私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら

第1話 残酷な人①

「おめでとう、アリー。あなたの婚約が決まったわ」


いつも通り私を愛称で呼んだ母の顔は、満面の笑みを見せていた。

その横で、父もうんうん、と頷く。


13の私も、やっと婚約の打診が来たことを、心から喜んでいた。

伯爵令嬢ではあるけれど、比較的保守的なこのミラージュ家に婚約を申し込む貴族は少ない。


それは、この国の貴族の大半が、王族派か貴族派だからである。


「やっとアリーの良さをわかってくれたか」


父もすごく嬉しそうだ。

両親は、私を「アリー」と呼んだけれど、私の本名はアイリス・ララ・ミラージュ。

しがない伯爵令嬢で、まあ、どこにでもいる平凡な貴族令嬢だ。


そんな私に婚約を申し込んできた貴族は、上流貴族であるルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。

彼の家は、代々古くから続く名家で、裕福。まさに、「勝ち組の」貴族である。


そんな彼が、私をーー。

どきどきでいっぱいの心をしまいこみ、私は眠りについたーー。



「楽しみね」

「はい」


今日はお見合い。だが、きっと婚約書に手をつけることになるだろうと、お父様は言った。


「初めまして。ルイス・フォン・ラグリーです。よろしくね」

「よ、よろしく、お願いします…アイリス…ララ・ミラージュです…」


緊張する。

だって私の目の前にいる少年は、ものすごく美形で。平凡な私が横に並んでいいのかーーすごく不安なのだ。

向こうのご両親は、「可愛らしい子が来たね」と喜んでくださり、それには少し安心しつつもあった。


「アイリスと言ったね。今お茶を用意してもらったんだーー大人たちは大人たちで積もる話もありそうだし、向こうへ行こう」

「は、はい」


彼は、私をもう一つの客間へ案内した。

そこは、バルコニーが大きく開かれ、絶景に近いほどの景色を見ることができた。


「すごい…!」


だけど、私は浮かれていた。

二人きりで、お茶をするのだとーーそして、とても楽しい時間になるのだろうとーー。


「あ、来た。ティアナ、こっちだよ」


年下だろうか。ティアナと呼ばれた彼女は、少し俯きながらこちらへ寄ってきた。

でも、彼女の笑みはすごく可愛らしくお淑やかだった。


「…紹介するよ。彼女はティアナ。平民だから姓はないよ」

「そうなのですね…ティアナ…さん、よろしくお願いします…」

「は、はい…こちらこそ…」


侍女見習いだろうか。

私はなにも気にせずにお茶を続けたが…。


「やっぱりティアナはマカロンが好きなんだね」

「…だ、だって。美味しいんですもの」


彼は、にっこり笑って、


「好きなだけお食べ」


と言った。

ルイス様は、可愛い、とずっとティアナさんを見つめて、一向に私と話をしようとしない。

まるで、私の存在などないかのようにーー。


しかもなぜ、侍女見習いが貴族と同等の席についているのか。

普通なら許されないが、それをルイス様が黙秘しているのはなぜだろうか。


あまりにも不躾に見つめてしまっていたからか、ルイス様はこちらに気づいて「どうしたの?」と美しくにっこり笑って問うてきた。


彼は美形だ。

それゆえに、皆ころりと恋に落ちてしまうのだろう。もちろん私も例外ではなかった。


それから、ラグリー家に行く時は、だんだん彼のことを意識し始めた。


ああ、私は彼が好きなんだ。

そう自覚するのに時間はかからなかった。


眉目秀麗、勉学も剣術も優秀で、彼は「自慢の」婚約者なはずだったーー。



「ティアナ。今日も勉強してるの?偉いね」

と言って頭を撫でたり、

「ティアナ。休みも必要だよ」

と言って休暇に誘ったり、

「ティアナ。可愛いーー大好きだよ」

といって愛を伝えたり。


ルイス様の行動はだんだん単調になってきた。


極端にティアナを可愛がり、大切にしーー本来婚約者であるはずのアイリスはいないも同然。

あんな態度、とられたこともないーー。


「…少しくらい、私にだって」


誰にも聞こえないような小声で呟く。

いつのまにか私はティアナさんに嫉妬していた。


だけど、それを表すほど、勇気はなかった。


嫉妬しても嫌われるだけだからーーそう悟った私は、現状に満足するようにと、心を押し殺し始めた。

嫉妬なんてしないで。だって、平民と貴族は結婚できないもの。いつかこっちを向いてくれると信じてーー。


ティアナも、段々と変わってきた。

初めの頃の面影は一切なく、もはや自分の家のように、そして婚約者のように、ルイスにべったりだ。


「ティアナ。キスしてもいい?ーー大事な君を失わないために」

「…もちろんですわ」


二人がキスするのまで見てしまった私は、ただ悲しくて、悲しくて。

そして、ティアナに改めて嫉妬していくようになったーー。



「…ルイス様は、随分とティアナさんにご執心なのですね」


あるお茶会。

この何の意味もない時間を有効活用して、私は尋ねた。


「…まあ。大切な子だからね」

「妹のような感覚ですか?」


そんなわけないじゃない、と自分でも呆れながら聞く。

だって、「妹だと思っている女」にはキスなんて自分からしないでしょう?


「うーんとね…違うな。なんて言えばいいのか、とにかく目が離せない可愛らしい子なんだ。お前もそう思うだろう?」


どうして私にそんなことを聞いてくるのですか。

私が同意するとでも?ーーこっちは、嫉妬で狂いそうなほどなのに。


好きで、好きで。

独りの片想いが、そして嫉妬が、こんなにも苦しいものだとは思わなかった。


「…そうですわね…」


でも、逆らえないのは私の最大の欠点。


ルイス様は、口を開けばティアナ、ティアナ、ティアナ…。

そんなに好きなのか。一体あの子のどこがーーなんて、この気持ちは醜すぎて、自分でも目を当てられない。


でも、やっぱり。

私のことも見て。私は、あなたの婚約者なのよ…。


「…どうして、あの子ばかりなのです?ーー私は婚約者です。二番目でもいいから…」

「はぁ…アイリス。お前がそんなことを考えていたなんて…。いいか、私は」


彼の言葉は、ひどく残酷だった。


「どうでもいいんだ、お前なんか」



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