ハミチン男:出題編
「大変ですだ! 大変ですだよ、ブラウンせんせ!」
探偵のブラウンが枕に顔を埋めながら、自身がハーピーの群れに襲われて貞操の危機に瀕している夢を見ていると、窓ガラスにヒビが入りそうなほどの爆音が部屋中に鳴り響いた。
「……チッ」
どうやら助手のサンチョが巨大拡声器を使って無理やりブラウンを起こそうとしているらしい。探偵は舌打ちをすると、用意しておいた徳用の耳栓を装着した。これで音は全く響かない。
「せんせ!!!!」
すると耳栓が無理やり取り外され、サンチョの声が鼓膜を破壊する。
「あのなあ……」
ブラウンはか細い声でそれだけ言うと、よろよろと立ち上がった。もはや怒る気力すら湧かない。
「今回はすごい事件だよ! チンコが盗まれただ!」
サンチョは嬉しそうにチンコ、チンコと連呼した。
「全く意味が分からんぞ。ドルガタ警部がどうせ外で待っているんだろ。もう事件のことはアイツに聞くよ」
ため息を吐きながら探偵事務所の外に出ると、やはりというべきかパトカーが停まっており、窓からドワーフ警部のドルガタが身を乗り出した。
「おい、オークから聞いたか? チンコが盗まれたんだぞ」
ドルガタもチンコ、チンコと言うだけでまるで埒が明かない。
仕方がないのでサンチョの肉に押しつぶされないように彼をトランクに詰め込んでそのままパトカーに乗り、ブラウンは颯爽と現場へ向かった。
陰茎が盗まれたという現場は、トタンで建てられたボロ家だった。風が吹いただけでトタンが軋み、今にも剥がれそうになっている。
「……どうも」
家を訪ねると、陰茎を盗まれたと主張する男が姿を現した。男はジャック・グリフィンという名の冴えない青年だ。
「あー、さっそくだがこっちの探偵かぶれのオッサンに君が陰茎を盗まれた時の話をしてもらえるかな?」
ドルガタは普段に比べてやけに慇懃な態度でジャックから話を聞き出そうとする。無辜の市民を刺激しないことが警察組織の威厳を守るために最も必要なことだと理解しているのだ。
「いや……まあ、いいけど……」
ジャックは恥ずかしいのかやけに言い渋った後、以下の内容を語り始めた。
「俺は薬学部の学生でさ、一昨日も遅くまで自宅で薬の研究をしてたんだよ。そしたら急にチンコが見えない力みたいなので切り落とされて、あまりの衝撃に腰を抜かしてる間にそれがふわふわと浮き上がってどこかに飛んでいったんだ」
そこまで話すと、ジャックはその時の凶行を思い出したのかブルリと震えた。
「ああ、ところでジャック君。君が襲われた事件と関係あるのかは分からないが、最近は週一のペースで空中浮遊する陰茎事件も起こっていると聞くね」
突然ドルガタが妙な話を口にし、ブラウンは耳を疑った。陰茎が空を飛ぶとは――
「……ああ、チンコだけが宙に浮き上がって夜中の道路を浮遊してるって事件か。実はだけど、アレって俺のチンコだと思うんだよな」
するとジャックも釣られて妙な話を始めた。2人とも妄想癖の類でもあるのだろうか。ブラウンは本気で彼らの頭の心配をした。
「チンコが取れた時、全然痛みはなかったから普段から寝てる間とかに勝手に飛んで行ってたのかもしれない。……もしかしたら、俺のチンコを盗み出すための密かな予行演習だったのかもね」
「いや、あの、君は本当にチンコを盗まれたと思っている?」
動揺のあまりブラウンはアキネーターのような質問をしてしまった。
「もちろん……っていうかそれしかありえないだろ! どっかの変態が魔法とかテレキネシスで盗んだに決まってる! アンタも探偵だったら早く俺のチンコを盗んだ犯人を捕まえてくれよ!」
ジャックは突然興奮し始め、ものすごい剣幕でブラウンに掴みかかる。
ブラウンはそのままつんのめって後ろに倒れた。だがドルガタはそれを見てニヤニヤするだけで助け起こそうともしない。
それからしばくジャックと話したが、ここ3ヶ月ほど陰茎が夜の道路上を飛び回る事件が立て続けに起きていること、彼の陰茎が帰ってこなくなってからはその事件が全く起きていないということが分かった。
「最後に、その、君の陰茎がなくなった箇所を見せてくれるかな。いや、俺はゲイじゃないし盗まれたことを疑ってるわけじゃないんだが……一応、な?」
ドルガタはジャックに言い聞かせた。ジャックは神妙な態度になり、ズボンを下ろす。
ブラウンは息を飲んだ。ジャックの言う通り、そこには陰茎が付いていなかった。処置は済んでいるため傷はすでに塞がっているが、付いているはずのモノがなく完全にツルツルテンになっている。
「おお、本当にチンコがないだ! チンコは盗まれただよ!」
陰茎が盗まれたという事実がよほど面白いのか、サンチョがやんややんやと小躍りし始めた。
それからドルガタと別れて事務所に戻り、チンコチンコとしつこいサンチョを追い出したブラウンは旧式テレビと向き合っていた。
探偵の手に握られているのは「びちびちびっち」とパッケージに書かれたDVDであった。俗にいうAVだ。
巷ではソフト・オン・デマンドでダウンロードしたAVを鑑賞するのが流行りだが、ブラウンにおいては集中する時にはテレビを使うというルーティンがあったのだ。
興奮に震える手で再生ボタンを押し、ズボンを下ろす。
だが、事務所には自分ひとりしかいないはずなのになぜか視線を感じるではないか。
「…………気のせいか」
ブラウンは人の気配を性的興奮が原因であると片付け、ティッシュ箱を引き寄せた。
「ブラウンせんせはマーメイドがお気に入りだっただか」
「うわっ!」
ブラウンは驚きのあまり下半身裸でひっくり返った。誰もいないところからサンチョの声がする。もしや知らぬうちに監視カメラとスピーカーでも仕掛けられたのか? いや、サンチョにはそんな頭も技術もないはずだ。
「せんせ、オラはここだよ」
すると壁が陽炎のようにゆらめき、サンチョの輪郭を取った。
「さ、サンチョ!? お前、透明人間だったのか!?」
ブラウンはズボンを履きながら後ずさる。僅かに輪郭だけが宙に浮いているこの感じは、子どもの頃に見た「透明人間」の映画そのままであった。
「これはだね、せんせ。最近シロート製薬から新発売した『モノノケイン』って透明化薬だよ」
透明のサンチョが笑う。シロート製薬といえば巨根薬やED治療薬、陰毛除毛剤などのアダルトな薬品を扱っている製薬会社だ。
「これは錠剤タイプですぐに効果が切れるだども、注射タイプとか吸引タイプもあるだ。あ、もちろんジョークグッズだからエッチなことに使っちゃダメだよ」
サンチョがいっちょ前に常識を語る。だがブラウンは絶対にサンチョがこの『モノノケイン』なる薬を性的なことに使っていると確信していた。
「……サンチョ、その薬を1粒くれないか?」
ブラウンは真剣な眼差しで透明のサンチョを見つめた。この薬があれば絶対に性生活が捗るに決まっている。
「せんせ。非常に申し訳ないんだども『モノノケイン』はこれが最後の1粒だぁね。かなり高価な薬だから事務所のお金を全部つぎ込んで買っただけど、もう1粒も残ってないだ」
サンチョは心底申し訳無さそうに頭を下げた。
ブラウンはこういう時のために常に上着に潜ませていた折りたたみナイフを後ろ手に持つ。
「サンチョッ! 死ねッ!」
そしてサンチョの心臓めがけて一気にナイフを突き出した。完全に殺す気である。
だが果たせるかな。ナイフはサンチョの強靭な皮膚の前にはなす術もなく針金のように折れ曲がってしまった。
「せんせ、ナイフごときじゃオラは殺せないだよ。バズーカ砲でもちょっと痛いくらいだぁね」
嘘か真かブヒヒと笑うサンチョを前に、ブラウンは寂しくなった懐を思って一人涙を零した。
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