対馬の恐怖――蒙古襲来の影
九州の有力大名たちとの協力を取り付けた湊たちは、次の目的地として対馬に向かうことを決定した。対馬は日本において最も外敵に近い位置にあり、モンゴル軍の侵攻を受けた際には、その第一の標的となる地だった。湊はこの島の領主である宗(そう)家を訪ね、協力を得ようとするが、宗家は元寇での蒙古襲来に深く傷つき、その恐怖を未だに引きずっていた。
対馬に到着した湊と時宗は、島全体に漂う異様な沈黙を感じ取った。かつて元寇の際、この島はモンゴル軍の侵攻により壊滅的な打撃を受け、多くの命が失われた歴史を持つ。その記憶は島の住民たちに深いトラウマを植え付け、島中で「むくりこくり」という言葉が囁かれていた。「むくりこくり」は蒙古襲来の恐怖を象徴する民俗語彙であり、子供たちを怖がらせるためにも使われている。島の者たちは、この言葉が示す恐怖にまだ囚われていた。そして、島の村々では、最近再び蒙古襲来の噂が広まり、住民たちは『むくりこくり』と口々にし、島外から人が訪れると村人たちは家々に籠り、恐れからか目を合わせようとしないようである。
「むくりこくりか……」
湊は、その言葉に込められた恐怖の深さを実感した。
「対馬の者たちは、まだあの元寇の恐怖から逃れられていないようだな……」
時宗も低くつぶやき、湊は静かに頷いた。
湊たちは、対馬を治める宗義調(そう よししげ)の屋敷へと向かった。宗家は、義調自身の代であってもその誇りを強く持ち、対馬の防衛に尽力してきた。義調は「乙卯の倭変」において朝鮮に協力し、倭寇の討伐に成功した実績を持つ。しかし、彼が勇猛な領主であっても、元寇に対する恐怖は特別だった。元寇では圧倒的な戦力差により対馬は徹底的に破壊され、島の住民たちが蹂躙された記憶が宗家を縛り続けていた。
義調が湊たちを迎える部屋に通された時、彼の顔には戦士としての緊張感と、内に秘めた恐怖の影が見て取れた。義調は落ち着いた声で湊と時宗に問いかけた。
「蒙古が……再びやってくるのか?」
その声には、かつての戦いで失ったものへの深い悲しみと、再び立ち向かうことへの恐怖が滲んでいた。彼の心の中では、過去の悪夢が蘇り、再び島を守るための決意と葛藤が交錯していた。そして、義調は自分の代で再び対馬が標的になることを恐れていた。元寇の際、宗家はモンゴル軍と対峙し多くの家臣と領民を失った。その記憶が宗家の中で代々語り継がれてきたのである。
「元寇のとき、我らはすべてを失った。この島はもう二度とあのような悲劇には耐えられぬ……」
義調の言葉には深い苦悩が滲んでいた。しかし、彼がただの臆病者ではないことを湊は感じ取った。彼の内には、対馬を守るための覚悟が隠されているのだ。
義調の言葉に耳を傾けながら、湊は静かに語りかけた。
「義調殿、その恐怖は理解できます。元寇の時の対馬がどれほどの被害を受けたか、私も学んでおります。しかし、だからこそ今、貴殿に再び立ち上がっていただきたいのです」
湊の声は、深い決意に満ちていた。過去の出来事に囚われている義調に、未来を切り開くための勇気を持たせようとしていた。
「今回、我々は無防備に待つわけではありません。我々は九州の大名たちと連携し、蒙古に対抗するための策を練っています。対馬はその要です。ここでの防衛が崩れれば、日本全土が危機にさらされるのです」
義調は湊の言葉を理解しつつも、過去の苦悩と現在の状況に心を引き裂かれていた。
その時、突然、部屋の空気が一変した。義調の脇に控えていた若い女性が静かに立ち上がり、湊と時宗に向かって一礼した。その姿はまるで、嵐の前の静けさのように、鋭く研ぎ澄まされていた。
「お初にお目にかかります、結城湊殿。私は宗紅蓮(そう ぐれん)、かつて対馬国の地頭代であった宗助国の娘です」
義調は驚愕の表情で若い女性を睨む。
また、その名を聞いた湊も驚きに目を見開いた。
「宗助国……元寇で対馬を守ろうとしたあの宗助国の娘……」
時宗もその名を聞き、静かに紅蓮を見つめた。
「宗助国……かつて対馬の地頭代として蒙古軍に立ち向かい、奮闘した男だな。その娘が、今ここにいるとは……」
紅蓮は毅然とした態度で説明を続けた。
「父は元寇の折、対馬の防衛に尽力しましたが、あの戦で全てを失いました。しかし、私は父の無念を晴らし、この対馬を守るためにこの時代に現れました。蒙古の脅威に立ち向かうために」
湊は紅蓮の言葉を聞き、心の中で疑念が膨らむ。
(宗紅蓮などという名は一度も聞いたことがない。ということは、もしかして新武将……なのか? 史書に名を残さない者が何人も現れるとは……しかし、この目の鋭さ、真剣さは作り物ではない……そんな気もする)
時宗は、紅蓮の言葉を静かに受け止めつつ、彼女の決意に何か共鳴するものを感じていた。かつて自分も蒙古に立ち向かったが、今この若き戦士が同じ決意を持っていることに、時宗は静かな誇りを抱いた。
「なるほど……父の無念を晴らすため、時を超えて現れたか。その覚悟があれば、この戦も勝ち抜けるだろう」
義調はそんな紅蓮を親戚の娘として迎え入れており、紅蓮には元寇のことを決して語らないように厳命していた。しかし、紅蓮は既に義調に蒙古襲来の危機を告げており、義調自身も心の奥底でこの予感を共有していたのだ。
義調は紅蓮の強い眼差しを受け止め、心の中で激しく葛藤していた。元寇の悪夢は未だに彼の心を苛み、彼を縛りつけていた。
その夜、義調は夢の中でかつての戦いを再び体験する。夢の中では、元寇の際にモンゴル軍に対して果敢に戦い命を落とした宗助国とその家臣たちが現れる。そして、彼らの無念を感じた。目が覚めた義調は、過去の恐怖を乗り越え、再び立ち上がる決意を固めるのだった。そして、紅蓮の元を訪れその決意を伝える。
「……紅蓮よ、お前の言う通りだ。もう一度、この対馬を守るために、私は立ち上がらねばならぬ」
義調は静かに紅蓮を見つめ、彼女の意思を感じ取っていた。
紅蓮は毅然と答えた。
「はい、叔父上。蒙古の脅威を前に、今こそ我々は立ち上がる時です」
こうして、紅蓮の登場によって、対馬はかつての元寇の影を乗り越えるために動き始める。義調もまた、かつての恐怖を押し殺し、島を守るための戦いに再び身を投じることを決意するのだった。
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