第2話 残酷な人②

「どうでもいいんだ、お前なんか」


いつの間にか「お前」に変わった呼び名。

彼はもう、あの笑みで「アイリス」と彼が口にすることはなかった。ーー最後に、名前を呼んでくれたのはいつだっただろうかーー。


「どうでもいい……」


私は改めて、彼の言葉を繰り返し、意味を確かめた。

つまり、それは、私のことに興味などなく、勝手にしてろ、ということだ。


「そう。お互い、好きになんてならないんだから、割り切った関係でいいよね?」


なんで、そんなことが言い切れるの?そんなの、分からないじゃないーー。やはり私の想いは、届いてはいなかった。


「これからもそういうことで。よろしくね」


笑ってそう言った私の婚約者は、残酷な人だった。


それから、私は、侯爵家に来る頻度を減らした。

もうティアナさんとルイス様の仲睦まじい姿なんて、見たくもない。


あちらのご両親は、それでも私のことを可愛がってくれている。特に、侯爵夫人は「ずっと娘が欲しかったのよ」と実の子のように可愛がってくれた。


「あっ、アイリス様!」


目下のものが、自分から、軽く目上の人に話しかけてはいけないことなど、とうに分かっていることだろう。

しかも彼女は、今の立場は「使用人」よりも下。

慈悲で置いてもらっていることを、彼女は理解していない。


「…こんにちは、ティアナさん」


だけど、それを注意したり、あるいは無視したりすれば、ルイス様に嫌われてしまうだろう。

ティアナさんは、ルイス様の大切な人だから。


「アイリス様、ルイスを見ませんでしたか?」


さらっと呼び捨てにするなんて。


「……さあ、見ていないわ」


好きな人に嫌われるのは、他の人に嫌われる、何倍もつらいのだろう。

両親が私のことを嫌うのとも、また違う。



ルイス様を想って4年。

私たちは、結婚式の話をする歳になった。ーー正確には、親たちが、だが。


あれからルイス様は一度も私のことを好きになってはくれなかった、のだと思う。

口を開けばティアナ。私が話しかければ一言で返事を済ませ、見向きもしない。


「…ルイス様。結婚のことについてですがーー」

「ああ…それについては、アークから話を通して欲しい」


アークとは、侯爵家の家令のこと。

そんな彼を通じて話せ、なんて、そんなにもこの方は私と言葉を交わしたくないのか。


私を「」にさせておいて。


本当に、残酷な人だーー。



アークから言われた内容はこうだ。


結婚式は、私の好きなようにあげていいし、予算も制限は無い。結婚してからは、侯爵家の跡継ぎとなるのは私とルイス様の子だ。しかし、ティアナも傍に置いておく。


いうところ、ティアナは愛人。


「……私たち使用人一同、反対はしたのですが…」


アークは、とても申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。


最近は侯爵夫人の仕事を手伝う頃になり、今まで以上に使用人との関係を深めることになった。

皆親切で、逆に、ティアナを嫌う人が多かった。


だが、それを聞いたところで何か変わる訳では無い。


私はルイス様に嫌われたくないし、いつか見て貰えるまで待つつもりだ。

そんな日は来ないかもしれない、と思ってしまう自分もいるが、まだ信じていたい。


ルイス様のことを、好きで好きでたまらない私の想いに、いつか応えてくれるかもしれないって。

振り向いてくれるかもしれないって。


それから、ティアナは新しい部屋を与えられたと聞いた。

使用人用ではなく、立派な部屋。


使用人の皆は、何か言って欲しいと私に詰め寄ったが、やんわりと断っておいた。

だって、そんなことすればーールイス様に嫌われてしまうもの。


さらに、使用人たちには、「ティアナ様」と呼ぶよう言われたらしい。

それについても、皆憤っていた。


「なぜ私たちが、たかが居候している女に敬称をつけなければならないんですか!」

「あの女は働きもしないくせに……!」


侯爵家だけあって、男爵家などの下流貴族から働きに来る令嬢もいる。

そんな彼らからすれば、何もしないくせにやけに偉そうな平民の娘など、恨みの対象にしかならないだろう。


毎日、使用人たちは私のところへ来て、とうとうその騒ぎを聞きつけたルイス様がやってきてしまった。


「何事だ?」

「…あっ、ルイス様…」


気まずそうにして、失礼しますと1人、1人、去っていく。


とうとう残されたのは私だけになった。


「何があった?」

「いえ、特には…少し仕事に不満がありましたようなので」

「そうか。ーーティアナに迷惑はかけていないな?」


また、ティアナ。

彼が幼き少女を保護した頃から、大切に思っていた、というのは理解できるが。今も、婚約者を蔑ろにするほど、大切な存在なのか。そうであるなら、ティアナはーーどんな風に、受け止めているのだろう。


まさか、当たり前だとか思っていないだろうか。


「アークから聞いただろう?」

「はい…ティアナさんを、傍に置くと…」

「そう。ああ、あと、言い忘れてたんだけど…」


ルイス様は、続けた。


「私が愛するのはティアナだけだからね、そこは勘違いしないでほしい。私は、お前のことはどうでもいいんだ」


ルイス様は、とてもーー残酷な人、だった。













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