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死人が誰かを殺しにくる。

死人には絶対に怨まれるな。


――このところ巷では、そんな噂話が出回っていた。



「遅いな……」


あれから30分以上、テラスの外で警察が来るのを待っていた。

本当は早くこの場から立ち去りたかった。

テラスの方を見ると、まだあの光景が目に浮かんできて、吐き気がして思わずうつむく。

聖はあれからずっと、俺の腕にしがみついたままだ。

辺りがざわつき、スーツの男が何人かがこちらに向かってくる。

作業着みたいな服をきた人達が、テラスの中に入って行った。

警察関係者だろう。

手帳を見せた男性刑事が、その場に残っていた人たちに言う。

「まず、従業員の方、お話を伺いたいのでこちらに来て下さい」

これから、順番に聞き取りが行われるらしい。


「……聖、大丈夫か?」

心配して声をかけると、聖はキュッと腕にしがみつく。

その手が、ガタガタと震えていた。

「咲、聖っ!!」

騒ぎを聞きつけて、棗と双葉が慌ててテラスに駆けつけた。

「海老ちゃん、聖ちゃん、大丈夫?」

双葉が聖に声をかけるが、やはり返事はなかった。

その様子を見ていた棗が、


「聖……まさか……」


顔を上げた聖は、大きくうなずいてみせる。

ふたりのそのやりとりを見ても、意味がわからなかった俺と双葉が問いかける。


「棗、聖、どうした?」

「何かあったの?」


そのとき、その場へ来た女性刑事が声をかけてくる。


「そちらの生徒さんもお話を伺いたいので、来てくれますか?」

事件を目撃していない棗は双葉とその場に残り、俺は聖を連れて校舎へ向かった。


校内は異様な雰囲気で、どこもかしこもザワザワと騒がしかった。

「本当は一人ずつで」と言われていたが、聖は話せる状態ではなかったため、俺も一緒に聞き取りを行うことになった。


廊下で順番を待っていると、詩織の叫ぶ声が聞こえてくる。


「……あれは、香奈だったよ!!」


ものすごい剣幕だ。


「岡崎香奈さんは先日遺体で発見されています」

「だって、香奈が突然テラスに入ってきて、章吾しょうごが殴られて……」

「遺体がどうやって、テラスに?」

「……そんなのわかってる。でも、絶対に見間違えたりしないんだから!!」

部屋の外にまで会話が漏れていて、そこへ聞き耳を立てていると、勢いよくドアが開く。

廊下へ出てきた詩織は、半ばパニックを起こしているのか、こちらに気づかずにどこかへ行ってしまった。


その後ろ姿をじっと見ていると、部屋の中から大きな溜息が聞こえてくる。

聞き取りをしていた男性刑事が、頭を抱えていた。

「あの…」

部屋に入って声をかけると、男性刑事は慌てて何もなかったかのように話し出す。

「渥美です。先程の事件について、詳しく話を聞かせて貰えますか」

「ええっと、海老原咲夜です」

「彼女は? 高校生じゃないか?」

「工藤聖です。友達の妹で、今日は大学に遊びにきてたんです」

俺は、様子をうかがうようにそっと渥美さんの顔をのぞきこんで問いかける。

「外で話を聞いてたんですけど。加害者が死んでるって、本当ですか?」

渥美さんは、困ったような顔をして答える。


「岡崎香奈さんは一昨日の朝、市内の路地で遺体で発見されている。首を含め、数箇所ナイフで刺されていた」


それを聞いた聖が、慌てて耳を塞ぐ。


俺は、背筋をゾクゾクと走る悪寒にブルッと身震いする。


「その人が昨日、死んでいたんだったら……」


先程のできごとは、一体何だったのだろう?



***



その日の夜、バイトを終えた俺はマンションへ急いでいた。

「今日は泊まっていく」と棗と聖が聞かないので、仕方なくふたりを泊めることにしたのだ。

オートロックの入口をぬけて、部屋に向かう。

大学から近いこともあって、ここに住む人はほとんど同じ大学の学生ばかり。

最上階の5階まであがり、エレベーターを降りたら一番右端、南向きの東側の角が俺の部屋だ。

慌てなくても部屋の合鍵は棗に預けていたのだが、昼間のこともあって心配だった。俺は、勢いよくドアを開ける。

「ただいま。棗、聖?」


すると、テレビを見ていた聖が手をふる。


「咲っ!!」


だいぶ元気になったようで、ほっと胸をなで下ろす。


「咲、おかえり」

「ああ……聖、晩ご飯は? 何か食べた?」

「うん、家で食べてきたよ」

「じゃあ、お子様は早く寝ろ」

「えーっ、せっかく咲が帰ってくるの待ってたのに」


飛びついてきそうな勢いで駆け寄ってきた聖を退けて部屋に入り、辺りを見回す。


「あれ? 棗は?」

「お菓子買いに、コンビニに行ったよ」

「あいつ、大丈夫かな~」

「平気だよ。ああ見えて、一応、男だもん」


聖はそう言うが、女の子と間違われて、酔っ払いに絡まれて大変だったことを覚えていれば、気が気じゃない。


棗の心配をして玄関の方を気にしながら、荷物を下ろした俺は、テーブルを退かして辺りを片付け始める。


「布団敷くから退いて。聖は、ロフトな」

「咲は? 一緒にロフト?」

「それはないから。俺は棗と一緒」

「ちぇ~」


ロフトから布団を一式下ろすと、その上に聖がドカッと座る。


「聖、邪魔だ」

「わざとだよ」

「退いて。布団敷けないから」

「じゃあ、退かせば?」


ベーッと舌を出して、子どもっぽい素振りをしてみせる聖を、軽く抱え上げる。

初めて会った時は、まだランドセルをしょった小さな女の子だったのに、今では高校3年生。

ランドセルの頃は、つき合うの『つ』の字も存在しなかったのに、そんな問題も時間が簡単に解決してしまった。


――いつから、好きになってしまったんだろう。


そっと床に下ろして、聖の頬にキスをする。


すると、聖が両手を広げて飛び付いて来た。

そういうところは昔のままだ。

「咲、大好きっ!!」

「はいはい」

聖は右手を差し出し、小指をたてる。

「お嫁さんにしてくれるって、約束してくれたよねっ」

「それ、おまえが小学生の時の話だろ」

そうは言いつつも、その指に自分の小指をからめた。

「約束破ったら、針千本だからねぇ」

嬉しそうに手を振り回す聖を愛おしく思って、そっとキスをして、優しく抱きしめる。

細くて、小さくて、雑に扱ったら壊してしまいそうだ。

そう思いながら、もう一度キスしようとしたとき。

ガチャッと、玄関のドアが開いて、


「……おまえら、何してんだよ! 離れろっ!」


帰宅した棗がずかずかと部屋に入ってきて、聖を引き剥がし、俺を見上げてキッと睨み付ける。

「わりと冗談だと思ってたんだよ? まさか、本気で手を出すなんてね。3つも年下の、しかも俺の妹だよ?」

「それはその……棗お兄様、ごめんなさい……」


棗に責められて気まずくなった俺は、視線を逸らした。



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