初めての戦場
湊は冷たい風に身を縮めながら、馬上で小さく震えていた。灰色の空から降り注ぐ冷たい雨が彼の頬を打ち、身体をじんわりと冷やしていく。馬の息づかいが荒くなり、蹄が泥に沈み込むたびに鈍い音が響く。彼の目の前には、泥にまみれた兵士たちが小高い丘をにらみつけている。湊は、自分の手が武者たちのように震えていないか確かめるように拳を握りしめた。冷たい雨は、ただでさえ緊張で高ぶる神経をさらに研ぎ澄ませていた。
(これはゲームじゃない……本物の戦だ。ここでの失敗は、命取りになる)
ゲームで何度も見たことのある戦場。しかし、実際にその場に立つと、その重圧は計り知れなかった。冷たい雨が湊の服に染み込み、現実の冷酷さを突きつけてくる。
(これはゲームじゃない……本物の戦だ)
湊は心の中で、父が教えてくれた戦術を思い出していた。「冷静であれ、常に相手を観察し、最善の手を打て」――その言葉が、今の湊を支えていた。彼が最初に考えなければならないのは、敵の状況を知ることだった。戦場に立つ以上、勝利に導かなければならない――そのためには、まず敵を正確に把握する必要があった。
「片倉正行(かたくら まさゆき)、敵について教えてくれ」
湊は、信長から補佐役として派遣された若き武将・片倉正行に尋ねた。正行は湊よりも若いが、信長の下で幾度も戦を経験している。彼は短く頷き、湊に敵の情報を伝えた。
「敵は斎藤道勝が率いる百人ほどのゲリラ部隊です。道勝は小部隊を率いて山中を拠点にしており、信長様の軍に奇襲をかけています。彼らは数こそ少ないものの、地形を利用した戦術に優れ、正面攻撃には向いていません」
「斎藤道勝……?」
湊はその名前にひっかかりを覚えた。斎藤家と言えば、斎藤道三や斎藤義龍がすぐに思い浮かぶ。しかし、「斎藤道勝」という名前には聞き覚えがなかった。歴史に詳しい湊でも知らない名前が登場することに不安を覚えた。
「……それにしても、斎藤道勝という武将は聞いたことがないな。彼は、どんな人物なんだ?」
湊の問いに、正行は少し考えながら答えた。
「彼の姿を見た者は、皆不気味だと口を揃えています。源平時代の武将のような古風な鎧を身にまとい、兜はまるで異国のものを思わせる異様さ。時代を超えて現れた亡霊だという噂さえ立つほどです。特に、彼の周りには常に冷たい風が吹き、近寄る者は肌を刺すような寒さを感じると言います……まるで、ただの人間ではないような」
湊はその言葉に息を呑んだ。亡霊――この戦場に、そんな非現実が関わっているのだろうか?彼の頭の中には、ゲームの世界が現実のものと混ざり合っていく奇妙な感覚が広がっていた。
「源平時代……もしかして」
湊は胸に違和感を覚えた。源平時代の鎧兜――それは、戦国時代とは全く異なる時代の装束だ。斎藤道勝が、あえてそんな古風な装束を選んでいる理由は何なのか? 湊の頭に、ゲーム内の新武将や架空武将の姿がよぎった。
(斎藤道勝は、もしかしたらゲームの新武将……?いや、それだけでは説明がつかない)
湊の中で、史実と目の前の状況がかみ合わない。彼の知る歴史には「斎藤道勝」など存在せず、もしこれがゲーム内の新武将であるなら、さらに不自然な点が多すぎる。だが、湊はまだ答えを見つけられなかった。
「それに、斎藤道勝の部隊には、妙な点があります。それは、敵兵の中に奇妙な戦い方をする者が混ざっているとのことです。彼らは矢を放ち、すぐに退却する――奇襲を繰り返すことで、こちらを消耗させようとしているようです。まるで、昔あった元寇の蒙古軍を彷彿とさせるような戦い方だと…」
「元寇? 蒙古軍の戦い方……?」
湊の脳裏に、ゲームの設定と現実の史実が混ざり合った世界が浮かび上がった。モンゴル帝国、それはゲーム内での最大の脅威であり、歴史上でも強大な帝国だ。しかし、単なるタイムリープで、日本の戦国時代に来たのだとしたら、この時代のモンゴルが日本に兵を送り込むような力はない。もし斎藤道勝がモンゴル軍と関わっているとすれば、彼の存在はただの架空武将ではない可能性が高い。
(もし、この「斎藤道勝」がゲーム内の架空武将や新武将だとすれば、この世界は単なる歴史の再現ではない)
湊の疑念は深まり、目の前の戦場がますます不気味なものに見えてきた。
「……とにかく、時間がない。敵のことはわかった」
湊は深呼吸をして、戦場に集中することにした。斎藤道勝の戦術を知った今、次に考えなければならないのは、どうやってこの戦を勝利に導くかだ。ここでの成功が、元の世界に戻るための鍵になるかもしれない――その思いが、湊の決意をさらに固めた。
「正行、信長様からの命令は?」
「信長様は、まず偵察を命じられています。我々は正面攻撃は避け、斎藤道勝の出方を探りつつ、彼の弱点を突くよう指示されています」
湊は頷いた。まずは斎藤道勝の戦術を見極めることが最優先だ。無理に攻め込むのではなく、慎重に策を講じる必要がある。湊は荒れる心を抑えつけながら深呼吸をし、戦場全体を見渡した。
「正行、今は焦るべきではない。まず少数の部隊を動かし、敵の出方を見極める。釣り野伏せだ。」
正行は一瞬、湊の言葉に疑問を抱くように眉をひそめた。
「釣り野伏せ、ですか……?」
「そうだ。敵にこちらが退却したと思わせ、その隙に伏兵を使って逆襲する。今は無駄に正面から攻めるべきじゃない。山岳地帯での戦闘は、地の利を生かすべきだ」
湊は言葉を続けながら、自らの考えが正しいかどうかを探るようにしていた。ゲームで何度も成功してきた戦術だが、ここでは命がかかっている。だが、この策しかない――その確信が、彼を冷静にさせていた。
「……なるほど。道勝は奇襲が得意ですから、我々が攻撃を退けられたと思い込むでしょう」
湊は冷静に判断を下し、部隊を動かすことにした。まずは少数の部隊を派遣し、斎藤道勝の動きを観察する。そして、敵が予想しないタイミングで奇襲をかける――それが湊の立てた「釣り野伏せ」の作戦だった。
戦場が動き出した。湊が送り込んだ部隊は、予想通りに斎藤道勝の部隊から攻撃を受け、退却を装う。斎藤道勝の軍は、湊たちが混乱して逃げ出したと思い込み、追撃を開始する。しかし、その背後には湊が潜ませた伏兵が隠れていた。
「今だ、伏兵を出せ!」
湊の号令とともに、伏兵が一気に斎藤道勝の軍勢を奇襲する。敵軍は混乱に陥り、次々に撃破されていく。正行の部隊も追撃を加え、斎藤道勝の部隊は完全に崩壊した。
湊は戦場の静寂を取り戻した大地に視線を落とした。初めての指揮は成功したはずだった。だが、心の奥底に残る不安と疑念が消えることはなかった。
「斎藤道勝……一体、何者なんだ?」
古風な鎧兜、そしてモンゴル風の戦術。彼の存在は、湊が知っている歴史の枠を越えている。もしこれがゲームの中の設定なら――そう、今の湊はその考えを拭い去ることができなかった。
「この世界は、俺が知っている歴史とは違う。ここには、何か大きな秘密が隠されている……」
その不安を胸に抱えたまま、湊は次の一手を考え始めていた。
(やっぱり、ただの戦国時代じゃない。この世界は、俺が知っている歴史とは何かが違う)
勝利の余韻に浸る間もなく、湊はこの世界に潜む「異常さ」に気づき始めていた。
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