第4章 お弓と巳之吉①

 呉服問屋の主人には、『お弓』という娘がいた。母親は早くに亡くなっており、主人は、このひとり娘に婿養子を迎えて跡を取らせようとしていた。大名家とつながりを持ちたい主人は、婿養子をその関係筋から世話してほしいと、下村に依頼したようだ。

「それじゃあ、そのために、おうめを人身御供ひとみごくうに差し出すってのか!?行儀見習いなんて言やぁ聞こえはいいが、ていの良い妾じゃねぇか!!戻って来られる保証なんてねぇ!!そんなの承知できるわけがねぇだろが!!」

歳三は憤慨した。うめも、まさか自分がそのような立場になっているとは知らなかったので表情をこわばらせた。

「だから、早く旦那様にあんたたちのことを話して、許しをもらいなって言ってんだよ。話が進んでからじゃ、なんにも聴いてもらえないよ!」

女中頭の言うことはもっともだった。歳三とうめは、明日にでも主人にふたりのことを話そう、と決めた。


 その夜のことであった。うめは、厠の前でうずくまっているお弓を見かけた。

「お嬢様、どうかされましたか?」

声をかけると、お弓は驚いたようにうめを見た。

「な、なんでもないわ。向こうに行ってちょうだい!」

お弓は言ったが、その顔色が悪いことにうめは気がついた。

「でも、お顔の色が……誰か呼びましょうか?」

「大丈夫よ!少し休んでいれば良くなるから!おうめちゃんはまだ片付けがあるでしょう?早く行って……!」

そう言いかけた途端、ウッと口元を抑えて後を向いた。その瞬間、うめは全てを理解した。

「お嬢様、こちらへ。下働きの部屋で申し訳ございませんが、今は誰もいませんので」

うめは自分の部屋にお弓を連れて行った。

「帯を緩めて、楽になさってください。大丈夫。皆さん、お風呂に行かれて、しばらく戻ってきません」

うめはお弓をくつろがせ、暖かい白湯さゆを出した。

「こういうときって、かえって味のないほうが落ち着きますでしょ?ゆっくりと飲んで下さいね」

お弓は、うめの出した白湯を口にいれると、ゆっくりと飲み込んだ。

「気づいたのね、私のこと……だからつれてきてくれたんでしょ?」

「お腹に、ややがいるのですね……?」

うめが優しく聞くと、お弓は頷いた。

「お願い!お父っつぁんには黙ってて!」

お弓は、手を合わせて、うめを見つめた。

「……でも、お嬢様の身体が心配です。ちゃんとお医者に診てもらわないと……」

うめが心配そうに言うと、お弓は、

「大丈夫よ。今まで誰も気づいてないんだもの。あと少し、あと少し待って、あの人が手代から番頭になることができれば……」

と言った。うめはその言葉に少し動揺した。歳三も手代の身分だったからだ。うめの顔をみて、お弓はクスッと笑った。

「おうめちゃんたら。いやぁね、歳三のことじゃないわよ。もう、すぐ顔に出るんだから……正直ね」

それを聞いてうめは顔を赤らめた。

「ふたりのことは聞いてるわよ。歳三もやっと想いがかなったみたいで良かったわね」

「え?あ、あの……」

「もうわかったでしょ?そうよ。お腹の子の父親は、巳之吉みのきち。あんたたちのことは、巳之吉から聞いてたの」

巳之吉というのは歳三と同じ手代の仲間だった。丁稚奉公から始めた、真面目一途な若者だ。この春には、番頭に格上げされるかもしれないという話が上がっていた。お弓は、巳之吉が番頭になったら、ふたりのことを父親に認めてもらおうと考えていたのだ。


 だが、お弓のその計画はうまく行かなかった。元々、親が決めた相手でもなければ、主家と奉公人との婚姻が認められるほど自由な時代ではない。翌日、主人がお弓に婿養子の話をし、お弓がそれに反抗したことから巳之吉との関係がばれて、巳之吉は解雇されることになった。主人は激怒し、お弓は部屋に閉じ込められた。そのため歳三とうめは、自分たちの話を主人にするどころではなくなってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る