第16話 専属侍女②

「…ティアナさん、大丈夫ですか?顔色が悪いわ」

「い、いえっ……ご心配なく……っ」


がたがたと震え始めた彼女の顔は偽った笑みすら見せないほどに真っ青だった。

まるで、怪物を見たときのように、恐怖で覆われたーー。


確かに彼女は、愛人だ。

それにこの反応は、旦那様にはただならぬ秘密があるということだろうか。


「…お願いです、ティアナさん。真実を教えてくださいませんか?」


彼女はふるふると首を横に振るばかり。


「…ティアナさん。それなら、あなたはアイリス様をーー奥様を、助けたくはないのですか?」

「……え?」


どういう意味かと尋ねられる。

もちろん、リアム様のことがバレれば一番に伝えるのは彼女だけれどーーここは、賭けるしかない。


ここでリアム様の計画も含めて揺さぶって、ティアナに本当のことを吐かせれば彼女は自分から旦那様に近づこうとはしないだろう。だけど、成功する確証はない。


「実は、あるお方がアイリス様を助けようとなさっているの」

「え?どなたが…」

「それはお教えできません。ですが、少なからずティアナさんはそれに協力したいのでは?」


ティアナはうつむいてしばし黙り、それから再び顔をあげた。


「どうしてそう思うのですか?」


私はにやりと笑う。


「あなたは、アイリス様が裏庭でルイス様と他の女性の逢瀬を見て我を失われそうになったとき、言ったわね。ーー「もう、私、あなたを裏切ったりしません」と」


確かに言いましたと彼女は頷く。


「私は、なぜあなたがそう言ったのかーー事の経緯を知っているの」

「え!?」


もちろん、知らない。


「…私はそのうちそれを言ってしまうわ。ーーアイリス様を助けようとなさっている方に」

「そ、それ、は……!」

「もしあなたが旦那様の秘密を教えてくれるなら、あなたの秘密は守ってあげる。さあ、どうする?自分をとるか、旦那様をとるか」


ティアナはどさ、と膝から崩れ落ちた。

そのまま、黙り込んでいる。


しばらくして、私はとうとうしびれを切らした。


「…残念ね。そこまで旦那様をとるというなら…仕方ないわ」


私が後ろを向いて、一歩踏み出した瞬間ーー。


「ま、待ってください!ルイス様の秘密、教えます!」


かかった!



「以上、ご報告です」


リアム様は一通り報告書に目を通してから、一口紅茶を飲んだ。

そしてふう、とため息をつく。


「仕事が早いね。しかも、わかりやすい。うちに欲しいくらいだ」

「…恐れ入ります」

「バレていないね?」

「もちろんでございます」


この人は、時々、何を考えているのかわからなくなる。

その曖昧な瞳がそう感じさせるのだ。


「…で。誰から聞いたの?」


彼が聞いているのはただ一つ。


『誰から旦那様の秘密を得たのか』ということ。


「…旦那様の、愛人です」

「へぇ。愛してる人の秘密を易々とバラすのか」


彼はくっと笑う。


「…揺さぶりをかけましたので」

「へぇ」


彼は、興味津々、とでも言うようにまた紅茶を一口啜って私を見つめた。


「流石侯爵家。使用人優秀なんだね」


嫌味を含んだような言葉。

確かに彼がアイリス様を好きだからこそ旦那様を敵対視するのはわからなくもないが。


「誰かに聞かれたらどうなさるんです?」

「え、何が?」

「何って…私も一応侯爵家に仕える人間ですから、もしかすると侯爵様に言ってしまう可能性だってあるのだと、お考えになりませんでしたか?」


すると、突然彼はあはは、と笑い出した。

何がおかしいのか。


「あはは、はは……そっかぁ。でも、君が主人の情報を他の貴族に渡している時点で、それはないんじゃないかな」

「もし私がスパイだったら?」

「それはないと思うよ。第一、君のことは調べさせてもらっているから」


先ほどの笑顔とは打って変わり、見定めるようなその目に背中がゾクッとした。


「もし、本当にスパイだったら、殺すまでだけど」


ひゅ、と声を出してしまうかと思った。

それほど、怖かった。冷たい声と、眼差しーー。


「とりあえず、ありがとう。当日も期待してるよ」


ぱっと笑みに変わる。

彼は、誰よりも飴と鞭の使い方が上手い人なのだろう。



「アイリス様、最近浮かれておりますね」

「へ、へ!?」


そのような間抜けた声を出すのも、アイリス様だからこそ可愛らしい。

リアム様の気持ちもわかる気がする。


「ご両親様がいらっしゃるからですか?」

「え、ええ……」


顔をほんのり染めて照れている。


アイリス様のご両親とは、直接話をしたことはないけれど、何度か見かけたことがある。

というのも、婚約から結婚まで、話し合いをなさっていたのは実は旦那様とアイリス様の両親同士だからである。


何度かお茶をお出ししたことがあるけれど、とても優しそうな方達だった。

侍女である私にでさえ、お茶を出したときに「ありがとう」と微笑んでいらっしゃったのをよく覚えている。


「アイリス様のご両親は、どんな方たちですか?」

「…すごく、優しいわ。小さい頃から私を可愛がってくれていて、この婚約の話が出た時は誰よりも喜んでくださったわ」


アイリス様が嬉しそうに、思い出に浸りながら話す姿を見て、私は安心した。


今度侯爵邸にやってくるアイリス様のご両親は、紛れもなくアイリス様の心強い味方だということが分かったから。

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