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「うわぁっ……」


ベッドから飛び起きた俺・海老原咲夜えびはらさくやは、首を押さえる。

嫌な夢を見て目を覚ました。本当にナイフで刺されたワケではないのに、血が吹き出るような感覚がした気がしていた。


けれど、夢は夢。もちろん、なんともない。


いつも通りの寝癖頭に、寝ぼけてぼんやりした自分の顔が、カーテンが開けっぱなしの窓のガラスに映っていた。


ブーッブーッブーッブーッ……


ホッと安心したところで、うるさく鳴り続けているスマホを手に取る。


『着信中 工藤棗くどうなつめ


友人の工藤棗だ。

画面の表示を確認した後、通話ボタンを押すと、

「おはよ、咲夜さくやっー!!」

なぜか、女の子の声がした。

――棗は、男だったはず。

もう一度画面を確認する。

やはり、工藤棗と表示されていた。

……となると、電話の相手は棗の妹のひじりだ。

「聖か。兄貴のスマホ、勝手に使うなよ」

「だって、咲、新しい番号教えてくれないじゃん!!」

電話の向こうの聖の膨れっ面が目に浮かんできて、俺はフッと笑みをこぼす。


「教えようと思ったけど、おまえの兄貴に口止めされたんだよ。それで……」


説明の途中で――ガツッと、変な音がする。


「口止めもしたくなるよ。咲夜危険だもんっ」


聖からスマホを取り上げたのか、棗が通話口に出た。ザワザワと騒がしい音が聞こえてくるのは、大学にいるからだろう。

「それより。咲、早くこないと講義始まるぞ」

「……ウソだろ、やばい!!」

ゆっくり考えてる暇なんてない。

電話を切ると、急いで服を着替えて、寝癖のままで家を出る。



7月の1週目だというのに、太陽はギラギラと輝いて、地上の水分を奪う。

毎年のように更新される猛暑。汗だくになりながら門を走りぬけて、校内へ入る。

講義開始5分前。講堂の後ろの扉を開けると、一番後ろの列の窓側の席に棗が座っていた。

華奢で色白、ムカつくくらい可愛い女顔の男。

棗が、「よっ」と手を上げる。


「咲、おはよ。ギリギリ間に合ったな」


「……おかげさまで、遅刻しませんでした」


俺の言葉を聞いて、棗は満足そうにうなずく。

その隣には、ムカつくくらい棗にそっくりな妹・聖が座っていた。

ふわふわの長い髪に、まだ幼い顔立ちをした女の子だ。


「電話したのは私だよ。私にもお礼は?」


「ああ、ありがと」


机に頬杖をついた聖は、嬉しそうにニコッと笑う。

この兄妹の屈託のないこの笑顔に、何人の人間が犠牲になっただろう。彼等は、評判の美形兄妹だった。

そんなふたりと俺が仲良くしているのは、小学生の頃からの腐れ縁だから。

「咲ったら、世話が焼けるんだから。いっそ、私があの部屋で一緒に暮らそうかな? そしたら、毎朝ちゃんと起こしてあげられるのに……って、逆に起きないかも?」

「まぁ!! 嫌らしぃわぁ!! 聖ちゃん、変なことされないように気をつけてね」

「なつ兄、それでも私は咲が好きなのよっ」

ふざけてからかおうとしてくるふたりを、ジトッとした目で見る。


「棗、うるさい。聖、おまえは高校生だろ」


聖は、大学の付属高校の3年生。この時間なら、とっくに授業が始まっているはずだ。

「帰れよ。ってか、学校行け」

俺が指摘すると、聖は得意の膨れっ面をする。

「今日は社会見学に行くって先生に言ってきたから、いいの!」

そうこうしている間に、予鈴がなる。


結局、聖はそのまま一緒に講義を受け、棗は爆睡、俺は読書タイム。

時折、聖がつついたりちょっかいをだしてくるが、俺はそれを放置。

今日も一日、いつもと変わらない平穏な日になるのだろうと、そう思っていた。


***


授業が終わると、俺は棗と聖を連れてテラスに向かう。


「……棗!!」


途中、遠くから誰かが棗を呼ぶ声が聞こえてきた。

立ち止まった三人のもとへ、原田双葉はらだふたばが駆け寄ってくる。

ミディアムヘアにすっきりとした顔立ちの、サバサバした女の子だ。

「借りてた本を返そうと思って。棗、ありがと。ついでに海老ちゃんもおはよう。寝癖すごいよ」

双葉は呆れたような顔をして、こちらを見る。

すると、聖が一生懸命背伸びをしながら、俺の髪をクシャクシャ触る。

「今から私がなおしてあげるから、平気だよ」

そんな聖を前にした双葉は、小さくため息をついた。

「ねえ、棗。聖ちゃんを海老ちゃんに近づけない方がいいよ」

「俺もそう思ってんだけどさ。咲がすぐちょっかい出すんだよね」

「……ちょっかいだしてくんのは、おまえら兄妹の方だろ」


四人でわいわい騒いでいると、周囲に人が集まってくる。

俺は、思わず身構える。つい警戒してしまうのは、棗と聖のまわりに集まってくるのが、必ずしも好意を持っている人ばかりではないと知っているから。長年の癖だ。

「棗、双葉、おはよ!」

圭介けいすけ、おはよっ」

「ふたりとも、教授が探してたぞ」

話しかけてきたのが、棗と双葉の友達だとわかると、ほんの少しだけ気を緩める。

また、知らない奴が話しかけてきたのかと思った。

――って、いちいち警戒して、俺は棗の保護者か!?

「咲、聖のおもり頼んだ」

「ああ、わかったよ」

しかし、棗と双葉がその場を後にした後。手を振ってふたりを見送る聖の前に、圭介が立ちはだかる。

「聖ちゃん、今日は何しにきたの??」

馴れ馴れしい感じの圭介を、俺はあまりよく思っていない。

「今日はねっ……」

圭介に返事をしようとした聖の口をふさぐと、俺が代わりに答える。

「秘密」

そうして、その場から聖を連れ出す。

「しょーがないから、おもりしてやるよ」

「よろしくお願いしますっ」

聖が嬉しそうにニコッと笑って、手をつかんでくるから、俺はその手を握り返した。



棗と双葉が戻ってこないので、聖とふたりでテラスへ。

「うぃーす、海老ちゃん。今日は特別可愛い子つれてるね……って、その子、棗そっくりじゃん!!」

「棗の妹だよ」

「なんだ。どーりで似てると思った」

テラスでバイトしてる甲田詩織こうだしおりに案内されて、店の隅の方の席に座る。

「詩織、だいぶ元気になったみたいだな」

「……まぁね」

最近、詩織はずっと元気がなかった。

それを心配していたが、今の詩織は顔色も良くて、ほんの少しだけれど笑顔も見られた。

「ねえねえ、咲! 咲、咲、咲!」

詩織が話をしていると、聖が間に割って入ってくる。

「ごめんね、邪魔しちゃって」

「いや、全然そんなことないけど」

詩織は、遠慮するように席を離れる。

「咲、何にする?」

「ん? ええっと……」

振り向くと、聖はニコッと笑ってみせる。

俺もこの屈託のない笑顔の、犠牲者だな……。

そう思った瞬間だった。



「キャーーーーーーーーーッ!!」


突然、複数の悲鳴がテラス中に響きわたる。


「……何?」


聖が振り返る。

俺も悲鳴の先を見る。

テラスの入口の方、辺りにいた人達が一斉に逃げ出す。

そこには仁王立ちの女。手には、鉄パイプを握りしめていた。

「やめろよ、香奈かな……」

「私が悪いんじゃない。あんたが悪いの」

怯えながら後ずさりをしていた男が、こちらに振り返って逃げ出そうとした。


しかし、女は躊躇いなく鉄パイプを振り下ろす。


「聖!! 見るな!!」


咄嗟に聖を抱き寄せ、かばうように頭を抱えた。

聖は、ワケもわからずただ呆然としていた。


ドンッッッ……


一発目は頭を直撃し、男の頭蓋骨が陥没する。


そして、女はさらに殴打を続ける。


ドカッ……


二発目は背後から腰あたりに入り、男はくの字に折れ曲がり、飛ばされる。


……バリィィィンッ!!


そのまま、男は数メートル先のガラス張りの壁にぶつかった。


60キロ以上はあるだろう男が、トラックに跳ねられたかと思われるくらいの勢いで吹き飛んだのだ。


床の上に落ちた男は割れたガラスが体中に刺さって、血まみれになりながらも、まだ意識があった。


バリリッ……バリリッッ……


必死に身体を動かすたびに、ガラスの擦れる音がする。


男の身体は床を、顔は天井を向いていた。


「キャーーーーーーーーーーーーッ!!」


店内にいた客は、慌てて外へ逃げ出す。


「そう……仕返しは倍返し……」


騒ぎの中、どこからか不気味な声が聞こえてきたが、その頃には鉄パイプを持った女はいなくなっていた。




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