私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
第1話 残酷な人①
「おめでとう、アリー。あなたの婚約が決まったわ」
いつも通り私を愛称で呼んだ母の顔は、満面の笑みを見せていた。
その横で、父もうんうん、と頷く。
13の私も、やっと婚約の打診が来たことを、心から喜んでいた。
伯爵令嬢ではあるけれど、比較的保守的なこのミラージュ家に婚約を申し込む貴族は少ない。
それは、この国の貴族の大半が、王族派か貴族派だからである。
「やっとアリーの良さをわかってくれたか」
父もすごく嬉しそうだ。
両親は、私を「アリー」と呼んだけれど、私の本名はアイリス・ララ・ミラージュ。
しがない伯爵令嬢で、まあ、どこにでもいる平凡な貴族令嬢だ。
そんな私に婚約を申し込んできた貴族は、上流貴族であるルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
彼の家は、代々古くから続く名家で、裕福。まさに、「勝ち組の」貴族である。
そんな彼が、私をーー。
どきどきでいっぱいの心をしまいこみ、私は眠りについたーー。
◇
「楽しみね」
「はい」
今日はお見合い。だが、きっと婚約書に手をつけることになるだろうと、お父様は言った。
「初めまして。ルイス・フォン・ラグリーです。よろしくね」
「よ、よろしく、お願いします…アイリス…ララ・ミラージュです…」
緊張する。
だって私の目の前にいる少年は、ものすごく美形で。平凡な私が横に並んでいいのかーーすごく不安なのだ。
向こうのご両親は、「可愛らしい子が来たね」と喜んでくださり、それには少し安心しつつもあった。
「アイリスと言ったね。今お茶を用意してもらったんだーー大人たちは大人たちで積もる話もありそうだし、向こうへ行こう」
「は、はい」
彼は、私をもう一つの客間へ案内した。
そこは、バルコニーが大きく開かれ、絶景に近いほどの景色を見ることができた。
「すごい…!」
だけど、私は浮かれていた。
二人きりで、お茶をするのだとーーそして、とても楽しい時間になるのだろうとーー。
「あ、来た。ティアナ、こっちだよ」
年下だろうか。ティアナと呼ばれた彼女は、少し俯きながらこちらへ寄ってきた。
でも、彼女の笑みはすごく可愛らしくお淑やかだった。
「…紹介するよ。彼女はティアナ。平民だから姓はないよ」
「そうなのですね…ティアナ…さん、よろしくお願いします…」
「は、はい…こちらこそ…」
侍女見習いだろうか。
私はなにも気にせずにお茶を続けたが…。
「やっぱりティアナはマカロンが好きなんだね」
「…だ、だって。美味しいんですもの」
彼は、にっこり笑って、
「好きなだけお食べ」
と言った。
ルイス様は、可愛い、とずっとティアナさんを見つめて、一向に私と話をしようとしない。
まるで、私の存在などないかのようにーー。
しかもなぜ、侍女見習いが貴族と同等の席についているのか。
普通なら許されないが、それをルイス様が黙秘しているのはなぜだろうか。
あまりにも不躾に見つめてしまっていたからか、ルイス様はこちらに気づいて「どうしたの?」と美しくにっこり笑って問うてきた。
彼は美形だ。
それゆえに、皆ころりと恋に落ちてしまうのだろう。もちろん私も例外ではなかった。
それから、ラグリー家に行く時は、だんだん彼のことを意識し始めた。
ああ、私は彼が好きなんだ。
そう自覚するのに時間はかからなかった。
眉目秀麗、勉学も剣術も優秀で、彼は「自慢の」婚約者なはずだったーー。
◇
「ティアナ。今日も勉強してるの?偉いね」
と言って頭を撫でたり、
「ティアナ。休みも必要だよ」
と言って休暇に誘ったり、
「ティアナ。可愛いーー大好きだよ」
といって愛を伝えたり。
ルイス様の行動はだんだん単調になってきた。
極端にティアナを可愛がり、大切にしーー本来婚約者であるはずのアイリスはいないも同然。
あんな態度、とられたこともないーー。
「…少しくらい、私にだって」
誰にも聞こえないような小声で呟く。
いつのまにか私はティアナさんに嫉妬していた。
だけど、それを表すほど、勇気はなかった。
嫉妬しても嫌われるだけだからーーそう悟った私は、現状に満足するようにと、心を押し殺し始めた。
嫉妬なんてしないで。だって、平民と貴族は結婚できないもの。いつかこっちを向いてくれると信じてーー。
ティアナも、段々と変わってきた。
初めの頃の面影は一切なく、もはや自分の家のように、そして婚約者のように、ルイスにべったりだ。
「ティアナ。キスしてもいい?ーー大事な君を失わないために」
「…もちろんですわ」
二人がキスするのまで見てしまった私は、ただ悲しくて、悲しくて。
そして、ティアナに改めて嫉妬していくようになったーー。
◇
「…ルイス様は、随分とティアナさんにご執心なのですね」
あるお茶会。
この何の意味もない時間を有効活用して、私は尋ねた。
「…まあ。大切な子だからね」
「妹のような感覚ですか?」
そんなわけないじゃない、と自分でも呆れながら聞く。
だって、「妹だと思っている女」にはキスなんて自分からしないでしょう?
「うーんとね…違うな。なんて言えばいいのか、とにかく目が離せない可愛らしい子なんだ。お前もそう思うだろう?」
どうして私にそんなことを聞いてくるのですか。
私が同意するとでも?ーーこっちは、嫉妬で狂いそうなほどなのに。
好きで、好きで。
独りの片想いが、そして嫉妬が、こんなにも苦しいものだとは思わなかった。
「…そうですわね…」
でも、逆らえないのは私の最大の欠点。
ルイス様は、口を開けばティアナ、ティアナ、ティアナ…。
そんなに好きなのか。一体あの子のどこがーーなんて、この気持ちは醜すぎて、自分でも目を当てられない。
でも、やっぱり。
私のことも見て。私は、あなたの婚約者なのよ…。
「…どうして、あの子ばかりなのです?ーー私は婚約者です。二番目でもいいから…」
「はぁ…アイリス。お前がそんなことを考えていたなんて…。いいか、私は」
彼の言葉は、ひどく残酷だった。
「どうでもいいんだ、お前なんか」
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