第2章 再会

 うめがその侍に再会したのは、それから数ヶ月経った春の盛りだった。

「おうめちゃん、旦那さまが呼んでるよ」

と女中仲間が声をかけてきた。うめが振り返ると、その女中は声をひそめ、

「あんた、歳三に、早く旦那さまに報告するように言ったほうがいいよ。そうでないと、旦那さまはあんたの嫁ぎ先を見つけて来ちまうよ!」

と言った。うめがキョトンとしていると、女中は付け加えた。

「身なりの良いお武家さまだよ。あんたを縁付けようとしてるに決まってるよ」

女中がそういうのには、理由があった。


 この呉服問屋の主人は、かつて将軍家御用達であった頃のような繁栄を望んでいた。そのためには、有力な大名家と繋がりを持ちたいと思っていることを、古株の奉公人たちは知っていたのである。

「なんでも、水戸様のご家来らしいよ」

とその女中は言った。水戸様とは、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家(水戸藩)のことである。


 うめが武家の娘であることは、主人以外は知らなかった。主人の旧友の娘、ということで奉公にあがり、下働きをしていたのだ。うめは器量も良かった。そのため、奉公人たちは、うめがいつか、商売のために主人に利用されるのではないかと心配していたようだ。


 「うめでございます、旦那さま」

部屋の外で、うめが言うと、

「ああ、おはいり」

という声がした。主人はとても機嫌がよさそうだ。女中の言っていたように、自分をこの『水戸様のご家来』に嫁がせようとしているのだろうか?うめは自然と顔がこわばった。


 ふすまを開け、うめは頭を下げていた。

「この娘が、うめ、でございますが……本当にこの娘がお武家様をお助けしたのですか?」

主人の言葉に、うめは少し顔を上げた。すると、相手はうめの顔を見て答えた。

「うむ。間違いない。数人の賊に囲まれて、追われていたところを、うめどのの機転で救われた。あのときは世話になった」

「あ、あなたは……!」

思わず声が出ると、主人はあわてて、

「これ、ご無礼だぞ!」

とうめの方を向き窘《たしな》めた。その後ろで、相手の武士が口に指をあて、

(話すなよ)

と合図したのがわかり、うめは黙った。あの時の汚れた身なりの侍が、まるで別人のようだ、とうめは思った。


 「こちらは、水戸藩士、下村さまとおっしゃる」

と主人は言った。

「水戸藩郷士、下村嗣次しもむらつぐじである。殿が御登城されたので、その供の一人として参ったのだ」

とその侍は言った。

「これは、いつぞやの礼だ。梅の実を使った菓子だ。老公、斉昭なりあきさまが造らせた庭園に植えてある梅から作ったらしい」

と侍は、菓子の箱を差し出した。店主は頭を下げ、

「これはもったいないことでございます。お気持ち、ありがたく頂戴いたします。これ、おうめ、おまえもお礼を申し上げなさい」

と促した。うめも

「ありがとうございます、下村さま」

と頭を下げた。店主はそんなふたりをみてニヤッと微笑むと、

「私は店に顔を出しますので少し失礼いたします。おうめや、しばらくお相手を頼みますよ」

と部屋をあとにした。


 しばらくの沈黙の後、

「驚いたか?」

と下村が聞いた。うめは、

「まさか、水戸様のご家中の方とは存じませず、その節は失礼いたしました」

と素直に言うと、下村は

「……ふん、今はあくまでも数合わせのうちのひとりだ。だが、そのうち水戸は必ず俺を必要とするようになる。水戸だけでなく、この日の本がな」

と言った。


 当時の水戸藩は、隠居しているとはいえ、老公、徳川斉昭の影響は大きく、尊王攘夷の気風が強かった。斉昭公は下士層からも広く人材を登用しており、藩校である弘道館や、郷校などで水戸学を学んでいる若者は多かった。

「下村家は元は神職だが、郷士と養子縁組することで、郷士の格に扱われたのだ。俺が養子に入ったお陰でな」

と下村は言った。

「ご老公は、身分を問わず秀でた者を用いる。今は郷士だが、俺は必ず藩を動かす側となる。近い内に……!」

うめは、そんな下村を見ながら、

「やっぱり、似てらっしゃる」

とクスッと笑った。

途端に下村は、以前に見せたような不快な表情を浮かべた。

「ご、ごめんなさい!……おこころざしをお話しになる、下村様のお目がきらきらして、あの人によく似ていたので……お気を悪くされたのなら、お詫びいたします。お許しください」

と、うめは慌てて頭を下げた。

「『あの人』とは、以前話していた男だろう。その男と、想いは遂げたのか?」

下村は意地悪く聞いた。うめは顔を赤くして、

「そ、それは……」

と下を向いた。

「……無礼な女だ。俺の前で他の男の話をするとは」

ちっと舌打ちすると、下村は立ち上がった。

「も、申し訳ございません!そんなつもりでは……どうか、ご機嫌を直してくださいませ……!」

うめは思わず平伏した。下村はそれを見ると、ふんと笑って、小声で言った。

「また来る。お前の顔を見に」

 

 

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