[こどもの国]

「あぁ〜っ! またダメだった。どうして僕はこんなにできないんだろう?」


 今日は学校で、テストの返却がありました。男の子は返されてからすぐには結果を見ずに、家に帰る途中に確認してガッカリしました。


「この間も点数が低くてママに怒られたのに……。きっと、今日もたくさん怒られるんだろうな」


 男の子は決して勉強をサボっている訳ではありません。ただ、他の子より覚えるのに時間がかかってしまうだけです。


「今度学校のテストの点数が悪かったら、塾に行かせるってママが言っていたなぁ。学校から帰っても、勉強しなくちゃいけないの? 宿題もあるのに」


 あまりにもテストの成績が悪い為、前回のテストを見せた時に次のテストの点数次第で塾に行かせると、男の子は母親から言われていました。


 家に帰る男の子の足取りはとても重く、いつもよりもゆっくりと家に帰ります。



「ただいま……」


「お帰りなさい。今日、テストの結果が返ってきたんでしょ? どうだったの?」


「何で分かったの?」


 男の子はテストの返却が今日あることを母親に伝えていません。


「さっき買い物に行った時にあなたのクラスメイトが偶然いて、テストの話をしていたのを聞いたのよ。で? どうだったの? 結果次第で塾に行かせると言ったでしょう。どうせまた悪かったんでしょう? 塾に行くならどこが良いか探さなくちゃいけないし、お金も考えなきゃいけないのよ! 早く見せなさい」


 男の子の母親は塾に行くことが決まっているかのように話します。確かに、テストの点数が悪いので塾に行くことは約束通り決まっているかもしれませんが、今はまだテストの結果を見せていないのにまるで点数が悪いことが当然であるみたいな言い方をされて、男の子は深く傷付きました。


「はい……」


「ほら、やっぱり悪いじゃない! 約束通りこれからは塾に通ってもらうからね。たくさん勉強すればテストで良い点が取れるはずよ! それじゃあ、ママはどこの塾にするか調べるからきちんと勉強しときなさいね」


「分かったよ……」


 男の子は沈んだ気持ちで自分の部屋へ宿題をしに行きます。これから勉強漬けの日が続くことが決まってしまい、憂鬱です。



 母親は当日のうちに塾を決めて、すぐに男の子を通わせました。男の子はみんなが遊んでいる時間も塾で勉強するしかありません。





 塾に行くことが決まった日から時間が経ちました。男の子は塾での勉強が終わり、すっかり暗くなってしまった道を歩きます。


「今日も勉強だけで一日が終わったな。一生懸命頑張っているのに僕、全然ダメだなぁ」


 毎日毎日勉強を頑張っているのに、テストの点数はなかなか上がりません。ついに母親から遊びに行くことを禁止されてしまい、本当に一日中勉強をする日を続けています。


「ただいま」


「お帰りなさい。お夕飯はもう出来ているから、早く手を洗って荷物を置いてきなさい」


「うん」


 男の子は言われた通り手を洗って、自分の部屋に荷物を置いていきます。


「この自分の部屋も、寝るか勉強をする時にしか使わなくなったな。漫画もママに没収されちゃったし」


 勉強の妨げになるからと、好きな漫画は少し前に母親に没収されてしまいました。テストの成績が良くなるまで返さないと、母親に厳しく言われています。


「あ。ご飯、食べないと……」


 あまり食欲はありませんが、食べないと辛くなるのは分かっているので夕飯を食べに行きます。母親の言った通りご飯はもうできていて、すでにテーブルの上に準備がされていました。


 自分の席でゆっくりとご飯を食べます。この時間くらいしか勉強から離れてゆっくりとすることができません。


「ごちそうさま」


「ちゃんと家でも勉強するのよ?」


「分かってるよ!」


 食事が終わるとすぐに母親から勉強するように言われます。言われなくてもきちんと毎日するのに、と思いながら男の子は歯磨きとお風呂を済ませます。勉強したら疲れてすぐに寝てしまうからです。



「はあ。毎日勉強ばっかりだよ。友達からも付き合いが悪いって言われて、何だか最近距離ができたような気がするし……」


 

 自分の部屋に戻り、勉強をしながら男の子は学校で友達に言われたことを思い出します。毎日学校では遊べますが、放課後は塾と母親から遊ぶことを禁止されてしまったので、必然的に友達と遊べる時間が減ってしまいました。


 男の子の友達も、男の子が勉強漬けだと知ると遊びに誘うのもだんだんと減ってきました。誘っても遊べないと思ったからです。



「もう、嫌だな。毎日遊べないで勉強しかできないなんて。こんなに毎日勉強しているのに、ちっともテストの点は良くならないし」


 今日の分の勉強を終わらせて男の子は言います。まだまだ遊び盛りなのに、毎日勉強するしかなくて嫌になります。


「ママは立派な大人になる為に勉強しなさいって言うけど、大人にならなければ勉強しなくてもいいかな?」


 男の子は母親にどうしてこんなにも勉強をしなくちゃいけないのか聞きました。母親は勉強をしていい成績をとったらいい学校へ行き、いい仕事に就きなさいと男の子に言いました。いい仕事に就けばたくさんのお金が入って、やりたいことが何でもできるようになると。


「僕が大人になるのはまだ先なのに。それに僕は今、友達と一緒に遊びたいんだ」


 そのことを毎日の勉強漬けに耐えられなくなったある日、母親に言いましたが成績が悪いからダメだと怒られてしまいました。母親は男の子に『ママが勉強しなさいって言うのは、あなたの為なのよ? ママもこんなに言いたくないのに、全然成績が上がらないんだもの。まさかサボってないわよね? ママは、あなたの為に言っているんだからね!』と、言いました。毎日遊ぶ暇もないくらいしっかりと勉強をしているのに、成績が上がらないのはサボっているからではないかと言われて、また深く男の子は傷付きました。


「もう嫌だ、嫌だよ……。立派な大人になんてなれなくてもいいから、勉強なんてしたくないよ。もう大人になれなくてもいいから」


 辛くて悲しくて、男の子は涙で目を潤ませます。


「大人になんてなりたくない! でも、何もしなくてもみんな大人になっちゃうし。子供のままで遊んでいられたら、どんなにいいだろう。できないのは分かっているけどね……」


「できるよ?」


「えっ?!」


 突然男の子しかいないはずの部屋で、知らない声が聞こえました。驚いて涙も引っ込みました。男の子は慌てて入り口のドアとベランダの入り口を確認しましたが、そこには誰もいませんでした。


「おかしいな? 声がしたと思ったのに。でも、僕の気の所為みたいだな。こんな夜中に人なんか来る訳ないのに」


「気の所為じゃないよ。まあ、人ではないけどね」


「えっ!」


 再び声が聞こえてきました。慌てて部屋を見渡しますが、姿が見えません。


「どこ? どこにいるの? やっぱり僕の気の所為なの?」


「あははっ! ここ、ここだよっ! て、ん、じょ、う!」


「天井? あっ……!」


 声が言った天井を男の子は見ました。するとそこには真っ白な猫らしき動物が天井付近に浮かんでいました。姿は猫なのに、その背中には体の色と同じ真っ白な翼が生えていました。


「君が話しかけたの? 君は猫なの? 翼の付いた猫なんて初めて見たよ!」


「ボクはただの猫じゃないからね。そうそうお目にかかれない、特別な猫なんだよ」


 翼の生えた真っ白な猫はそう言って、男の子の側に降りてきました。


「やあ、初めまして。松岡隼人(まつおか はやと)君。ボクのことは白って呼んでくれ。この名前って、ボクの体が全身真っ白だからみんなそう呼ぶんだけど、ありきたりな名前すぎると思わないかい?」


「僕も白って名前を付けるかも。だって本当に真っ白なんだもん! あれ? 僕、君に名前を教えたっけ?」


「ああ、見てたからね。知ってるさ」


 白はそう言って男の子の顔を覗き込みます。


「僕は知っているよ。君が、隼人が毎日毎日勉強というものを頑張っていることを。まだ子供なのに、遊ぶのを我慢していることも。そして……大人になりたくないってこともね」


「大人になりたくないって言ってたの、聞いてたの?」


「聞いてたよ。でも、ずっと前から隼人は大人になりたくないって思っていたでしょ?」


 白は男の子の目を真っ直ぐに見つめます。男の子は驚きました。確かに、白の言う通りです。でも、口に出して言ったのは今日が初めてのはずです。どうして白は知っているのでしょう?


「白。どうして、どうしてこんなに僕のことが分かるの?」


「分かるさ。ボクは大人になりたくない子供を[こどもの国]に迎えに行くのが仕事だからね。ちなみに、迎えに行くのは頑張りすぎている子供だよ。頑張りすぎて大人になんかなりたくないって、心から願っている子供を迎えに行くのさ」


 白はそう言うと男の子と額を合わせました。


「君はずっと、心から大人になりたくないと願っていた。だからボクは君を迎えに来たんだよ? 頑張りすぎの君をね」


「僕を……迎えに?」


「そうだよ隼人。[こどもの国]に一緒に行こう。そこへ行けば大人にならなくなるし、遊んでいてもいいんだよ? 子供らしく過ごすことができる国なんだ。楽しいよ、きっと隼人もすぐに気にいるさ!」


「大人にならなくなる……遊んでいてもいい……?」


「そうだよ! だって[こどもの国]だもん。子供は大人みたく働かないでしょう? 仕事といえば遊んで楽しむことが子供の仕事だよ」


「遊んで楽しむことが仕事……」


「隼人っ?! どうしたの? どこか痛いの? 大丈夫っ?」


 男の子は、はらはらと涙をこぼします。


「ぐすっ! 僕、僕っ! ずっと遊んでいないの! 毎日勉強ばかりで、楽しい日なんてなかったよ。本当に、本当に大人にならないで遊べるの? 遊んでも、いいの?」


「いいんだよ!」


「本当に本当?」


「本当だよ。今までよく頑張ったね!」


 白はそう言うと、男の子の流れる涙を優しく舐め取りました。


「う、うわぁぁぁんっ!!」


「君はいっぱい我慢していたんだね。うんうん、辛い時に泣くことも大事なことだよ」


 白は今度は涙を舐めないで、頬ずりをしながら男の子の涙を優しく拭き取ります。白の体は肌触りがよく、そして涙をよく吸い込みました。涙で濡れているはずなのに、頬ずりをしている毛は濡れた感じがしません。


「……?」


「ん、隼人? どうしたんだい?」


「えっと。白の毛が僕の涙で濡れているはずなのに、濡れた感じがしなくて……あれ? やっぱり濡れてない! 何で?」


 男の子は涙で濡れているはずの、白の頬を撫でてみました。すると、思った通り白の毛は濡れた感じがしませんでした。


「ボクは子供の為に存在しているからね。泣いてしまった子供の涙を拭き取っても湿らない、特別な体毛を持っているのさ! 肌触りも凄くいいだろう? 自慢の毛並みなんだ!」


 白は自慢げに自分の毛並みをアピールします。折りたたんでいた翼もバサリと広げ、ふわふわな羽根が舞い散りました。


「さあ、行こう! [こどもの国]へ! ボクが連れて行ってあげる。そこへ行って楽しく過ごそう!」


「うんっ!」



 眩い光が白と男の子を包み込みました。強い光が起きましたが、ベランダにはカーテンが閉まっていて部屋のドアは閉まっています。一瞬で消えてしまった男の子の姿を見た人は誰もいません。当然男の子の母親も、我が子が消えたことに気付きませんでした。



 その後朝になっても起きてこない男の子を起こしに、母親が部屋を見に来ました。そこにはもう男の子の姿はなく、使い込んだ跡のあるたくさんの勉強道具が部屋に散らばっていました。すると母親は勉強机の上に、手紙があることに気が付きました。それを読んだ母親は泣き崩れました。そして、自分が男の子にしてしまったことを知りました。


 もう、二度とお腹を痛めて産んだ可愛い我が子と会えないことを知りました。




『ママへ。ぼくはつかれてしまいました。りっぱな大人になれなくてごめんなさい。ダメな子供でごめんなさい。ぼくは元気です。白がこどもの国につれて行ってくれました。ここは大人にならないふしぎな国で、遊んでいてもおこる人はだれもいません。勉強もしなくていい場所です。だから、ママ。今までありがとう! ばいばい! ぼくは今、楽しいから心配しないでね。はやとより』


 手紙は男の子の字で書かれていて、文の最後には写真が貼り付けてありました。翼の生えている白い猫を抱っこしている男の子の写真が。


 男の子の表情はしばらく見ていなかった、満面の笑みでした。

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