く。

「ええ、私にならできます。いえ、私の今の仕事にならできます」

「仕事?あんた魔法商人じゃないのか?」

 俺はふっふっふ、と笑う。

「いえ、魔法商人ですよ。ただ、金銭による売買以外にも私は取引を行えるのです」

「き、金銭以外にもか!」

 ホームレスは勢いよく立ち上がった。その拍子に、低いテントの天井に頭を打った。ちょうど金具に当たったようで、「いてて」と頭を擦りながら座り直した。

「ええ、私が今こうして新たな職につけた理由にも繋がります。そうですね、お客様は時折こう思ったことはないですか。ああ、あの魔法とこの魔法が交換できればなと」

「なに?」

「お客様の毒魔法を生活を豊かにできる水魔法に交換できればなという話です」

「……できるのか?」

 ホームレスはごくりと生唾を飲み込んだ。

 俺はその興味津々と書かれた顔に対して満面の笑みで答えた。

「はい、それが今の私の魔法。今の私の職業です。その名もマジックトレード。単純な名前でしょう?」

 ホームレスはぶんぶんと首を振った。

「いや、なんて魅力的な名なんだ。素晴らしい魔法だ。俺が欲しいくらいだ」

「申し訳ありません、このマジックトレードは私の商売道具。譲るわけにはいきません」

「そんなことはわかってる。あんたから奪うようなマネはしないよ。ただ、ほら、本当にできるのならやってくれよ!」

 ホームレスはもう一度右腕を伸ばし、毒を生成していった。

「この呪いを解いてくれよ!」

「ええ、もちろん。しかし、その前にお客様が欲しい魔法を選んでほしいのです。おい、カオリ」

 カオリと呼ぶとテントの裏から黒い踊り子衣装に身を包んだ美しい女がおずおずと現れた。手には3個の巻物を手にしており、そのどれもが少しカビの生えた古い布でできていた。

 ホームレスは突如現れた美女に目を奪われていた。

 ホームレスとカオリの目が合ったのか、カオリは微笑をした。ホームレスはその表情にどうやら悩殺されたらしい。「ウッ」といううめき声が俺の耳元に届いた。

 俺はその巻物を受け取ると、「行け」とカオリの耳元で囁いた。

 カオリはまた微笑を見せ、テントの裏へと消えていった。

 俺は受け取った巻物を広げてみせた。

 広げられた巻物には竜や妖精といった神秘生物が描かれていた。

「これは先ほどお話した遺跡魔法についての巻物です。まず、遺跡魔法についてざっくりと紹介しますと、かつて存在した世界を支配した超魔法大国が作り出した現代では再現できない魔法。それが遺跡魔法です。そして、この巻物自体こそが遺跡魔法があり、ひとたび振るえばほらこの通り。リトルドラゴンが召喚されるのです」

 そう言って俺は巻物を巻き直した後、もう一度広げた。

 すると、そこには先ほどまでいなかったリトルドラゴンの姿がそこにあった。

 リトルドラゴンは大きく口を開け、ホームレスに威嚇をしてみせた。しかし、その手のひらに乗ってしまうほどに小さい身体から発せられるものは恐ろしさよりも愛らしさが勝っていた。

「な、なんだいこの魔法は…!」

 ホームレスは驚いた表情でまじまじとリトルドラゴンを見つめた。

「これが遺跡魔法の1つ。召喚魔法です。今回は安全を考慮してこのリトルドラゴンを召喚しましたが、この魔法は他にも召喚ができるのです。特に目玉の召喚はなんと言っても、かつて一国を滅ぼしたとされる竜、ヨルムンガンドを召喚できることにあり……」

 と言ったところで、ホームレスは俺の手を握った。

「あんた、俺のこの毒魔法とこの召喚魔法を交換してくれるっていうのかい!」

「ええ、そうです」

 ホームレスは顔を輝かせながら言った。

「これにするよ!」

「よろしいのですか。他にも遺跡魔法はあるのですが……」

 ホームレスは首を振る。

「これでいい!俺はこれで人生を取り戻すんだよ!」

「わかりました。それでは、トレードを開始します。右腕を差し出してください」

 ホームレスは何の疑いもなく右腕を差し伸ばした。

 俺はその腕を取り、巻物を取った。

「いきますよ」


「じゃーなー!達者でな商人さん!」

「またのご来店をお待ちしております」

 俺は深々と頭を下げて、ホームレスを見送った。彼の姿が見えなくなるであろう時間まで深々と。

 どれくらい長いこと頭を下げていたであろう。そう思った時、「おい」と声をかけられ、俺は頭を上げ、声の主に顔を向けた。

「カオリ」

 そこにいたのは先ほどまで黒い踊り子衣装に身を包んでいた美女、もとい俺の相棒であった。

 名をカオリ。黒く長い髪が特徴的な美女。先ほどまで着ていた衣装はもう脱ぎ捨てられており、今は黒い外套に身を包んでいた。

「上手くいったのか?」

 そう言ってカオリは懐から取り出したタバコをふかし始めた。

 フー、と一息吐き終えた後俺は彼女の疑問に答えた。

「ああ、もちろんだ。ちょろすぎて笑いをこらえるのが大変だったよ」

 俺は先ほどまで遺跡魔法を封じていた巻物を取り出し、彼女に見せた。

「そん中にさっきの毒魔法が?」

「ああ、そうだ。あのおっさん、この魔法の有用性について全く知識が無いらしい。この魔法1つで10年は食っていけるぞ」

 俺は試しに巻物を振るってみせた。

 布地からは先ほど見た緑の液体がドロドロとこぼれだし、地面に落ちていった。落ちた液体は同じように地面を溶かし、そして蒸発していった。

 カオリはその一連の流れをタバコを吸いながらつまらなそうに眺めていた。

「あっそ、じゃあさっさと帰ろう。バレる前に消えるぞ」

「バレる?」

 俺は首を傾げて見せた。

 カオリは俺の表情を見て、「ハァ?」と言った後に続けて言った。

「あ?さっき渡した魔法、あれただの蟻を一匹召喚する魔法だろ?」

 俺は即座に答える。

「そうだよ」

「それならヤバイだろ、すぐにバレる」

 ああ、と俺は納得した。

 どうやらカオリはあのおっさんが手にした魔法をすぐに試し、偽商品を掴まされたと怒るのじゃないかと不安なのだ。

「大丈夫だよ、あのおっさんは怒らない」

「どうしてだ」

「だって、彼の目的は達せられてるじゃないか」

「はあ?」

「そうだろ、彼はこの毒魔法を手放したかった。偽商品を掴まされて怒ったところで、返ってくるのはこの毒魔法だ。呪いとまで言ったこの魔法と蟻を一匹程度しか召喚できない魔法、どっちが彼にとって幸せかは一目瞭然じゃないか」

「はあ、おっさんカワイソ」

「どうして」

「呪いを捨てられたどころか、遺跡魔法を手に入れて人生一発逆転。最高の日だ!しかし、彼は騙されました。人生逆転なんかできず、より下級の魔法を手に入れただけ。怒ろうにもまた呪いが返ってくる可能性があるから、怒れない。人生最悪の日だね」

「簡単な手品に騙される方が悪い」

 そう言って俺は胸ポケットにしまったペットのトカゲことサラマンちゃんの頭を撫でた。

「いい演技だったぞ、サラマンちゃん!」

「全くいい趣味してるわ、このマジックトレーダー」

 カオリはやれやれと言って、ふかしていたタバコの火を消し、投げ捨てた。

「ただのマジックトレーダーなんかじゃないぞ、天才詐欺師マジックトレーダーのジャックスと呼んでくれ」

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